夢鉄城の日記

模型・鉄道・旅に関係した事を中心にしています。

トヨペットクラウン

2024-04-11 11:33:46 | その他の模型

ミニカーの話から思い出したのですが、1960年代~70年代の車は幼少期・小中学時代にあたりますが、各自動車メーカーの特徴が顕著に表現されていたように思います。

80年代になると車の性能が良くなって、国産車の評価も高く品質も良くなってきた時期だったように思います。

そんな中でまだまだ車の種類が少なかった70年代前半までの車は、貴重で庶民が誰でも手にすることは出来なかった時代なので、子供心にあこがれでした。

軽自動車はかなり小さくて、小型車が来ると大きさの違いから1000ccでもでかく見えたものです。

子供目線なので余計大きく見えていたのだとは思いますが、その中でも2代目トヨペットクラウンはバカでかく感じましたし、かっこいい車だなとお気に入りでした。

ソフトなデザインながら、重厚感な部分も混じり洗練された正面と、それとは対照的なリヤの丸形ストップランプはシンプルながら、サイドに配置されているため、後ろか見るとかなり横幅がある車に見えたものです。

それよりでかく感じたのが同時期のプリンスグロリアですが、こちらはアメリカンな車で好対照な印象でした。

今回昔持っていた1/43クラウンが販売されているのかネット検索してみたら、すぐにヒットし値段も安かったので衝動買いしてしまいました。

黒もあったのですがブルーを選択しました。

最近は名車コレクションばかり購入しているので、久しぶりにこのサイズの車の購入となりましたが、やっぱりミニカーはこの大きさがいいなと改めて感じました。

次はグロリアかな・・・・?

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7 コメント

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やはり43分の1サイズ (N藤史郎)
2024-04-14 11:05:13
 Kimi2社長 、写真を拝見してやはりこのサイズのミニカーがコレクションとして適していることを感じました。特にダイキャスト製品では。64分の1ではプラ製品となるのでしょうか。
 
 さてこのクラウン、私の幼少時代のモデルで、のちにマイナーチェンジでリアのテールランプが横長になりましたね。さらにだいぶ後になって「クラウンエイト」を見かけることができたのですが、それはこのモデルをそのまま横長にしたものでした。もともと5ナンバー枠でいかに大きく見せることに注力していた当時の国産高級車でしたからその枠を取っ払った3ナンバーのクラウンエイトは幅を広くするとことさら大きく見えたのだと思います。この頃のライバルは日産のセドリック、プリンスのグロリアでしたね。当時のグロリアの新聞広告を高校の図書館の資料室で縮刷版で観たところ、ぷりんすのG 型6気筒エンジンはオイル漏れがないことを誇っていました。そういう時代だったのですね。トヨタの6気筒モデルはM系というもので、これはずっと後の初代ソアラのDOHCモデルにも受け継がれていきますが、父が購入した「クジラクラウン」(社長もハードトップモデルを中古で購入したとか)のEFIになる直前のツインキャブレターのモデルもヘッド回りは常にオイル沁みが出来ていました。さすがに車の下がオイルが漏れているようなことはありませんでしたが(笑)、昔は駐車した車が走り去った後、道路にオイルのシミが見られましたね。特に雨上がりのアスファルトでは虹のようになっていたものです。ミニカーはそういうことを思い出せせてくれます。この後、空前のベストセラー「白いクラウン」が登場するのですね。
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Unknown (大田鉄道)
2024-04-14 15:47:20
懐かしい

2代目クラウンとは渋いですね。
この形と3代目は、直線的なデザインで平べったく、大きく感じます。

そう言えば、センチュリーが出る前にクラウンエイトと言う8気搭の大型車も有りましたね。

社長の購入されたモデルは実感的ですが、私が昔見た塗装は黒か多かった気がします。
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くじら (kimi2)
2024-04-16 22:36:58
クジラクラウンは2台目に購入しましたが、当時の中古車はかなり質が悪く、2ドアHTレザー屋根はガラス押え金属の腐食で、少し強い雨が降ろうものなら、運転席に雨漏りはするしトランクはプールになる等、かなり状態が悪かったです。

