『外国人レスラー最強列伝』の第13章,最終章は大木金太郎です。大木は韓国人ではありますが,日本陣営で戦った期間の方が長いので,あまり相応しくないと思うのですが,門馬としても大木については触れたいという気持ちが強く,ここに入れたということでしょう。
僕のプロレスキャリアが始まったときには大木は韓国に帰り,現地のヒーローでしたので,僕が見たのはそれ以前の日本の試合がVTRで放映されたものに限られます。たぶんそれも馬場との試合と黒い呪術師との試合だけなので,レスラーとしての大木の真価については僕はあまりいうことができません。
大木は1959年に力道山の日本プロレスに入門。同年の11月にデビュー。デビュー戦の相手はレスラー時代のジョー・樋口だったそうです。この頃,馬場,猪木,そしてマンモス・鈴木の3選手も入門していて,大きも含めた4人は力道山道場の四天王と呼ばれていました。猪木のデビューは翌年の9月。その相手が大木でした。
1963年12月に力道山の命を受けてアメリカに。馬場は渡米後ほどなくしてフレッド・アトキンスを師匠にしましたが,最初に馬場を迎えたのはグレート・東郷で,大木の場合も同様でした。すぐに指令通りにWWAのタッグ王者になったのですが,直後に力道山が急逝。翌年の2月に日本に戻りました。そして1965年に日韓基本条約が締結され,韓国でも試合をしました。猪木や馬場が離脱した後も日本プロレスに残り,日本プロレスが崩壊すると新日本,全日本,国際と,当時に存在した3つの団体のすべてのリングに上がっています。
馬場が日本プロレスのエースとなったのは,力道山が急逝したからです。力道山がもっと長く生きていたら,大木だけが日本に戻り馬場はアメリカに残っていた可能性が高く,大木と馬場のプロレス人生はもっと異なったものになっていたかもしれません、
理性ratioによる認識cognitioに限界があるということがスピノザの哲学に含まれている,あるいは『エチカ』の公理系には含まれているというのは事実です。ですがこれを考えるために,以下のことは忘れてはなりません。これは現状の考察とは関連しませんが,説明しておきましょう。
理性による認識,共通概念notiones communesによる認識が,いかにあの個物res singularisあるいはこの個物といわれるような個別的な事物の認識ではないとしても,十全な認識ではあるのです。このことは第二部定理三八と第二部定理三九から明白だといわなければなりません。したがって,スピノザは事物は一般的に認識されるほど混乱して認識され,個別的に認識されるほど十全に認識されるといっているのですが,一般的に認識されるからそれは混乱した観念idea inadaequataであるというわけではなく,一般的な認識のうちにも十全な認識というのもあるのです。
もっともこのことは,スピノザが共通概念を公理Axiomaと等置していることから明白であるといえるかもしれません。公理というのは公理系の根幹となるものですが,これはある程度まで一般的でないと成立しませんし,かといって混乱した内容を有している,誤った内容を有しているなら公理系自体が成立しません。とくにスピノザの哲学の場合,第二部定理四〇の4つの意味のうちに,十全な観念idea adaequataからは十全な観念だけが発生するということだけでなく,混乱した観念からは混乱した観念しか発生しないということが含まれているからです。したがって公理の中に誤った内容が含まれていれば,必然的にnecessario公理系の全体が誤っているということになってしまうのです。
第一部公理一は,すべてのものについて妥当しなければならない公理です。ですからこれは共通概念としてみるなら,第二部定理三八の様式で僕たちの精神mensのうちに発生する公理であるといえるでしょう。第一部の公理群はすべてそうだといえます。これに対して第二部公理一は,人間にだけ適用される公理です。よってこれが僕たちの精神mensのうちに発生するのは,僕たちが別の人間に刺激されるafficiことで発生します。つまり第二部定理三九の様式で僕たちの精神のうちに発生する共通概念すなわち公理であることになります。
僕のプロレスキャリアが始まったときには大木は韓国に帰り,現地のヒーローでしたので,僕が見たのはそれ以前の日本の試合がVTRで放映されたものに限られます。たぶんそれも馬場との試合と黒い呪術師との試合だけなので,レスラーとしての大木の真価については僕はあまりいうことができません。
大木は1959年に力道山の日本プロレスに入門。同年の11月にデビュー。デビュー戦の相手はレスラー時代のジョー・樋口だったそうです。この頃,馬場,猪木,そしてマンモス・鈴木の3選手も入門していて,大きも含めた4人は力道山道場の四天王と呼ばれていました。猪木のデビューは翌年の9月。その相手が大木でした。
1963年12月に力道山の命を受けてアメリカに。馬場は渡米後ほどなくしてフレッド・アトキンスを師匠にしましたが,最初に馬場を迎えたのはグレート・東郷で,大木の場合も同様でした。すぐに指令通りにWWAのタッグ王者になったのですが,直後に力道山が急逝。翌年の2月に日本に戻りました。そして1965年に日韓基本条約が締結され,韓国でも試合をしました。猪木や馬場が離脱した後も日本プロレスに残り,日本プロレスが崩壊すると新日本,全日本,国際と,当時に存在した3つの団体のすべてのリングに上がっています。
馬場が日本プロレスのエースとなったのは,力道山が急逝したからです。力道山がもっと長く生きていたら,大木だけが日本に戻り馬場はアメリカに残っていた可能性が高く,大木と馬場のプロレス人生はもっと異なったものになっていたかもしれません、
理性ratioによる認識cognitioに限界があるということがスピノザの哲学に含まれている,あるいは『エチカ』の公理系には含まれているというのは事実です。ですがこれを考えるために,以下のことは忘れてはなりません。これは現状の考察とは関連しませんが,説明しておきましょう。
理性による認識,共通概念notiones communesによる認識が,いかにあの個物res singularisあるいはこの個物といわれるような個別的な事物の認識ではないとしても,十全な認識ではあるのです。このことは第二部定理三八と第二部定理三九から明白だといわなければなりません。したがって,スピノザは事物は一般的に認識されるほど混乱して認識され,個別的に認識されるほど十全に認識されるといっているのですが,一般的に認識されるからそれは混乱した観念idea inadaequataであるというわけではなく,一般的な認識のうちにも十全な認識というのもあるのです。
もっともこのことは,スピノザが共通概念を公理Axiomaと等置していることから明白であるといえるかもしれません。公理というのは公理系の根幹となるものですが,これはある程度まで一般的でないと成立しませんし,かといって混乱した内容を有している,誤った内容を有しているなら公理系自体が成立しません。とくにスピノザの哲学の場合,第二部定理四〇の4つの意味のうちに,十全な観念idea adaequataからは十全な観念だけが発生するということだけでなく,混乱した観念からは混乱した観念しか発生しないということが含まれているからです。したがって公理の中に誤った内容が含まれていれば,必然的にnecessario公理系の全体が誤っているということになってしまうのです。
第一部公理一は,すべてのものについて妥当しなければならない公理です。ですからこれは共通概念としてみるなら,第二部定理三八の様式で僕たちの精神mensのうちに発生する公理であるといえるでしょう。第一部の公理群はすべてそうだといえます。これに対して第二部公理一は,人間にだけ適用される公理です。よってこれが僕たちの精神mensのうちに発生するのは,僕たちが別の人間に刺激されるafficiことで発生します。つまり第二部定理三九の様式で僕たちの精神のうちに発生する共通概念すなわち公理であることになります。
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