スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&公理の性質

2019-07-04 19:05:26 | 将棋
 名古屋で指された第60期王位戦七番勝負第一局。対戦成績は豊島将之王位が4勝,木村一基九段が4勝。
 振駒で豊島王位の先手となり,木村九段の横歩取り。手順は異なりますが,後手が中座飛車で中原囲いの,以前によくあった形になりました。
                                        
 先手が2八にいた飛車を引いた局面。2六から2八に引き,さらに2九に引いているので,先手が手損をしていることになります。後手は☖2三銀と形を整えました。
 先手は☗3三角成☖同桂と交換して☗7七桂と跳ねました。飛車取りでこれは☖5五飛と逃げるところだと思います。先手は飛車を目標に☗6六角と打ち☖5四飛。そこで☗2五桂☖同桂と桂馬を交換。1一の香車が浮いているので後手は☖2二歩と受けました。
 先手の狙いはここで☗4六桂と打つこと。後手は一旦は☖6四飛と逃げ☗5五角に☖1四飛としました。ただ角が中央に出たために☗8五桂が厳しい手に。
                                        
 これは封じ手の局面だったのですが,すでに大差になってしまっているのではないでしょうか。後手は☖6四飛のところで☖1四飛としても☗1六歩から飛車を狙われて厳しそうです。それ以外の後手の指し手はすべて仕方ないように思えますので,結果的にみると第1図は☖2三銀とは上がってはいけない局面だったようです。
 豊島王位が先勝。第二局は30日と31日です。
 
 第二部公理三についていえば,第二部定理七系により,ある事物が形相的にformaliter存在するならその観念ideaも存在しなければならないことになっているので,すべての事物に適用されなければならない公理Axiomaであると僕は考えます。したがってこれを共通概念notiones communesとしてみるなら第二部定理三八の様式で概念されることになります。そしてこれ以外の第二部の公理群を共通概念としてみれば,ある人間が別の人間に刺激されることによって概念されるものであるといえ,それらは第二部定理三九の様式で僕たちに概念されるということになります。
 このように,公理というのは程度の差こそあれ,何らかの一般性を有していなければなりません。スピノザはあの個物res singularisこの個物という具合に峻別されるような個別的な事物を認識するcognoscereことを目指している,最終的な目標としているのは確かなのですが,だからといってこのように峻別され得るある特定の個物にだけ適用されるような事項は,公理とはなりません。もちろん絶対になり得ないということはできないかもしれませんが,少なくとも公理として相応しくないのは確かでしょう。そのような事柄を公理として規定したとしても,それはそのように峻別されている個別的な事物について何事かを証明するためには役立つ,役立ち得るでしょうが,その他の事柄を証明するには何ら役立たないからです。
 これで分かるように,公理が共通概念と等置できるのであれば,そこには何らかの一般性が含まれていなければならず,かつ同時にそれは十全adaequatumでなければなりません。いい換えれば共通概念が公理と等置することができるということを前提とするなら,公理というものが公理系においてどういう役割をもち,その役割を果たすためにどのような性質を有していなければならないのかということを考えるだけで,第二部定理三七,第二部定理三八,第二部定理三九といった定理群は,証明を必要とせずとも理解できる事柄なのです。
 とはいえ,十全ではあっても一般的であるならそれがスピノザの目指すところではないことも確かです。それが理性ratioすなわち第二種の認識cognitio secundi generisの,スピノザの哲学における限界です。それはどう解決されるのでしょうか。

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