スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

説得の内容&感情の模倣の理論

2017-09-17 19:12:44 | NOAH
 ジャンボ・鶴田三沢光晴にピンフォールで負けることを嫌がったので,鶴田に対する馬場の説得があったというのは合理的に説明できます。僕が問題視したいのその説得の内容に関する柳澤の言及なのです。この説得の内容が,三沢と鶴田の試合に対する柳澤による解釈と関連するということは,暗に示していた通りです。
                                 
 馬場はフレアーがネイチャーボーイといわれることにはあまり気をよくしてなく,その称号に相応しいのはバディ・ロジャースだと思っていました。ロジャースはスターではあったけれども純粋アスリートとしては一流ではなかったという評価があるようです。しかし馬場はスターである,客を呼べるということを最重要視していましたから,ロジャースは馬場にとって最高のレスラーだったのです。
 そのロジャースは,1961年にパット・オコーナーを破ってNWAの世界王者に就きました。この試合が,オコーナーによる「ひとり急所打ち」であったそうです。これに関しては僕は確証はできませんが,おそらくそうであったのでしょう。柳澤の説明は,そのことを知っていた馬場が,説得に際してこのような試合の決着のつけ方があり,それならばたとえ3カウントを奪われても鶴田には傷がつかないと諭したのだというようになっています。つまり馬場が最も尊敬していたレスラーであるロジャースと,三沢と鶴田の試合とが,関連付けられるような記述になっているということです。
 ですが,これは事実としてあり得ないです。ただ僕はそのために,試合に関する僕の解釈を持ち出すことはしません。むしろ柳澤の説明が事実であったら,馬場にそのように諭されるまで鶴田はそういう試合の終わらせ方があるということを知らなかったと仮定しなければならないことの方を重視します。はっきりいいますが「ひとり急所打ち」などというのは一ファンにすぎない僕でさえ知っているようなギミックです。そのギミックを超一流選手であるといっていい鶴田が知らなかったとすれば,プロレスが純粋スポーツではないという柳澤の主旨自体が崩壊してしまうでしょう。
 僕は主旨の方を守りたいと思っています。なのでこの部分の記述が誤りであるということは強くいっておきたいのです。

 なぜ河井が理性的である限り,内的な観念ideaを原因とした喜びlaetitiaと外的な観念を原因とした喜びが一律に一致すると説明しているのかというと,このことを理論的な支柱として,感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumについて説明しようと企図しているからです。これは僕にとって斬新な視点でした。どういう意味で斬新であったかというと,僕には感情の模倣をそれ自体で理論化しようとする発想が存在しなかったからです。そしてそれには理由があります。それは,感情の模倣というのは,僕の考えだけでいえば,スピノザの哲学の中で有する意義というのは,現実的に存在する各々の人間がいかにして諸々の感情を抱くことになるのかということを説明するという点にあるからです。そしてこのとき感情というのは,能動的であるような感情よりも受動的な感情の方を多く意味するのです。すなわち,たとえば自分自身がある受動感情を抱いたときに,なぜその感情を抱いたのかということを考えるための一助となるという点で有益であるのです。したがってこれを能動感情で説明することによって理論的に説明づけることは,僕にとってはたいして意味があることのように思えなかったのです。
 僕はこの点に関していえば,『スピノザ哲学論攷』を読んだ今の時点でも,あまり考え方を変えてはいません。したがって河井がこのような仕方で感情の模倣を基礎づけようとした理由というのもよく分からないのです。そこでまず,僕の考え方を説明しておきましょう。
 感情の模倣を最も一般的な仕方で示しているのは第三部定理二七であると僕は考えます。このとき,この定理Propositioが表象imaginatioを基礎として生じている感情について言及していることは明白でしょう。表象像imaginesは混乱した観念idea inadaequataなので,この定理で示されている仕方で生じる感情の模倣は受動passioです。河井がいうように,このことはたとえ精神の能動actio Mentisであった場合にも成立することを僕は認めます。というか,むしろその場合の方が必然的に成立するといってもいいです。第四部定理三五で示されている通り,理性ratioに従うならすべての人間の本性naturaは必然的に一致するからです。よって理性的に名誉gloriaを感じている人を十全に認識する人はその人を愛するでしょう。

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