スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山グランプリ&両立

2013-01-15 19:16:28 | 競輪
 昨年のグランプリ覇者の2013年初出走となった和歌山記念の決勝。並びは武田-神山の茨城栃木に斉藤,藤木ー村上の京都に池田,脇本-東口の近畿で五十嵐が単騎。
 脇本がSを取りにいきましたが,上から村上が来るとこちらに譲り,前受けは藤木。4番手に脇本,6番手に武田で五十嵐は最後尾。武田の上昇を脇本が牽制,結果的に4番手の内に武田,外に脇本となって残り2周。ホームで藤木が誘導を交わしてペースアップ。そのまま突っ張り先行に。脇本は打鐘から発進しましたが,前に追いつけず不発。外の脇本が下がったのでバックから武田が発進すると,藤木の番手から村上も応戦。しかし直線に入ると武田が交わし,半車身の差をつけて優勝。2着から4着までは接戦で,村上マークから伸びた池田が8分の1車輪差で2着。番手発進の村上が武田マークの神山を4分の1車輪抑えて3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は先月は競輪祭を制覇。記念競輪は11月の取手記念以来でGⅢ21勝目。和歌山記念は一昨年に優勝していて2年ぶりの2勝目。ここは展開が有利そうな村上か,力が上の武田と思っていましたが,二段駆けの上を捲ったのですから,まさに力の勝利というほかありません。どうやら今年もこの選手が中心となって競輪界は推移していきそうです。

 これはすでに説明したことですが,このことに依拠して,佐藤拓司は,スピノザが身体という場合には,身体を組織する部分というのはその意味のうちには入っていないと解釈したのです。そのときにも述べたように,これは有力な解釈であるということになると思います。そして佐藤は最終的な結論として,スピノザが第二部定理一二でいっていること,すなわち現状の考察に当てはめて第二部定理一二の新しい意味として考えるならば,人間の精神が自分の身体の中に起こることを知覚するということと,人間の身体を構成する部分の中に起こることのうちにはその人間の精神によっては知覚され得ないことがあるということは,矛盾しないといっています。僕のここまでの考察からしてもこれは確かにそうであるということになります。そして僕は第二部自然学②要請一に依拠して,人間の身体を構成する部分の中には,その人間の精神によっては知覚されないきわめて多くのことが生じるといいましょう。そしてこのことは,人間の精神が自分の身体の中に起こることを知覚するということと,まったく矛盾することなく両立すると考えます。
 このように理解する限り,田島正樹がしているように,別に現象学の理念を借用せずとも,第二部定理一二はそれほど無理なく理解することが可能であるように思えます。これもすでにいったことですが,僕は現象学の哲学的成果に関しては詳しくありませんから,田島の論述そのものに関してはそれを支持しないとはいいません。ただ方法論として佐藤によるものと田島によるものとを比較したならば,僕は佐藤の方を支持しますし,『堕天使の倫理』で佐藤が提出している結論に関しては,それを積極的な意味で支持します。
 これがこの方面からの第二部定理一二に対する現時点での僕の結論ということになります。僕は以前に人間の身体の中に起こることというのを,人間の身体を構成する部分の中に起こることまで含めて理解していました。それがこのように解釈を変更することによって,少なくとも人間の身体の中に起こることの領域は減少します。そしてその減少の分だけ,この定理の問題の重みも減少したのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 王将戦&自転車と人間の身体 | トップ | ニューイヤーカップ&第二部... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

競輪」カテゴリの最新記事