24日と25日に徳島市で指された第62期王位戦七番勝負第五局。
藤井聡太王位の先手で相掛かり。封じ手の4手後に後手の豊島将之竜王に一失があり,勝負が決まってしまう一局でした。
第1図で☖7五銀と出たのがその手。☗9七桂と跳ねられて困ってしまいました。
常識的には☖6六銀☗8五桂☖7七銀成☗同金と進むところです。ところがこの順は先手が飛車を取るのが大きく,すぐに後手が負けになってしまいます。よって☖8四飛と引いたのですが☗7五角と銀の丸損。この局面で無条件の銀損はひどく,ここから後手の攻めを先手が完全に受け切ったところで後手の投了となりました。
後手は先手から☗4四角と取ってもらい,☖同歩と角を交換する手順を模索していたのだと思います。第1図で9筋の突き合いがなければ☖7五銀には☗4四角でしょう。このことが大きな見落としの遠因となったと推論します。
4勝1敗で藤井王位が防衛。第61期に続く連覇で2期目の王位となりました。
新しい分野なり単元なりに出会ったとき,それを論理的に解く力というのを近藤は持っていませんでした。なのでそれを習った直後にテストをすると,近藤はクラスメイトに敵いませんでした。
この部分は文章上の効果をいくらか狙ったような表現になっていると僕は読解します。近藤は,新しい単元や分野に出会ったとき,それを難なく自力で解く論理的能力を持っているクラスメイトについて,頭のキレる子,と表現していて,そういった友人たちに,習った直後の問題集やテストでは勝てなかったといっています。とはいえ数学に限定した学力でいえば,近藤のレベルはかなり上位ではあった筈で,たとえばそういう友人というのが,10人も20人もいたというようには考えにくいと僕は思います。実際には近藤が勝てなかった友人というのは,ひとりとかふたりだったという可能性もあると僕は解釈します。
とはいえ,近藤が敵わなかった友人が存在したというのは事実です。そこで近藤はその差を埋めるための学習に取り組みます。この学習方法というのが,いささか変わっています。
まずその単元なり分野なりの問題を読みます。問題を読んだら自力でそれを解くのではなく,すぐに答えを見ます。答えを見たら今度はその問題からなぜその答えが導かれるのかという解説を読みます。この作業が終わったら,今度は同じ分野の別の問題に取り組み,同じことを繰り返します。そしてそれが終ったらまた次の問題,というように,問題を読む,答えを見る,解説を読むという作業だけを延々と繰り返すのです。
近藤は自身の数学の学習の仕方に特別のものがあると感じていた,という主旨のことをいっていました。これをみれば,確かに近藤がそのように感じていたとしても不思議ではないと思います。実際に近藤がしていたような学習方法というのは特別なもの,いい換えれば多くの人が採用するような学習方法ではありません。このことは単純にいって,学校の教員がこのような取り組みをするように指導することはないということから明白だと思います。
この作業を繰り返すうちに,近藤は問題を読むとすぐに答えを出せるようになっていったのです。
藤井聡太王位の先手で相掛かり。封じ手の4手後に後手の豊島将之竜王に一失があり,勝負が決まってしまう一局でした。
第1図で☖7五銀と出たのがその手。☗9七桂と跳ねられて困ってしまいました。
常識的には☖6六銀☗8五桂☖7七銀成☗同金と進むところです。ところがこの順は先手が飛車を取るのが大きく,すぐに後手が負けになってしまいます。よって☖8四飛と引いたのですが☗7五角と銀の丸損。この局面で無条件の銀損はひどく,ここから後手の攻めを先手が完全に受け切ったところで後手の投了となりました。
後手は先手から☗4四角と取ってもらい,☖同歩と角を交換する手順を模索していたのだと思います。第1図で9筋の突き合いがなければ☖7五銀には☗4四角でしょう。このことが大きな見落としの遠因となったと推論します。
4勝1敗で藤井王位が防衛。第61期に続く連覇で2期目の王位となりました。
新しい分野なり単元なりに出会ったとき,それを論理的に解く力というのを近藤は持っていませんでした。なのでそれを習った直後にテストをすると,近藤はクラスメイトに敵いませんでした。
この部分は文章上の効果をいくらか狙ったような表現になっていると僕は読解します。近藤は,新しい単元や分野に出会ったとき,それを難なく自力で解く論理的能力を持っているクラスメイトについて,頭のキレる子,と表現していて,そういった友人たちに,習った直後の問題集やテストでは勝てなかったといっています。とはいえ数学に限定した学力でいえば,近藤のレベルはかなり上位ではあった筈で,たとえばそういう友人というのが,10人も20人もいたというようには考えにくいと僕は思います。実際には近藤が勝てなかった友人というのは,ひとりとかふたりだったという可能性もあると僕は解釈します。
とはいえ,近藤が敵わなかった友人が存在したというのは事実です。そこで近藤はその差を埋めるための学習に取り組みます。この学習方法というのが,いささか変わっています。
まずその単元なり分野なりの問題を読みます。問題を読んだら自力でそれを解くのではなく,すぐに答えを見ます。答えを見たら今度はその問題からなぜその答えが導かれるのかという解説を読みます。この作業が終わったら,今度は同じ分野の別の問題に取り組み,同じことを繰り返します。そしてそれが終ったらまた次の問題,というように,問題を読む,答えを見る,解説を読むという作業だけを延々と繰り返すのです。
近藤は自身の数学の学習の仕方に特別のものがあると感じていた,という主旨のことをいっていました。これをみれば,確かに近藤がそのように感じていたとしても不思議ではないと思います。実際に近藤がしていたような学習方法というのは特別なもの,いい換えれば多くの人が採用するような学習方法ではありません。このことは単純にいって,学校の教員がこのような取り組みをするように指導することはないということから明白だと思います。
この作業を繰り返すうちに,近藤は問題を読むとすぐに答えを出せるようになっていったのです。
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