スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

五稜郭杯争奪戦&定義と実在性

2014-07-29 18:59:10 | 競輪
 GⅠから中3日での開幕になった函館記念の決勝。並びは竹内に菊地-明田-内藤の北日本がマーク,石丸-白井の中国で,木暮,小埜,三谷は単騎。
 スタートを取ったのは小埜。石丸が外から追い上げましたが譲らずに前受け。2番手に木暮,3番手に三谷と単騎の選手が前を占め,4番手に竹内,8番手から石丸という周回に。残り3周のバックから石丸が上昇。竹内の横に併せると,ホームで竹内が引き,石丸は三谷の後ろに。ここから竹内が上昇,木暮と三谷が反応。打鐘で竹内が前に出てそのまま先行。5番手に木暮,6番手に三谷,7番手に石丸となり,小埜が最後尾の一列棒状に。動いたのは三谷でしたが,これに併せて菊地が番手から発進。直線はひどく内に切れ込んでしまい,番手から明田が差して優勝。妙な走行に感じられましたが粘った菊地が1車輪差の2着で地元のワンツー。いち早く動いた三谷が半車身差で3着。
 優勝した北海道の明田春喜選手は2011年11月の静岡記念以来の記念競輪2勝目。このレースは地元に任された竹内がどういうレースをするのかということと,単騎勢がどういうレースをするのかというふたつが焦点。竹内は気風よく先行。単騎勢の分断策はなし。ということで地元勢には願ってもない展開に。菊地の方が有利だったと思うのですが,竹内が早めに出たためでしょうか,最後は一杯だったようです。となれば番手の明田の出番。展開から生じたチャンスをしっかりとものにしたという優勝だったといえるのではないでしょうか。
 浅井が準決勝で失格の判定になってしまったのが残念でした。

 スピノザの哲学では,ある事物の定義には,定義された当の事物の本性が含まれることになっています。そして定義に含まれる事物の本性とは,第二部定義二の意味により,その本性を有する事物の存在を定立するものなのであり,排除するものではありません。ここからスピノザの哲学に特有ともいうべき,事物の本性と実在性の関係が帰結します。実在性とは,力という観点から把握される限りの,本性にほかならないのです。
 さらにここからは次のことも出てきます。これは『エチカ』ではっきりとした確たる説明が与えられているのではないとしても,スピノザの哲学の定式として成立する事柄です。もしもある事物に本性の矛盾が含まれているのでないなら,その事物は実在性を有します。いい換えれば必然的に存在します。しかしもしも事物の本性が,矛盾を含むものであったとしたら,つまり本性のうちにその本性を有する事物の存在を排除する要素が含まれているとしたら,そうした事物は実在性を有しません。いい換えればこの事物が存在することは不可能です。ここには必然と不可能が対義語であるという関係も含まれていることになります。
 同じことは,客観的にも定式として成立します。もしも知性がある事物の本性を矛盾のないものとして概念conceptusするのであれば,この観念は思惟の様態として実在性を有します。そしてその観念の観念対象ideatumである事物は,この知性の外部に,形相的に存在します。しかしもしも知性が,ある本性を矛盾を含むような仕方で認識したとするなら,それは思惟の様態として実在性を有しません。そしてこの観念対象ideatumの事物が,知性の外に形相的に存在するということもないのです。
 これらのことから理解できるように,もしも事物が矛盾なく定義されるのであれば,その定義された事物は実在性を有します。つまり存在します。逆にいえば,もしもスピノザの哲学において,存在しない事物を定義することを企てようとするなら,それは定義自体のうちに,何らかの矛盾を含ませなければならないのです。よってそこにはこの種類の例外が存在し得ないのです。
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