スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&個を証するもの

2016-02-20 19:41:06 | 将棋
 北國新聞会館で指された第41期棋王戦五番勝負第二局。
 渡辺明竜王の先手で佐藤天彦八段の横歩取り。先手が3六に飛車を引かずに▲5八王と上がって相横歩取りから激しい展開に。先手がこの戦いに誘導したように思えるので,事前の研究があったかと推測されます。
                                    
 先手が角を打って受けた局面。感想戦の結論としてはすでに後手が指せるということで,先手の作戦が失敗だったようです。研究に穴があったか,△2六歩と▲3八銀が指されていない形で研究していたかのどちらかだと僕には思えます。
 △6六桂に▲同歩と取りましたが,ここは▲4八王と指した方がよかったようです。そしてそれが先手にとっては最後のチャンスだった模様。
 △5七桂成▲5九王△6八成桂▲同銀までは変化の余地がない順。先手が事前に研究していた範疇には入っていたというのが僕の予測です。
 △7八龍と逃げました。先手は王手龍取りを含みに▲6四桂。ここで△6二玉と逃げたのが正しい応接で,後手が勝ちを引き寄せた手。先手は▲5五桂から打った桂馬を捨てての王手龍取りを狙いにしましたが△6九金▲4八王△6八龍と王手の連続手順で交わされました。ここはもう研究の範疇外でしょう。
 ▲3七王と逃げましたが△4四角が事実上の決め手。後手玉を寄せる手順がないので▲4六角と打ちましたが△5七銀と打ち返されて,この局面は後手の勝勢です。
                                    
 佐藤八段が勝って1勝1敗。第三局は来月6日です。

 『個と無限』の第4章は「個を証するもの」というタイトルです。この中で,第五部定理二三の中には不明瞭な点があると指摘されています。
 「個を証するもの」は,精神の永遠性をスピノザがどう解していたかを見極めようという意図から探求されています。つまり第五部定理二三が特定の考察対象となっているわけではありません。ですからここではこの論文の全体に関して論評することはしません。ですが佐藤が第五部定理二三に関して言及している内容は,現状の僕の考察との関連で看過できない内容を含んでいます。なので佐藤の主張も参考にして,その内容についてしばらく考えていくことにします。
 第五部定理二三というのは,現実的に存在する人間の精神の中には永遠であるあるものがあって,そのあるものは永遠であるがゆえに,人間の身体が現実的に存在することを停止したとしても,つまりその人間が死んだとしても,破壊されることはないということを主張していると解釈しなければなりません。その証明を別にすれば,これ自体は明白であるといっていいだろうと思います。永遠であるものは時間によって限定されない,他面からいえば持続のうちに現実的に存在するのではないので,破壊される,つまり存在しなくなるということはあり得ないからです。これはたとえばライオンの自然権が,神の属性に包含されているなら絶対的に侵されることはないということと同じです。
 ところがこの定理は,あるものaliquidが永遠であるとだけいっていて,そのあるものが具体的に何であるかが分からないようになっています。佐藤が第五部定理二三に不明瞭な点があるというのはこのような意味においてです。そして僕もこのことについては同意できます。確かにこの定理をそのあるものというのを重視して読解するならば,現実的に存在する精神のうちには,何であるかは規定できないけれども確実に永遠であるといえるものが含まれていて,何であるか分からないそのものは人間の死をもっても破壊されないということになるでしょう。何か分からないけれども永遠であるもの,などといういい回しが,定理として許されるのでしょうか。

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