スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ホープフルステークス&否定と憎しみ

2017-12-28 19:08:14 | 中央競馬
 第34回ホープフルステークス
 ナスノシンフォニーは外によれる発馬。先頭に立ったトラインが1コーナー手前で外にふらつくようなところがありました。そのトライン,サンリヴァル,ジュンヴァルロの3頭が雁行で向正面に。向正面の中間ではジュンヴァルロが単独の先頭に立ちました。この3頭の後ろは3馬身ほど開いてトーセンクリーガーとウォーターパルフェ。1馬身半ほどでシャルルマーニュ。1馬身差でリュヌルージュ,ロードアクシス,ルーカスの3頭。1馬身半差でマイハートビート,フラットレー,ジャンダルムの3頭。1馬身差でナスノシンフォニー,ステイフーリッシュ,シャフトオブライトの3頭。1馬身差でタイムフライヤーが後方2番手。ワークアンドラブはまったくついていくことができず,大きく引き離されました。前半の1000mは59秒6のハイペース。
 途中から逃げる形になったジュンヴァルロが先頭のまま3コーナーを回り,外にサンリヴァルとウォーターパルフェ。内にロードアクシス。さらに外からルーカスとジャンダルムが追い上げる形で直線に。サンリヴァル,ルーカス,ジャンダルムの競り合いからジャンダルムが抜け出しましたが,3コーナー手前あたりから動いたタイムフライヤーがその外を伸び,ジャンダルムを捕まえると抜け出して優勝。ジャンダルムが1馬身4分の1差で2着。大外を鋭く伸びたステイフーリッシュがクビ差まで迫って3着。
 優勝したタイムフライヤーは8月の新馬は2着。9月に未勝利を勝ち上がって10月のオープンを連勝。先月は重賞を使ってタイム差なしの2着。ここは連対を外していない馬が多く,そうした馬たちの争いになるだろうとみていました。当然ながらそうした馬たちはここで初対戦となるので,能力の比較は難しいところがありましたが,成績からは優勝候補の1頭。やや差をつけましたが,2着馬をマークするようなレースぶりになった分の有利さはあったかもしれず,はっきりと能力上位と評価することはできないかもしれません。とはいえ来年のクラシックの有力候補の1頭になったということは間違いないでしょう。父はハーツクライ。母の全兄にタイムパラドックス
 騎乗したフランスを中心に騎乗しているクリスチャン・デムーロ騎手は2013年の桜花賞以来となる日本馬に騎乗しての大レース2勝目で日本における大レース2勝目。管理している松田国英調教師は2013年のジャパンカップダート以来となる大レース15勝目。このレースは今年から大レースとなり,それまでも施行条件の変動が大きいのですが,記録上は第23回以来11年ぶりのホープフルステークス2勝目。

 憎しみodiumの連鎖を産出しないことが自由の人homo liberにとって重要であるのは,現状の考察との関連でいえば,多様性の否定negatioと憎しみという感情affectusに深い結びつきがあるからです。単純にいえば,たとえばAという人間が別のBという人間の存在を否定したいあるいは否定しているとき,Bが喜んでいると表象するimaginariなら,第三部定理二三によってAは悲しみtristitiaを感じることになります。この悲しみはBの喜びlaetitia,他面からいえば喜んでいるBの観念ideaを伴った悲しみであるのですから,第三部諸感情の定義七によってBに対する憎しみそのものです。このようにして人間の多様性を否定することは,そこで否定されている人間に対する憎しみと一体化します。というより,これはこのように示さずとも,後に説明するように,否定している人間に対する何らかの表象imaginatioを伴わずとも,否定するというその段階ですでに憎しみと一体化しているのです。したがって,憎しみの連鎖を産出するというのと多様性の否定の連鎖を産出するというのはほぼ同じ意味をもっていることになります。なので連鎖を含まずとも,憎しみを産出するということは否定を産出するということと同じなのですから,人間の多様性を肯定する自由の人は,多様性の否定を産出しないように心掛けなければなりません。ある具体的な事象について言及している第四部定理七〇が何か一般的な意味を有するとしたら,それは上述のようなことになるのだと僕は考えています。
                                
 そこで今度は,このような多様性の否定がいかにして産出されるのかということを検討してみましょう。すでに明らかになっているように,人間は理性ratioに従う限りでは,すなわち精神の能動actio Mentisに従う限りでは人間の多様性を絶対的に肯定し,部分的にすら否定することはありません。そしてこの限りでは現実的に存在する人間の本性naturaが一致するのですから,人間の能動によって多様性の否定は全面的にはもちろん部分的にも生じないことになります。すなわち人間全体を否定するということはありませんし,ある特定の人,ないしはある特定の人間集団,国民とか民族とか教徒とかいった集団を否定するということもありません。よってそれは人間の受動passioから生じます。

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