スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

新人王戦&消極的意味

2012-10-11 18:56:25 | 将棋
 若手棋士の登竜門,第43回新人王戦決勝三番勝負第一局。公式戦初対局。
 振駒により永瀬拓矢五段の先手。5筋位取り中飛車から穴熊。藤森哲也四段も潜って相穴熊に。序盤は1筋の位を取った先手がうまくやっていたように思います。しかし後手がその1筋から反撃。先手はこれに対してかなり手厚く受け,逆に反撃を決めて後手の穴熊を崩壊させました。
                         
 ここで▲4五桂と打っていきました。さすがにこれは決めにいった手のように思います。取ると▲4四金が厳しいとのことで△4二金。そこから▲5三金△5ニ金打▲4二金△同金▲4一金△5ニ金打▲4二金△同金。
                         
 永瀬将棋の名物は千日手で,ここではその手順に入っているのですが,▲1二銀と打って打開しました。千日手を厭わない永瀬五段が打開したのですから,よほど自信があってのことだったのではないかと思います。打開方法が最善であったのかどうかは分かりませんけれども,打開した判断自体は正しかったようで,まだ50手以上もかかりましたが先手の勝ちに終っています。
 永瀬五段が先勝。第二局は23日です。

 第一部定理一六系三でいわれている絶対に第一の原因については,岩波文庫版では訳者である畠中尚志による訳注がついています。それによれば,まず第一原因とはcausa primaというラテン語の訳で,これは先行するあらゆる原因に依存しない原因とのこと。いい換えれば,第一部定理二八第二部定理九で示されている原因は,それに先行する別の原因に依存することになっていますから,第一原因ではないということになるでしょう。
 次に,この第一原因は,ここでいわれている絶対に第一の原因と,もうひとつ,自己の類における第一の原因の二種に分かれるそうです。前者は一切の先行する原因を有さない原因のことであり,後者は個々の原因の系列のうちで,最初の原因という意味を有するそうです。『エチカ』にこれを当てはめれば,絶対に第一の原因というのは第一部定理一五により神のことであり,自己の類における第一の原因というのは,第二部定理六から神の本性を構成する各々の属性ということになるのではないでしょうか。
 いずれにしてもこれらは,当時の哲学者の間で用いられていた用語で,スピノザ自身もここで絶対に第一の原因というときには,その意味を踏襲していたと考えていたと思います。そしてそうであるならば,この系自体は第一部定理一六から帰結しますから,証明は不要ということになるでしょう。
 こうした理由によって,神は万物にとっての最近原因でなければならないということも導かれるのだと僕は考えますが,このことは現在の考察とは関係がありませんから割愛します。ただ,第二部定理九の中に,そして第一部定理二八の中に,このような手続きによって絶対に第一の原因である神に辿りつくことはないということが含まれていると考えられることは間違いないところでしょう。スピノザは人間の精神が神を十全に認識することができるということについては,第二部定理四七でそれを認めています。つまり人間の精神,というか人間の精神がそれを代表するような有限知性が,神を十全に認識することは不可能であると主張しているのではありません。よって,第一部定理二八とか第二部定理九の仕方で思考したとしても,いい換えれば結果から原因,原因の原因,そのまた原因と追っても,神の十全な認識は得られないとするなら,確かにそこには消極的意味が含まれていると僕は思うのです。

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