スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金鯱賞争奪戦&本性の変化

2015-03-10 19:05:41 | 競輪
 楽天が協賛して開催された名古屋記念の決勝。並びは平原-神山の関東,深谷-吉田の地元,村上に萩原,松岡-大塚の九州で才迫が単騎。
 深谷がスタートを取って前受け。3番手に村上,5番手に平原,7番手に松岡,最後尾に才迫で周回。残り3周のバックから松岡が徐々に上昇。才迫は追わずに神山の後ろに。松岡はホームで深谷に並びそのまま前に。大塚の後ろを平原が追い,神山の後ろに才迫。6番手に村上,8番手に深谷の一列棒状で打鐘。このままだれも動かなかったので松岡の流れ先行のようなレースに。ホームで村上が発進。平原の横まで追いついたのがバックの入口。ここから平原が発進。村上は追い上げマークを狙う形となりましたが,神山がしっかり阻み,この両者で捲りきって後ろを離しました。直線は粘る平原と迫る神山がほぼ並んでゴール。写真判定の結果,神山が差していて優勝。平原がタイヤ差の2着で関東のワンツー。村上の後ろから外を捲り追い込んだ才迫が3車身差で3着。
 優勝した栃木の神山拓弥選手は昨年1月の大宮記念以来の記念競輪3勝目。名古屋記念は初優勝。平原の後ろはいい位置でしたが,現状の平原の力や調子を考えると,抜くのは難しいのではないかと予想していました。平原もそんなに早くから駆けたわけではありませんから,僅かな差とはいえ,差したのは評価してよいと思います。雪が舞っていたように,風も強い悪コンディションであったのは,番手選手にとっては利があったということはあるかもしれません。

 現実的に存在する身体corpusおよび精神mensの本性essentiaに変化が生じるということを,具体的にはどう理解すればよいのでしょうか。
 僕はこのことを,事物の実在性realitasすなわち完全性perfectioとは,potentiaという観点からみたその事物の本性であるという観点から理解するべきだと考えています。現実的に存在する事物の本性は現実的本性actualis essentiaです。このいい方に倣えば,現実的本性の変化は,現実的実在性あるいは現実的完全性の変化であると理解することになります。スピノザの哲学における力というものが,現実的になし得ることを意味するということからしても,このような理解は妥当なものであると僕は考えています。また,個物res singularisが神Deusの属性attributumに包容されている限りにおいて存在するといわれる場合には,個物の本性は変化しないと考えられなければなりません。したがってこの場合には,個物の実在性および完全性にも,変化は生じないと理解しておくべきであろうと考えます。個物の実在性に変化が生じるのは,その個物が現実的に存在しているからであり,これは個物の本性の場合と同様です。
 ではなぜ個物が現実的に存在する場合には,個物の本性および実在性には変化が生じ得るのでしょうか。その根拠の一部は第四部公理にあると考えます。この公理Axiomaは,どんな個物も,ほかの個物によって滅ぼされ得るということを含意しています。しかし,もしも個物が,属性に包容される限りで実在するというなら,実際にある個物が滅ぶということはあり得ません。これはこの限りにおいては個物は永遠aeterunusであるということから明白です。滅ぶというのは,永遠ではないという意味だからです。あるいは一般に事物の本性が永遠であるということからも明白です。個物の本性は,属性に包容されているから永遠であるのだからです。

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