先月の佐賀記念で久々に重賞勝ちを遂げたサイレントディールですが、この馬の4つ上の全姉(父サンデーサイレンス、母フェアリードール共に同じ姉という意味)にトゥザヴィクトリーという馬がいます。今日はこの馬の紹介。
管理していたのはやはり池江泰郎調教師。早くに2勝を挙げ、クラシック路線に乗り、桜花賞GⅠ3着、優駿牝馬(オークス)GⅠ2着。やや引掛かり気味に先行してゴール前で何かに差されるというレースを続け、3勝目にして待望の重賞初勝利となったのが4歳夏のクイーンステークスGⅢ。続く府中牝馬ステークスGⅢも連勝、エリザベス女王杯GⅠは4着に負けたものの阪神牝馬ステークスGⅡは快勝。
この後、フェブラリーステークスGⅠに参戦、これが初めてのダート競馬だったのですが3着に善戦しました。この後、ドバイに行ってドバイワールドカップGⅠに挑戦し2着に敗れましたが、これは非常に価値が高いです。このレースはダート競馬では世界の最高峰に位置するレースのひとつ。実際にこのクラスのダート競馬で連対を果たした日本の馬は現在までこれだけで、ましてこの馬は牝馬ですからなおさら賞賛されていいと思います。
このレースの後、休養に入り、復帰初戦となったエリザベス女王杯で待望のGⅠ制覇。その後、有馬記念GⅠは超スローペースで逃げて3着と善戦、翌年またドバイに行きましたが今度は大敗を喫して引退しました。なお、サイレントディールのひとつ上の全姉にあたるビーポジティブもクイーン賞GⅢを制していて、フェアリードールは名繁殖牝馬といえます。
明日から熊本記念。出場選手が予定と少し入れ替わりました。
第二部定理六は、この証明方法とは別に、単に認識論に訴えるだけでも証明Demonstratioが可能であると僕は考えています。
仮にXというある様態modiがあるとすれば、第一部公理三からして、このXが存在する原因causa、たとえばAがあることになります。さらに第一部公理四から、この場合にはXの認識cognitioはAの認識に依存する、つまり、Xの真の観念idea veraのうちにはその原因であるAの真の観念が含まれていなければならないのです。
そこで今度は、XとAが異なった属性attributumに属する、すなわち実在的に区別されると仮定しています。すると第一部公理五により、XとAの間には、一方が他方を認識するcognoscere、すなわち一方が他方の認識を含むという関係はあり得ないということが理解できます。あるいはこれは、僕がこの第一部公理五の暫定的な意味としたことからより明らかで、この場合にはある知性intellectusが、A(原因)を認識することによってX(結果effectus)を認識することができないということになります。
これは第一部公理四に反するので不条理ですが、この不条理は、XとAが実在的に区別されるという仮定から生じます。したがって、XとAは同一の属性に属していなければならず、このことから一般的に、ある属性の様態が神Deusを原因として存在existentiaと作用に決定されるとしても、それは神が無限infinitumであるという意味ではなく、それが様態となっている属性のもとで神が説明される限りでのことであるということが出てくると思います。
管理していたのはやはり池江泰郎調教師。早くに2勝を挙げ、クラシック路線に乗り、桜花賞GⅠ3着、優駿牝馬(オークス)GⅠ2着。やや引掛かり気味に先行してゴール前で何かに差されるというレースを続け、3勝目にして待望の重賞初勝利となったのが4歳夏のクイーンステークスGⅢ。続く府中牝馬ステークスGⅢも連勝、エリザベス女王杯GⅠは4着に負けたものの阪神牝馬ステークスGⅡは快勝。
この後、フェブラリーステークスGⅠに参戦、これが初めてのダート競馬だったのですが3着に善戦しました。この後、ドバイに行ってドバイワールドカップGⅠに挑戦し2着に敗れましたが、これは非常に価値が高いです。このレースはダート競馬では世界の最高峰に位置するレースのひとつ。実際にこのクラスのダート競馬で連対を果たした日本の馬は現在までこれだけで、ましてこの馬は牝馬ですからなおさら賞賛されていいと思います。
このレースの後、休養に入り、復帰初戦となったエリザベス女王杯で待望のGⅠ制覇。その後、有馬記念GⅠは超スローペースで逃げて3着と善戦、翌年またドバイに行きましたが今度は大敗を喫して引退しました。なお、サイレントディールのひとつ上の全姉にあたるビーポジティブもクイーン賞GⅢを制していて、フェアリードールは名繁殖牝馬といえます。
明日から熊本記念。出場選手が予定と少し入れ替わりました。
第二部定理六は、この証明方法とは別に、単に認識論に訴えるだけでも証明Demonstratioが可能であると僕は考えています。
仮にXというある様態modiがあるとすれば、第一部公理三からして、このXが存在する原因causa、たとえばAがあることになります。さらに第一部公理四から、この場合にはXの認識cognitioはAの認識に依存する、つまり、Xの真の観念idea veraのうちにはその原因であるAの真の観念が含まれていなければならないのです。
そこで今度は、XとAが異なった属性attributumに属する、すなわち実在的に区別されると仮定しています。すると第一部公理五により、XとAの間には、一方が他方を認識するcognoscere、すなわち一方が他方の認識を含むという関係はあり得ないということが理解できます。あるいはこれは、僕がこの第一部公理五の暫定的な意味としたことからより明らかで、この場合にはある知性intellectusが、A(原因)を認識することによってX(結果effectus)を認識することができないということになります。
これは第一部公理四に反するので不条理ですが、この不条理は、XとAが実在的に区別されるという仮定から生じます。したがって、XとAは同一の属性に属していなければならず、このことから一般的に、ある属性の様態が神Deusを原因として存在existentiaと作用に決定されるとしても、それは神が無限infinitumであるという意味ではなく、それが様態となっている属性のもとで神が説明される限りでのことであるということが出てくると思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます