スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ロッタレース&真の観念

2018-04-21 18:55:33 | 血統
 フサイチパンドラの母は1992年にアメリカで産まれたロッタレース桜花賞を勝ったアーモンドアイにとっても輸入基礎繁殖牝馬になります。パロクサイドファミリーナンバーは同じ8-fですが,別の分枝として発展しています。
                                    
 ロッタレースの産駒で重賞を勝ったのはフサイチパンドラだけで,それ以降の産駒をみてもアーモンドアイが2頭目の重賞勝ち馬。ただ牝系は広がっていますので,日本での活躍馬が輩出する可能性は残っています。
 遡ると世界的な名牝系。ロッタレースの母の産駒,つまりロッタレースの兄には有名種牡馬が2頭います。また,ロッタレースの姉から続く系譜は何頭かが輸入されていて,ロッタレースの9つ上の半姉の子孫には1996年に神戸新聞杯を勝ったシロキタクロスや昨年の東京記念を勝っている現役のサブノクロヒョウがいます。さらに4つ上の半姉の子孫には2013年のNARグランプリで3歳最優秀牡馬に選出されている現役のインサイドザパークがいます。
 名牝系の起点となっているのはロッタレースの祖母です。その子孫で日本で活躍した馬の中には,2003年に中山金杯を勝ったトーホウシデンや,2008年にピーターパンステークスを勝ったカジノドライヴがいます。
 ヨーロッパでもアメリカでも,そして日本でも活躍馬が出ている牝系で,どの程度が輸入されているか僕には不明ですが,少なくともロッタレースの祖母の子孫からは日本での活躍馬が間違いなく出てくることでしょう。

 それが知性intellectusあるいは精神mensの内にある場合と外にある場合があるのですが,観念ideaには必ずその観念の対象ideatumが存在しています。このとき,その観念が観念されたものideatumと一致しているなら,この観念は真の観念idea veraといわれます。つまりある観念が真の観念であるということの意味は,その観念が観念の対象と一致しているということです。僕は観念が有するこの特徴を,観念の外来的特徴denominatio extrinsecaといっています。要するに真の観念とは,ある観念がその観念の外来的特徴からみられた場合のひとつの規定であることになります。
 もちろん観念は,観念されたものと必ず一致するというものではありません。スピノザの哲学においては第二部定理三二により,観念は神と関連させる限りquatenus ad Deum referunturでは必ず真の観念です。いい換えれば観念されたものと必ず一致します。そして第一部定理一五により,どんなものも,すなわちどんな観念も,神なしにはあることも考えることもできないnihil sine Deo esse, neque concipi ものです。ですから神と関連させることができない観念というのは存在しないのであって,この意味においては,どんな観念も外来的特徴からみられる限りでは真の観念であることになります。ただ,僕たちの精神あるいは知性というのは有限finitumであるがゆえに,それらの観念のすべてを神と正しく関連付けられるというものではありません。このために僕たちの精神あるいは知性のうちには,神と正しく関連付けることができない観念というのも生じ得るあるいは存在し得ます。この意味においては観念の対象とは一致しない観念というのも存在します。したがって,外来的特徴からみられた場合に真の観念ではないというような観念は,それが存在するというのであれば,たとえばある人間の知性とか精神のような,有限な精神ないしは知性のうちにのみあるということになります。このような限定的な条件を付随させたうえで,観念の対象と一致しないような観念は,誤った観念idea falsaといわれます。ですから観念は外来的特徴からみれば,真の観念であるか誤った観念であるかのどちらかです。
 このとき,ある人間の精神あるいは知性のうちに,観念されたものと一致する観念があるなら,その観念は十全な観念idea adaequataでもあります。

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