17日に69歳で亡くなった、車谷さん。ここ数年は闘病生活を送っていらしたそうだがそれでも亡くなった当日も散歩に出かけられていたと聞き、彼らしい最期だったのだなと勝手に想像した。ご夫婦で散歩に出た後、先に帰った車谷さんが食べ物を喉につまらせ窒息死を遂げた。発見された時の奥様の心境はいかがなものか。普通の夫婦だったら動転してパニック状態に陥るだろう。だけど彼らなら、とここでも想像に過ぎないが案外、落ち着いて行動されたように思う。今朝の新聞に万城目学さんが車谷さんへの追悼文を寄せていた。その思いがあまりにもよく分かり、心地良い文章だった。似通った感情を抱いた人は多いと思う。車谷さんの”赤目四十八瀧心中未遂”には数年前に出会った。少女時代に傾倒した太宰冶以来振り(何十年振りだったのか!? )に吸い寄せられるように読んだ。万城目さんが書いていらした様に「どうしようもない人生を送る車谷さんが描く主人公に憧れた」のだと思う。いい年をしてこんなにも心魅かれるものがあったなんて。感動は年齢じゃないのだ、生きている限り恥かしいと思わずに感じ続けないと。そこが生きている者と亡くなった者の境界線のひとつなのだから。あちらへ逝ってしまわれた車谷さんに合掌。