購入後4カ月頃ミッションオイルが漏れて、ミッション交換してもらいましたが、見た目の豪華さとは裏腹な粗悪車でした( ´艸`)
6気筒ツインキャブの割にパワー不足を感じるのは、車重が1.5t超えていたからだと思います。
とにかく重いと言うのが印象的でしたが、当時の車としては珍しくエアコンがついていたのでこれは快適でしたね。
快適な室内空間はいいのですが、エアコンによるパワーダウンの代償は大きかったです。

2台目クラウンの中古車と巡り合うことはなかったですが、もしも出会っていたなら購入したのかな・・・・?
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フラッグシップ (N藤史郎)
2024-04-17 17:38:55
 この方のクラウンはエアコンならぬ、クーラーが搭載されていたかも知れませんが、8の車内を覗いて驚いたのは、パワーウインドウであったことです。5ナンバーの通常型でも上級車種にもあったのでしょうか?いずれにしてもこういう装備は子供にとって憧れでした。
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1964 (kimi2)
2024-04-17 20:41:23
初代クラウン(1957)はクーラーが装備されていていたそうです。日本最初のエアコンは同じく2代目クラウンで1965年とのことですが、全車標準で装備されていたのかは分かりません。
オートエアコンは1971年にセンチュリーが装備したという事ですから、6年間で随分と技術が進んだんだなと感じます。

パワーウインドウは、1964年のプリンスグロリアが日本最初との事でした。

クジラクラウンのエアコンスイッチはハンドル下に付いていて、小さいダイヤルを回すとエアコンが使えるようになっていました。
また、右に回すに従って温度が下がるタイプでした。
当時は今と違って暑いと言っても、夜にはそこそこ気温が下がりましたから、使うのは昼間位でしたね。天井がレザー張りだったおかげで、強くすると後ろの席が冷えすぎて寒いと言われました。
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エアコン (N藤史郎)
2024-04-18 14:44:57
 私の従兄はピニンデザインのセドリックワゴンに乗っておりましたが夏にドライブに連れて行ってもらった思い出がありますが、冷房を使ったのか、記憶にないのです。それほど当時のなつはあつくなかったということでしょうか?セドリックのその前のモデルにも乗せてもらったのですが、その際にダッシュボードの下に暖房用のヒーターユニットを取り付けた、とのことでその四角い箱を興味深く見たことは覚えております。
 クラウンはそれから2世代のモデルチェンジを経て70年代初頭にクジラクラウンとなりましたが、上級車種の「スーパーデラックス」と最上級車種「スーパーサルーン」に搭載されたエアコンは後部座席の後ろにも吹き出し口があり、足が冷えることを嫌うご婦人にもアピールする装備でしたね。この間、10年あまりの進歩はものすごかったのですね。
 先日、デンソーのブースで現在のエアコンユニットの展示を観る機会がありましたが、プラスティック主体の筐体は非常に軽量且つコンパクトで熱交換の効率もトップレベル、この技術は他の追随を許さないものだと思いました。さすが世界各国で活躍するための車づくりをしてきた国だけのことはありますね。
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20代前半 (Kimi2)
2024-04-18 21:19:22
クジラに乗っていた1979~81年、私の記憶では、夏の昼でも30℃当りが最高気温だったと思います。たまに31~2℃という時もありましたが、今のような焼ける気温ではなかった記憶が有り、エアコンも使用せず窓を全開にして走っていたものです。

建物も密集しておらず、また、大きなコンクリート建築が少なく樹木も多かったし、一軒家には庭が有ったりして土の面積も多かったのが、焼けなかった要因だと思います。

湿度が異常に高い時はエアコンを入れましたが、それでも夜は昼間より3℃以上下がっていたので、エアコンの活躍は少なかったと思います。

関東が焼けるようになったのは、高層建築が増え風の流れが変わったのと、海風が奥まで入りにくくなったことで、人工的な盆地になっているからではないかと思います。

これから大きな地震が来ると予想されているのに、高層建築物が乱立する事で、高層難民が増える事にもなるのではないかと思います。
一度災害が起これば、大規模な停電や断水が長期間続くでしょうから、建物は大丈夫でも生活には適さないという事も頭に入れて置くべきかなと思います。
車の話からそれてしまいましたね。
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