スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&最後の手料理

2018-10-15 19:05:00 | 将棋
 11日と12日にセルリアンタワー能楽堂で指された第31期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は羽生善治竜王が15勝,広瀬章人八段が8勝。
 文化庁長官による振駒で羽生竜王の先手となり角換り。戦いが始まってから相腰掛銀になりました。ハイライトは熾烈な終盤戦。
                                     
 後手が桂馬を打った局面。ここで☗4一飛☖2九飛のように攻め合うと後手が勝つようです。そこで先手は相手の打ちたいところに打てと☗2九飛と自陣飛車を打ちました。先手は自陣に駒をたくさん打っているのですが,角と金銀の交換で駒得になっていますから,長引けば自然とよくなっていくような局面だと考えていいのではないでしょうか。
 後手は☖7七歩☗7九金の交換を入れてから☖2四飛と打ち返して馬取りを受けました。先手は☗2六飛☖同飛と取ってしまって☗3一角の王手。攻めるなら飛車より角がよいということでしょう。後手は☖4三玉と逃げて先手は☗6四角成と馬を作りました。
 後手は☖2九飛成と反撃。これには☗3九歩。後手は☖4七桂成☗同金直と進めて取った銀を☖2七銀と打ちました。先手は☗6五銀と取り後手は☖3八銀不成。
                                     
 ここで☗5四銀☖3四玉☗4五銀打なら先手が押し切っていました。しかし☗5四馬と取って☖3四玉に☗2六桂☖同龍☗3八歩の順で銀を外したので混戦に。後手の☖3九飛が攻防兼用のぴったりした手でした。
 ☗5九桂の受けに☖3八飛成☗4八銀。そこで☖3五桂と打ったのが厳しい手のようで敗着に。
                                     
 第3図は☗4九銀と埋められて後手に適当な手段がありませんでした。ですから後手は先に☖4九金と打っておくべきで,それならむしろ分のある戦いでした。
 羽生竜王が先勝。第二局は23日と24日です。

 6月15日,金曜日。午後1時40分に訪問看護師が来訪しました。これは12日に来訪したのと同じふたりでした。母が使うことができそうな試供品をいくつか持ってきてくれました。この中に風呂上りに飲用するパック入りの水がありましたが,これは母が気に入りましたので,僕がドラッグストアで買い続けることになりました。正式な契約を交わしたのはこの日で,基本的に火曜日と金曜日に訪問介護を実施することになりました。ただ,訪問看護師は母だけを看護するわけではなく,ほかにも患者がいます。ですから何時に訪問するかは,個別に決定するということになりました。とはいえ基本的には午後1時半でした。
 この日は入浴の介助が行われたのですが,僕は妹を迎えに行かなければなりませんでしたので,訪問看護の最中に出掛けました。僕が帰宅するまでには看護は終って看護師は帰ります。つまり自宅には母がひとりだけということになるのですが,この時期の母はまだひとりで家にいてもとくに心配する必要はない状況でした。母は最終的には希望していた通り,緩和病棟に入院することになるのですが,その入院のときまで,同じような状態であり続けたと考えてもらって構いません。ただそのときには伯母が来日していましたので,実際に母がひとりで家にいるという状況は発生しなくなっていました。
 この日は妹を連れて帰ったとき,夕食の支度がしてありました。母が家族の夕食の支度をしたのはこの日が最後です。僕はともかく妹には最後にもう1度だけ手料理を振舞いたいという思いが母にはあったようです。
 6月16日,土曜日。母の学生時代の同級生がふたり来訪し,1時間半ほど母と話をして帰りました。これはもちろん母が自身の状況を伝え,来てもらったものです。
 6月17日,日曜日。ピアノのレッスンがありました。この週は金曜日に先生から電話があり,午後3時の開始となっています。
 6月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。そして午前11時45分に訪問医の来訪がありました。訪問医は往診時には僕がいる必要があるという見解でした。この時間なら間に合うのは確実だったのです。

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