スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ&奴隷と自由の人

2022-01-01 19:07:18 | 競輪
 12月29日に静岡競輪場で争われたヤンググランプリ。並びは高橋‐小原の北日本,坂井‐佐々木の関東,山口に伊藤,町田‐石原の中四国で寺崎は単騎。
 坂井がスタートを取って前受け。3番手に高橋,5番手に山口,7番手に寺崎,8番手に町田で周回。残り3周のバックの入口から町田が上昇開始。それを高橋が牽制するような動き。ホームに入って高橋が坂井を叩きました。ここから動いていったのが町田。町田の番手を山口が奪い,打鐘で町田が高橋を叩いて先行。しかし高橋が山口を牽制し,町田の番手には高橋が入りました。3番手に小原が続き,その後ろは混戦に。バックで坂井が動こうとすると,高橋マークの小原が牽制。その勢いのまま直線で外を踏んだ小原が突き抜けて優勝。最終コーナーで内を突いた山口の外から伸びた高橋が1車身半差の2着で北日本のワンツー。小原のさらに外から伸びた寺崎が4分の1車輪差で3着。
 優勝した青森の小原佑太選手は11月の静岡のFⅠ以来の優勝。グレードレースはこれが初制覇。ヤンググランプリはメンバーの脚力差が大きくなる一面があり,このレースでいえば山口,坂井,町田,寺崎の4人とほかの5人の間には差があると思えました。ただ,山口は負傷明けで,ほかの3人は絶対的な脚力があるというわけではないので,ラインや展開によってはその他の選手にもチャンスはあるだろうというレース。このレースは山口がうまく町田の番手を奪ったのですが,それをさらに高橋が阻止したことにより,山口は浮いてしまい苦しくなりました。しかもそれによって4番手が併走となったので,後ろの選手が動きにくい展開に。ですから高橋が山口が町田に続くのを阻止したことが,同じラインの小原の優勝に大きく貢献することになったといえるでしょう。

 こうした受動感情に対する人間の力が,麻雀のようなゲームの場合も成立するのです。したがって,不安metusとか欲望cupiditasといったような感情affectusによって,どのようにプレイするのかということを決定してしまうことを,プレイヤーは避けることができるのです。ただし,こうした人間の力というのは,一般的なものなのですから,たとえば麻雀にだけ特化して発揮するということは,絶対にできないとは僕はいいませんが,きわめて困難であることは間違いないと思います。ごく単純化していえば,常日頃は受動感情に流されるままに生きている人が,麻雀だけは受動感情に流されることなく合理性に基づいてプレイしようと決意したとしても,第四部定理六が適用される可能性が大であるでしょう。むしろ普段から受動感情に対する人間の力を発揮することを心掛けている人が,麻雀のようなゲームにおいても,感情に流されることなくプレイすることができるのだといえるでしょう。そしてこのことは一般的なことであり,麻雀のプレイがデジタルに基づくのかオカルトに依拠するのかということとは,直接的に関係するわけではありません。麻雀はオカルトに依拠するけれども,日常生活では受動感情に流されないように心掛けているという人はいるでしょうし,逆にデジタルなプレイを心掛けていても,普段は受動感情に対抗しようと心掛けていない人もいるであろうからです。スピノザは第四部定理六六備考で,感情や意見opinioのみに導かれる人間と,理性ratioに導かれる人間について,前者を奴隷servus,後者を自由の人homo liberと名づけています。これでみれば分かるように,普段の生活から自由の人であるほど,麻雀のようなゲームでも,感情に流されることなくプレイすることができるといえるでしょう。
                                   
 なお,この点について留意しておくべきことは,奴隷とか自由の人というのは,特定の人のことを意味するのではありません。同じ人間が奴隷にもなるし自由の人にもなるのです。つまりある人間は,感情に流されている限りは奴隷ですが,理性に導かれているのなら自由の人です。つまり自由の人であるときの割合が高い人ほど,ゲームでも受動感情に対抗してプレイをすることができるということです。

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