9日に鶴巻温泉で指された第12期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が1勝,里見香奈女流名人が5勝。これには叡王戦とNHK杯の予選が含まれます。
振駒で西山女王の先手で三間飛車。里見女流名人が向飛車に振っての相振飛車。中盤の戦いで先手が押さえ込まれてしまい苦戦を招きました。
後手が☖2七歩成と銀を取って王手し,先手が1八にいた王で取った局面。
ここで☖7八銀と打てば先手は飛車を横に逃げるほかなく,☖8七銀成から角を入手すれば,手数は長くなっても後手の完封勝ちといえる将棋になっていました。
実戦は☖6七歩成と指しました。使えそうなと金を作れるのですから大きな手なのですが,このために先手の角の利きが通ってしまったので☗5五金という勝負手を与えてしまいました。精査すると後手は悪くなったわけではありませんが,勝つのはすでに容易ではなくなっています。
☖7八と☗5四金☖同銀上と進み先手は☗9三桂と打ちました。これが詰めろで後手は☖8三玉。
ここで☗6六飛とただのところに浮く手が飛び出しました。☖同銀☗同角は先手有望の変化。ということで☖5九角成と逃げました。先手はそうしておいてから☗6五飛。
これを☖同銀と取れば難解な戦いが続いたのですが☖同桂。これには☗6四銀と縛り,先手の勝ちになっていました。
西山女王が先勝。第二局は22日です。
反論が容易に予想できるので,前もって弁明しておきます。
旧版の115ページ,新版の139ページから始まっている第二部自然学②補助定理七備考で,スピノザは認識cognitioの終焉地点として,延長の属性Extensionis attributumの間接無限様態である,ひとつの個体としての全自然を示しています。そしてこの認識の開始地点は,最も単純な諸物体からのみ組織されている個体となっています。この開始地点の個体は,明らかに分割することが可能な物体corpusです。これは諸物体から組織されているといわれているのですから,本性essentiaが異なるいくつかの物体すなわち延長の属性の個物res singularisに分割することが可能であると認めなければなりません。ですが,そうして分割されたいくつかの物体は,最も単純であるといわれていますから,さらに分割することが不可能であるように思えます。いい換えればスピノザは,それ以上は分割することができない物体というのがあって,しかもそれはひとつではなく,数的にいい換えれば様態的に区別されるいくつかの最も単純な物体,ここでいうそれ以上は分割することができない物体があるということを認めているように解せるのです。
これはそのままそう解しても問題ないと僕は思います。というのはこれは実際にそういう物体があるということをいいたいわけではなく,認識の開始地点として理念的にそのようなものを想定しているだけだと考えるからです。むしろスピノザがこのようないい方をすることで何かを意味したいのであるとすれば,それは現実的に存在する個物,備考Scholiumに適合させれば現実的に存在する物体について言及しようとしているということだと僕は考えます。いい換えれば,現実的に存在する物体のうちに,最も単純な物体というのを想定し,そこから認識を開始すれば,そうした物体の複合を認識していくことによって,ついにはひとつの個体としての全自然の認識に至るのだということをスピノザはいいたいのであり,それ以上は分割することができない最も単純な物体というものが,神Deusの属性に包容されてであれ現実的にであれ,実際に存在するということを主張したいわけではないと僕は考えるのです。
なぜそう解するのかも説明します。
振駒で西山女王の先手で三間飛車。里見女流名人が向飛車に振っての相振飛車。中盤の戦いで先手が押さえ込まれてしまい苦戦を招きました。
後手が☖2七歩成と銀を取って王手し,先手が1八にいた王で取った局面。
ここで☖7八銀と打てば先手は飛車を横に逃げるほかなく,☖8七銀成から角を入手すれば,手数は長くなっても後手の完封勝ちといえる将棋になっていました。
実戦は☖6七歩成と指しました。使えそうなと金を作れるのですから大きな手なのですが,このために先手の角の利きが通ってしまったので☗5五金という勝負手を与えてしまいました。精査すると後手は悪くなったわけではありませんが,勝つのはすでに容易ではなくなっています。
☖7八と☗5四金☖同銀上と進み先手は☗9三桂と打ちました。これが詰めろで後手は☖8三玉。
ここで☗6六飛とただのところに浮く手が飛び出しました。☖同銀☗同角は先手有望の変化。ということで☖5九角成と逃げました。先手はそうしておいてから☗6五飛。
これを☖同銀と取れば難解な戦いが続いたのですが☖同桂。これには☗6四銀と縛り,先手の勝ちになっていました。
西山女王が先勝。第二局は22日です。
反論が容易に予想できるので,前もって弁明しておきます。
旧版の115ページ,新版の139ページから始まっている第二部自然学②補助定理七備考で,スピノザは認識cognitioの終焉地点として,延長の属性Extensionis attributumの間接無限様態である,ひとつの個体としての全自然を示しています。そしてこの認識の開始地点は,最も単純な諸物体からのみ組織されている個体となっています。この開始地点の個体は,明らかに分割することが可能な物体corpusです。これは諸物体から組織されているといわれているのですから,本性essentiaが異なるいくつかの物体すなわち延長の属性の個物res singularisに分割することが可能であると認めなければなりません。ですが,そうして分割されたいくつかの物体は,最も単純であるといわれていますから,さらに分割することが不可能であるように思えます。いい換えればスピノザは,それ以上は分割することができない物体というのがあって,しかもそれはひとつではなく,数的にいい換えれば様態的に区別されるいくつかの最も単純な物体,ここでいうそれ以上は分割することができない物体があるということを認めているように解せるのです。
これはそのままそう解しても問題ないと僕は思います。というのはこれは実際にそういう物体があるということをいいたいわけではなく,認識の開始地点として理念的にそのようなものを想定しているだけだと考えるからです。むしろスピノザがこのようないい方をすることで何かを意味したいのであるとすれば,それは現実的に存在する個物,備考Scholiumに適合させれば現実的に存在する物体について言及しようとしているということだと僕は考えます。いい換えれば,現実的に存在する物体のうちに,最も単純な物体というのを想定し,そこから認識を開始すれば,そうした物体の複合を認識していくことによって,ついにはひとつの個体としての全自然の認識に至るのだということをスピノザはいいたいのであり,それ以上は分割することができない最も単純な物体というものが,神Deusの属性に包容されてであれ現実的にであれ,実際に存在するということを主張したいわけではないと僕は考えるのです。
なぜそう解するのかも説明します。
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