スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&表象の必然性

2008-07-28 20:54:37 | 将棋
 竜王戦挑戦者決定トーナメントの開幕戦で豊島将之四段を破った糸谷哲郎五段は,その次に兄弟子の増田裕司五段にも勝ち,今日は羽生善治名人に挑みました。
 振駒で先手は糸谷五段。羽生名人の一手損角換りで,1-①の形になりました。
 この形になると,先手が▲1六歩と突いたとき,後手が△1四歩と受ければ先手の早繰り銀から急戦に,受けなければ▲1五歩と位を取って持久戦になるという将棋が多いです。ただしこの将棋は△1四歩と受け,早繰り銀にはなりましたが,すぐの戦いにはなりませんでした。
 その後,一時的に相腰掛銀の形に。先手がこの銀を4七に引き,3筋の位を奪還しにいったところで,後手から仕掛けることになりました。
           
 一段落したところの分かれは,銀桂交換で後手の駒得,先手は馬を作るという形。
           
 ここから,馬と飛車の交換になり,先手は龍を作って角を取り,後手は銀を取ってと金を作りました。
           
 しかし第3図で△4六角を防ぐために▲7九角と打たなければいけないようでは先手が苦しい気がします。第2図から第3図の間,角交換にする手段は先手にありましたが,▲9四桂とここに投資してしまっている関係で,それも後手の方がいいのではないかと思います。
 第3図以降はしっかり時間を投入して寄せきり,後手が勝ちました。勝った羽生名人の次の相手は深浦康市王位です。
 感想戦の内容を簡単に追記しておきます。第1図から第2図の間,△8五桂に▲7六銀としておくべきだったようです。実戦の分かれは,7筋に後手の歩が効くようになってしまった点で後手に利があったとのことでした。

 明日は小松島記念の決勝です。並びは山崎-岡部の福島に遠沢,金子-加藤-古田の中部,渡部-堤の四国に前田。山崎選手が強いですが,ここは渡部選手を狙いたい気がします。

 その表象の仕方自体をこりん星なりペガサスなりの十全な観念=真の観念の対象と考えるならば,この対象は形相的に有であるといえます。そしてそれが有であるということの意味は,月が有であるということの意味と何ら変わるところはありません。よってこのように考える限り,月の表象像が月の十全な観念との関係で考えられる限り,同一の必然性で生じるといわれても,またそれが有であるといわれても問題ないように,こりん星やペガサスのように,それ自体では形相的に無であると考えれる観念が人間の精神のうちに形成されるような場合にも,それが必然的に生じ,またそのように生じると考えられる限りで実在的であるといわれても何の問題もないということになります。
 ただこの場合に問題となるのは,月の場合には,月の十全な観念というものが確かに人間の精神のうちに形成され得るのに対して,こりん星とかペガサスの場合には,必ずしもそのようにいうことはできないという側面があるということです。つまりこうしたものが表象像としてしか人間の精神のうちにあることができないならば,表象の様式というのは人間の精神のうちに十全な観念としてあることができませんから,十全な観念は人間のうちにはなく,神のうちにのみあることになります。つまりこの観念は,ある人間の精神の本性を構成する限りでは神のうちにはなく,ある人間の精神の本性を構成すると共に,何かほかのものの観念も有する限りで神のうちにのみあるということになるのです。
 つまりこの場合には,人間の精神のうちにあるXの混乱した観念と,同じ人間の精神のうちにあるXの十全な観念が同一の必然性で生じると第二部定理三六の意味を考えることが,現実的には何の意味も伴わないということになるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« よしこの賞&無の対象 | トップ | 小松島記念&虚偽と誤謬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事