桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ご挨拶

2010-01-04 | Weblog
今日は水戸から利根町に帰った。
布佐駅を降りて自宅に向かって歩いたが、栄橋に来たとき、前から歩いてくる人がいた。42年前、被害者宅に寄ろうとしたOさんの息子に自転車を貸したHさんだった。
声を掛けて「有り難うございました。お陰様で勝ちました」と言ったらば、「良かったねえ、長い間、御苦労さまでした」と言って下さった。
このHさんは、当時、警察とかなりの問答をしたらしい。と言うのは、HさんはOさんに自転車を貸した時間について、かなり正確に覚えていたようで「そんなに早い時間ではない」と主張する警察と言い争いのようになったのだと言う。
社会に帰って来て、このHさんに街で声を掛けられたことがあった。そこで言い争いの話を聞かされたのだが、「もう真犯人は判らないね」と言うHさんに、俺は言った。
「Hさんの調書だって隠していますからね。全部の証拠を出させれば判らないですよ」と。
Oさんが被害者宅を通過した時間を遅くするために、警察は強引な調べをした。だから、Hさんの調書も隠したままなのだ。
総ての証拠を出させたいものだ。どこまでも闘うと言って、Hさんと別れた。