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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&擬人化

2025-03-18 09:56:25 | 将棋
 16日に出雲文化伝承館で指された第51期女流名人戦五番勝負第二局。
 先手の福間香奈女流名人も後手の西山朋佳女流三冠もなかなか正体を現しませんでしたが,後手の向飛車に先手の居飛車という戦型に。先手が5筋と6筋の位を取って後手が穴熊という力将棋。ただこの将棋は先手が後手の駒を完全に押さえ込んだ上に成駒を作ることに成功し,一方的な一局になりました。なので後手は早い段階で戦っておかなければならなかったことになります。
 かなり遡りますが,後手が戦いに持ち込むチャンスがあったのはたぶんこの局面です。
                        
 ここで後手は☖4三銀と一歩を交換したことに満足しました。これはごく常識的な判断で,悪くなったわけではありません。ただこの局面は☖4五歩と突く手がありました。
 さすがに先手は☗5四歩と銀を取るでしょう。そこで☖4六歩と取り込みます。次に☖4七歩成となっては先手が不利でしょう。しかしそれを金や飛車で受けるのは☖5五歩と打つ手があるので,後手は必ず駒を取り返すことができます。これもそれでよくなるというわけではないでしょうが,将棋の展開としてはこうしなければいけなかったことになると思われます。
 福間女流名人が連勝。第三局は30日に指される予定です。

 Xが感情affectusには触発されないということと,現実的に存在するある人間AがXの感情を模倣しないということは,別のことであると僕は考えます。X自身は感情に触発されることがないとしても,AはXが感情に触発されていると表象するimaginariことはあり得るからです。そこでそのとき,AがXの感情を模倣するなら,これは第三部定理二七により,AがXを同類とみなしていさえすれば生じる現象ですから,あり得るとしかいいようがないと僕には思えます。
 そもそも人間は他人がどのような感情に触発されているのかということを正しく知ることができません。したがって感情の模倣affectum imitatioは現実的に存在する人間が,他者が何らかの感情に触発されているということを表象することによって生じるのです。よってこの表象像imagoは,感情には触発されないものが感情に触発されていると表象しているのと変わるところはありません。何か相違があるとすれば,人間が感情に触発されるのは真理veritasであるのに対し,たとえば地蔵が感情に触発されるというのは虚偽falsitasであるという点ですが,仮に地蔵が感情に触発されることはないという真理をある人間が知っていたとしても,その真理は第四部定理一の意味により,地蔵が感情に触発されるという表象像を除去することはできませんしそれが発生することを防ぐことができません。ですからたとえある人間がXは感情に触発されないということを知っていたとしても,その人間がXが感情に触発されていると表象することはあり得るわけです。ですからたとえ感情には触発されないようなものに対しても,僕たちはその感情,というのは僕たちが表象した感情ですが,その感情を模倣するということはあるのであって,これもまたスピノザの哲学からの論理的な帰結であると僕は考えます。
 僕たちは踏まれる雑草とか道端の石とかに対して何らかの感情を抱くことがあります。もちろんその感情のすべてが感情の模倣によって発生した感情であるということはできません。しかし僕たちは雑草とか石といったものを擬人化するということがあり,擬人化されたあるものが何らかの感情を抱いていると表象し,それを模倣しているという場合もあるのです。
コメント
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