昨夏に何度かルールの公理系について言及しました。そしてその中で僕は,哲学においてスピノザの哲学を好むような人間は,ルールの公理系が単純な競技を好む傾向があるのではないかといいました。逆にいえばこれは,ルールの公理系がシンプルな競技を好むような人は,スピノザの哲学の世界に入ってきやすいし,また引き込まれやすいだろうということも意味します。
僕はこのことについて,あてずっぽうのような仮説といいましたけれども,だからといって何の根拠もなくそのような仮説を立てたというわけではありません。今日はその仮説の根拠となった,あるいはこの仮説を強化するような一冊の本をご紹介します。それが表題にある『漱石,もう一つの宇宙』というもの。著者は塚本嘉壽さん。1994年に新曜社から出版されたものです。
なぜこの本が僕の仮説を強化し得るのか,またそもそもなぜ僕はこの本を読むことになったのかということについては後日に詳しく説明します。今日はこの本がどんな内容かを説明することにしましょう。
この本のサブタイトルは「病跡学的アプローチ」となっています。病跡は主に心理的なもの。この本の最大の特徴は,それを夏目漱石の有名な小説の数々から明らかにしようとするのではなく,むしろ漱石による評論や山水画,漢詩から明らかにしている点にあります。
病跡学そのものに僕は詳しくありませんから,この本に対する正当な評価は困難です。ただ,次のふたつのことは僕には確実にいえます。第一に,これがきわめて意欲的な取組みであるということです。そして第二に,漱石についての分析というより,自分自身に関連させて読んでみたとき,そこにはとても納得というか合点がいくような内容が含まれていたということです。
鼻水などというものは場所を選んで出てくれるわけではありません。どんなに忙しく仕事をしていたって,出てきてしまうときには出てきてしまうわけです。僕などはやはりそういうことも頻繁にあります。マスクを着用して,食品の釜入れ作業をしていたときに起きたちょっとした事件というのはこのことでした。
といっても,マスクをしているのですから,鼻水が出ていたとしても,当座はだれかにそれを見られてしまうという心配はありません。そこで僕は,一段落してから鼻を拭くことにして,そのまま仕事を続けていきました。このことから分かるように,実際にこの仕事は,一時的には鼻をかんだり拭いたりもできなくなってしまうほどに忙しいものだったのです。別に弁明する必要はないのですが,これは僕の仕事の手際が悪かったからそうなってしまったというわけではありません。
釜は当然ながらとても熱いです。火傷を防止するために軍手着用は釜入れ作業のときには必須。このコンベア式の釜の場合は,釜の中にある程度の湿気を保つために,食品の釜入れの最初と最後に専用の鍋のようなものの中に水を入れて流すのですが,それを終えて僕はようやくマスクの上を軍手で拭いました。拭った軍手を見てびっくり。それが真赤に染まっていたからです。僕は自分では鼻水を垂らしながら働いていたつもりだったのですが,実際には鼻血を流していたのです。今から思えば,もしもこのとき,僕の働く姿を誰かが見ていたら,さぞかしびっくりしたろうと思います。マスクが血染めになっていれば,鼻血ではなく吐血を疑わせかねないからです。
この事件が起きたのはちょうど昼前でした。直属の上司に鼻血が出た旨を報告し,いつもより少し早めの昼休みとなりました。
僕はこのことについて,あてずっぽうのような仮説といいましたけれども,だからといって何の根拠もなくそのような仮説を立てたというわけではありません。今日はその仮説の根拠となった,あるいはこの仮説を強化するような一冊の本をご紹介します。それが表題にある『漱石,もう一つの宇宙』というもの。著者は塚本嘉壽さん。1994年に新曜社から出版されたものです。
なぜこの本が僕の仮説を強化し得るのか,またそもそもなぜ僕はこの本を読むことになったのかということについては後日に詳しく説明します。今日はこの本がどんな内容かを説明することにしましょう。
この本のサブタイトルは「病跡学的アプローチ」となっています。病跡は主に心理的なもの。この本の最大の特徴は,それを夏目漱石の有名な小説の数々から明らかにしようとするのではなく,むしろ漱石による評論や山水画,漢詩から明らかにしている点にあります。
病跡学そのものに僕は詳しくありませんから,この本に対する正当な評価は困難です。ただ,次のふたつのことは僕には確実にいえます。第一に,これがきわめて意欲的な取組みであるということです。そして第二に,漱石についての分析というより,自分自身に関連させて読んでみたとき,そこにはとても納得というか合点がいくような内容が含まれていたということです。
鼻水などというものは場所を選んで出てくれるわけではありません。どんなに忙しく仕事をしていたって,出てきてしまうときには出てきてしまうわけです。僕などはやはりそういうことも頻繁にあります。マスクを着用して,食品の釜入れ作業をしていたときに起きたちょっとした事件というのはこのことでした。
といっても,マスクをしているのですから,鼻水が出ていたとしても,当座はだれかにそれを見られてしまうという心配はありません。そこで僕は,一段落してから鼻を拭くことにして,そのまま仕事を続けていきました。このことから分かるように,実際にこの仕事は,一時的には鼻をかんだり拭いたりもできなくなってしまうほどに忙しいものだったのです。別に弁明する必要はないのですが,これは僕の仕事の手際が悪かったからそうなってしまったというわけではありません。
釜は当然ながらとても熱いです。火傷を防止するために軍手着用は釜入れ作業のときには必須。このコンベア式の釜の場合は,釜の中にある程度の湿気を保つために,食品の釜入れの最初と最後に専用の鍋のようなものの中に水を入れて流すのですが,それを終えて僕はようやくマスクの上を軍手で拭いました。拭った軍手を見てびっくり。それが真赤に染まっていたからです。僕は自分では鼻水を垂らしながら働いていたつもりだったのですが,実際には鼻血を流していたのです。今から思えば,もしもこのとき,僕の働く姿を誰かが見ていたら,さぞかしびっくりしたろうと思います。マスクが血染めになっていれば,鼻血ではなく吐血を疑わせかねないからです。
この事件が起きたのはちょうど昼前でした。直属の上司に鼻血が出た旨を報告し,いつもより少し早めの昼休みとなりました。
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