『彼岸過迄』までの事情を説明したときにいったように,『虞美人草』の次に漱石が朝日新聞に掲載した連載小説は『坑夫』です。
実はこの掲載にもある事情がありました。『虞美人草』の後は,二葉亭四迷の小説が掲載されました。その次に島崎藤村が小説を連載する予定だったのですが,執筆がはかどらなかったために,その間の穴埋めが必要になりました。そのために掲載されたのが『坑夫』です。こうした事情が影響したかどうかは不明ですが,この小説は漱石の小説としては異色作といえます。
『坑夫』は1908年の元日から掲載が開始されました。その前年の11月に,漱石は荒井という青年の訪問を受け,自分の身の上話を聞き,それを小説にしてほしいと依頼されました。どうも荒井は金が必要だったようで,小説の素材を漱石に与えることで報酬を得ようとしたようです。しかし漱石はそうした個人の事情を小説にはしたくないと考え,もしそれを小説にするのであれば,荒井自身が書くのがよいだろうといって断りました。ところが漱石は急に小説を連載しなければならなくなったため,この荒井の身の上話を題材として『坑夫』を書きました。
小説の内容は,家出をした青年が坑夫になる決心をして,銅山で働くという話です。銅山の中が小説の舞台で,そこで一緒に働く人びととの交流が中心となっています。ただし,何かそこに明確なストーリーがあるというよりは,銅山での仕事および坑夫の生活というのがどういったものであるかということを伝える,ルポルタージュ的な要素が大きくなっています。
小説の最後で主人公は東京に帰ります。そして漱石は,これが自分の坑夫についての経験のすべてで,そのすべてが事実であるとした上で,その証拠に小説になっていないといって『坑夫』を終えます。つまり漱石自身にとっても,『坑夫』は異色の小説であったのです。そもそも島崎藤村の遅筆がなければ,書かれることがなかった小説だったといえるかもしれません。
スピノザが示しているふたつの土台は,なぜそれが土台とならなければならないのかという観点から説明ができると僕は考えています。
まず,政治的権力を行使する者には任期が必要であるというのは,同じ人間が長期にわたって権力を行使することを防止するためです。現在でも俗に権力は腐敗するといわれたりしますが,基本的にスピノザもそのように考えていると解してよいでしょう。すなわち権力を行使する期間が長きにわたってくるほど,その人間は敬虔pietasであることが困難になってくるとスピノザは考えているのです。他面からいえば,権力を行使する人間は,自身の現実的本性actualis essentiaに応じて権力を行使することになるのですが,権力を行使し始めるときと,それを長きにわたって行使したときでは,その人間の現実的本性が変容するというようにスピノザは考えているということです。与えられた現実的本性が変化するということは,第三部諸感情の定義一により,その人間の欲望cupiditasが変化するという意味です。つまり政治的権力を行使することへ向かう欲望のあり方が変化するということであり,このときこの変化は,敬虔であることへ向かう欲望からそれとは別の方向への欲望に変化する,少なくともそういう変化が起こりやすいというようにスピノザは考えているのです。
もうひとつ,権力を行使する役職を退いた人間は,再任されてはならないということの理由は,おそらくそうしたことがしばしば生じると,政治が反動的になりやすいとスピノザは考えているからだと思われます。これはスピノザが生きていた時代に大いに関係しているのだろうと推測されます。スピノザが生きていたオランダは,王党派と議会派が政治権力を巡って争っていたわけですが,スピノザは議会派の方を支持していて,それは議会派が進歩的であるのに対して王党派は反動的であったからです。もっといえば王党派が目指す政治は,懐疑論的国家に近いものがあると,スピノザには見えていたのかもしれません。ですから政治が反動的な方向に向かうことは避けるべきだとスピノザは考えていて,それが権力者の再任は避けなければならないということの理由になっているのだと思います。
実はこの掲載にもある事情がありました。『虞美人草』の後は,二葉亭四迷の小説が掲載されました。その次に島崎藤村が小説を連載する予定だったのですが,執筆がはかどらなかったために,その間の穴埋めが必要になりました。そのために掲載されたのが『坑夫』です。こうした事情が影響したかどうかは不明ですが,この小説は漱石の小説としては異色作といえます。
『坑夫』は1908年の元日から掲載が開始されました。その前年の11月に,漱石は荒井という青年の訪問を受け,自分の身の上話を聞き,それを小説にしてほしいと依頼されました。どうも荒井は金が必要だったようで,小説の素材を漱石に与えることで報酬を得ようとしたようです。しかし漱石はそうした個人の事情を小説にはしたくないと考え,もしそれを小説にするのであれば,荒井自身が書くのがよいだろうといって断りました。ところが漱石は急に小説を連載しなければならなくなったため,この荒井の身の上話を題材として『坑夫』を書きました。
小説の内容は,家出をした青年が坑夫になる決心をして,銅山で働くという話です。銅山の中が小説の舞台で,そこで一緒に働く人びととの交流が中心となっています。ただし,何かそこに明確なストーリーがあるというよりは,銅山での仕事および坑夫の生活というのがどういったものであるかということを伝える,ルポルタージュ的な要素が大きくなっています。
小説の最後で主人公は東京に帰ります。そして漱石は,これが自分の坑夫についての経験のすべてで,そのすべてが事実であるとした上で,その証拠に小説になっていないといって『坑夫』を終えます。つまり漱石自身にとっても,『坑夫』は異色の小説であったのです。そもそも島崎藤村の遅筆がなければ,書かれることがなかった小説だったといえるかもしれません。
スピノザが示しているふたつの土台は,なぜそれが土台とならなければならないのかという観点から説明ができると僕は考えています。
まず,政治的権力を行使する者には任期が必要であるというのは,同じ人間が長期にわたって権力を行使することを防止するためです。現在でも俗に権力は腐敗するといわれたりしますが,基本的にスピノザもそのように考えていると解してよいでしょう。すなわち権力を行使する期間が長きにわたってくるほど,その人間は敬虔pietasであることが困難になってくるとスピノザは考えているのです。他面からいえば,権力を行使する人間は,自身の現実的本性actualis essentiaに応じて権力を行使することになるのですが,権力を行使し始めるときと,それを長きにわたって行使したときでは,その人間の現実的本性が変容するというようにスピノザは考えているということです。与えられた現実的本性が変化するということは,第三部諸感情の定義一により,その人間の欲望cupiditasが変化するという意味です。つまり政治的権力を行使することへ向かう欲望のあり方が変化するということであり,このときこの変化は,敬虔であることへ向かう欲望からそれとは別の方向への欲望に変化する,少なくともそういう変化が起こりやすいというようにスピノザは考えているのです。
もうひとつ,権力を行使する役職を退いた人間は,再任されてはならないということの理由は,おそらくそうしたことがしばしば生じると,政治が反動的になりやすいとスピノザは考えているからだと思われます。これはスピノザが生きていた時代に大いに関係しているのだろうと推測されます。スピノザが生きていたオランダは,王党派と議会派が政治権力を巡って争っていたわけですが,スピノザは議会派の方を支持していて,それは議会派が進歩的であるのに対して王党派は反動的であったからです。もっといえば王党派が目指す政治は,懐疑論的国家に近いものがあると,スピノザには見えていたのかもしれません。ですから政治が反動的な方向に向かうことは避けるべきだとスピノザは考えていて,それが権力者の再任は避けなければならないということの理由になっているのだと思います。
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