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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&精神と感情

2025-03-15 15:44:44 | 将棋
 昨日の第36期女流王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は西山朋佳女流三冠が16勝,伊藤沙恵女流四段が6勝。NHK杯の予選を含んでいます。
 振駒で西山女流三冠が先手となってノーマル三間飛車。後手の伊藤女流四段が銀冠に組んでの持久戦になったのですが,先手はやや変わった構えで対応しました。
 感想戦によるとこの将棋は以下の局面が重要だったようです。
                         
 後手はここで☖4六歩から攻め合いにいきました。一旦は☗5六銀と逃げて☖5五歩。先手はこれを無視して攻め合いに転じ☗2四歩☖同銀直に☗4三金☖同銀☗6三馬。この手が厳しく先手の勝勢となりました。
                         
 後手は上図ではすぐに攻め合いにいくのではなく一旦は☖同銀と取り☗同馬に☖2六歩とそこで攻め合いにいくのがよかったようです。
 西山女流三冠が勝って挑戦者に。女流王位戦五番勝負には第33期以来の出場。第一局は来月24日に指される予定です。

 スピノザも人間の精神mens humanaの機能に注目していないことはないと僕は考えていますが,すべてのものが精神を有するとしていることに変わりはありません。これを魂というとしても,その中で人間の精神だけを抽出して精神と別の名称を与えることは,構造的に精神を規定する際には何の意味もないからです。なので第二部定理一三備考の当該部分を,すべてのものが魂を有すると訳さず,すべてのものが精神を有すると訳した畠中の判断は,僕には正しいものと思えます。したがってスピノザの哲学では,人間以外の動物はデカルトRené Descartesがいうような意味では自動機械automa spiritualeではありません。むしろネコは精神を有するし,通常は僕たちが精神を有するとは認めないであろう地蔵にも精神はあることになります。
 ただしこれは,地蔵が何らかの感情affectusに触発されるということをスピノザが認めていることにはなりません。この構造的観点からは,ある事物が感情に触発されるか否かはその身体corpusが外部の物体corpusによってどのように刺激されるafficiかということと関係するからです。このことは第三部要請一から明らかなのであって,ここでは第二部自然学②要請一を基として,そのゆえに人間は多くの喜びlaetitiaおよび悲しみtristitiaに刺激されることになるといわれているのです。したがって,地蔵が第二部自然学②要請一の条件にまったく適合しないのであれば,地蔵が感情に触発されるということはないでしょう。そしてそれはスピノザの哲学からの帰結となるだろうと僕は考えます。
 地蔵についてはそうであるとしても,ネコが感情に触発されるということはスピノザは肯定します。スピノザは第三部定理五七備考で,馬は馬らしい情欲libidoに駆られるといっていますが,この情欲というのは欲望cupiditasの一種にほかなりません。つまり馬が感情に触発されるということはスピノザは間違いなく認めています。そしてそれは馬をネコに変えたところで同じでしょう。馬は情欲に刺激されるけれどネコは刺激されないというのは無理があるからです。なので,人間以外の動物に関しては,感情に触発されるということをスピノザは明らかに肯定していると僕は解します。
 この点についてもデカルトとの比較で注意が必要です。
コメント
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