スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&適性

2022-02-07 19:08:40 | 将棋
 関根名人記念館で指された昨日の第48期女流名人戦五番勝負第三局。
 伊藤沙恵女流三段の先手。3手目に☗2五歩と突いたこともあり,後手の里見香奈女流名人はノーマル向飛車に。先手が居飛車穴熊を目指し,後手は急戦を仕掛けました。
                                        
 2四で歩の交換が行われ,後手が角を引いた局面。ここで☗2五歩と打って飛車交換を阻止しました。飛車交換を防ぐのは当然ですが,☗2五歩はやや危険で,おとなしく☗2七歩と打つ方がよかったと思います。
 後手はチャンスと見て☖4五歩と突きました。☗6六歩と角交換を阻止するのは☖4四角~☖3三桂で2五の歩が受かりません。なので☗2四歩と突きましたが☖7七角成☗同金☖3三桂。
                                        
 第2図では☗2三歩成☖同金☗4三角がよかったようです。実戦は☗2三角と打って玉砕する将棋になりました。ただ,第2図がどうというより,急戦を匂わせている後手に対して,真直ぐに居飛車穴熊に組もうとした構想に問題があったように思います。
 里見名人が勝って1勝2敗。第四局は24日に指される予定です。

 第三種の認識cognitio tertii generisに対する適性をある知性intellectusが有し得るということは,第五部定理二六から明白です。一方,この定理Propositioの論証Demonstratioから,ある人間の知性が第二種の認識cognitio secundi generisに対する適性を有し得るということもまた明白でしょう。そしてこの適性は異なる適性です。そのことは,これらのことが第三部諸感情の定義一に依拠していることから明白です。それはその知性の現実的本性actualis essentiaによって説明されているのですが,第二種の認識でものを認識することを欲する現実的本性と,第三種の認識でものを認識することを欲する現実的本性が,同一の現実的本性であるということはあり得ないからです。
 この適性の相違によって,。ある人間の知性のうちでは,第二種の認識と第三種の認識が対立的であると表象される場合が生じ得ます。もっとも,第三種の認識に対する適性を有している場合にはこのことは発生しないでしょう。というのも,第三種の認識によってものを認識するcognoscereことを欲するのであれば,第二種の認識でものを認識することを欲することは不要だからです。他面からいえば,第三種の認識でものを認識することを欲している人間の知性が,第三種の認識でものを認識したのなら,そのことを第二種の認識で確認する,つまり第三種の認識で認識したことが正しいということを論証するということは不要であるからです。しかし,第二種の認識に対する適性が高いという場合には,それが第三種の認識と対立すると表象される場合があり得ます。第五部定理二六は,第三種の認識に対する適性が高い場合には第三種の認識でものを認識することを欲するといっていて,これと同じことが第二種の認識にも該当するのですが,一方で第五部定理二八は,第二種の認識からも第三種の認識でものを認識する現実的本性が生じるといわれているので,第二種の認識に対する適性が高い人間の知性が,第三種の認識でものを認識するということは当然ながらあるからです。しかしその人間の知性は,第二種の認識でものを認識することを自身の知性の現実的本性である,つまり与えられた本性であると認識しているのですから,その第三種の認識が自身の現実的本性に反すると認識することがあり得るのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« たちあおい賞争奪戦&第五部... | トップ | 農林水産大臣賞典佐賀記念&誘惑 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事