スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

デイリー盃クイーン賞&難点

2014-12-03 19:31:48 | 地方競馬
 今年最後の船橋競馬のメーン,第60回クイーン賞
 エミーズパラダイスもできれば逃げたかったでしょうが,枠順の差もありブルーチッパーがハナへ。カチューシャが2番手でエミーズパラダイスは3番手。アクティビューティまでの4頭はほぼ一団。好位はシラヤマヒメ,クロスオーバー,トロワボヌールで,この後ろは離れました。最初の800mは48秒6でハイペース。
 ブルーチッパーは先頭を譲らず,外から並び掛けようとしたのがカチューシャ。さらに外のアクティビューティの3頭が雁行で直線に。この3頭からはアクティビューティが抜けましたが,直線入口ではいい手応えで3頭の直後まで進出していたトロワボヌールが,大外からあっさりとアクティビューティを交わして優勝。1馬身半差の2着にアクティビューティ。3馬身差の3着に逃げたブルーチッパー。ハンデ戦でしたが,能力通りに決まったといえるでしょう。
 優勝したトロワボヌールは重賞初勝利。ただ,前々走で牡馬を相手に準オープンを勝ち,前走は現牝馬二強に割って入っての2着。ここはその2頭が不在でしたから,実績は下位でも能力は上位。つまり順当な勝利。牝馬戦ではこれからも活躍が約束されていると思います。母は2003年のクイーンカップを勝ったチューニー。Trois Bonheurはフランス語でみっつの幸福。
 騎乗した戸崎圭太騎手は第57回以来3年ぶりのクイーン賞2勝目。管理している畠山吉宏調教師は第51回以来9年ぶりのクイーン賞2勝目。

 第一部定義三の後半部分,実体はそれ自身によって考えられるということを,なぜデカルトが思いつくこともできなかったと僕が理解するのか,その理由はお分かり頂けたものと思います。一般的にいえば,神と同一視することができない実体は,その存在のために神の協力を必要とします。したがってその実体の認識には,神の認識が不可欠になります。これに対して神と同一視することができる実体,いい換えれば,その存在のために神の協力を必要とはしない実体があるとすれば,それは実体としては名目的なものであり,実在的には神にほかなりません。つまりその実体を認識するということは神を認識するということにほかなりません。だから神の認識なしにその実体の認識はあり得ないことになります。これ以外のいかなる方法によっても実体を認識し得ないのは,仮定の仕方から明解でしょう。よって,どんな場合であったとしても,実体がそれ自身によって考えられることはありません。むしろ実体を「考える」ためには,神を考えることが本性の上で先立っていなければならないことになるのです。
 事情はかくの通りなのですが,この論述には一点だけ,難点が残っています。おそらくデカルトは実体を実在的なものとしてだけ考えていたと思われるからです。物体的実体の実在に関しては問題ありません。しかし思惟的実体を神と同一視したときに,神が実在するということを,デカルトは単に神が最高に完全であるということによって説明しようとしました。つまり神の作出原因に関する論証は,表向きは避けたわけです。しかしスピノザの立場からいいますと,これでは神が実在するということが何も論証されていないことになります。ここが僕のいう難点です。
 実際にはデカルトの哲学体系の中でも,これはとても重要な問題を発生させることになると僕は考えます。なぜなら,デカルトは,神が万物の創造者であるということは認めるのです。つまり神が存在しないと一切が存在し得ないことになっているのです。したがって創造主たる神の実在を証明しないと,何も存在しないことも可能であると主張しなければならなくなるのです。
コメント
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