スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

不死鳥杯&謎の解消

2014-07-13 18:51:36 | 競輪
 心配された台風の影響はなく,日程通りに開催された福井記念の決勝。並びは吉沢-神山-上原-兵藤の関東,柴崎-金子-志智の中部,残った脇本に新田。
 金子がスタートを取って柴崎の前受け。4番手に脇本,6番手から吉沢で周回。吉沢の上昇に脇本が続き,柴崎は引いたので,打鐘前のバックでは先頭が吉沢,5番手に脇本,7番手に柴崎の一列棒状に。打鐘から脇本が発進。吉沢も駆けましたが,ホームでは脇本がかまして前に。ただ,新田が神山に阻まれ,差の開いた2番手を吉沢が追う形に。柴崎は発進したものの勢いがなく,中部勢は圏外。結果的に独走のようなレースになった脇本が優勝。吉沢の後ろから神山が差して2車身差の2着。マークの上原が続いて4分の1車輪差で3着。
                         
 優勝した福井の脇本雄太選手は2011年の小田原記念以来の記念競輪3勝目。地元の福井記念は初優勝。確かな力がある選手なので,およそ3年もの間,記念競輪を制覇できずにいたのは不思議。ここは自力3人のうちでは明らかに力が上でしたから,よほど失敗しない限りは大丈夫だろうとみていました。ラインは最も短く,マークも他地区の選手ということでやりにくかった面もあったとは思うのですが,わりと早い段階から主導権を握りにいった積極性が,この優勝を産み出したといえるのではないでしょうか。もっと上位で戦ってほしい選手ですし,それだけの力量ももっている筈だと思います。

 スピノザにとって目的論的思考というのは,結果から原因を解明していくような思考法です。つまりスピノザが目的論を方法論として排除する理由というのは,単にそうした思考によって得られる結論が誤謬であるというだけではありません。方法の結果だけが問われているのではなく,方法そのものが問われているのです。ですからそこでは結論だけが特別に排除されているのではありません。こうした思考方法そのものが排除されているのです。
 第一部定理二三の謎に対する疑問というのも,この法則に準じているといわなければなりません。この疑問というのは,この定理が示された後に,より正確にいうならば,この定理が証明された後に,初めて呈することが可能になっているからです。つまり因果論的な結論が明かされた上で,目的論的な問いが成立していることになるのです。
 ただ,それでもこうした問いを立てることによって,直接無限様態の位置付けあるいは役割というのを,どのように解するべきであるのかということが,『エチカ』においてはひとつの謎めいた部分を構成しているということだけは,明らかにできているといえます。そしてその謎というのは,個物res singularisを間接無限様態とみなすならば,解消されることになるということも否定できません。なぜなら,無限な様態的変状様態化した神の属性から間接無限様態が生起するということのうちに,res singularisが生起するということも含まれることになるからです。それはつまり,第一部定理一六で示されていることが,直接無限様態を媒介することによって,具体的に示されているということになるからです。そうであるなら直接無限様態は,単に間接無限様態を生起させるというだけの役割を担わされていると解することはできません。いい換えれば,その位置付けはいささかも貶められてはいないということになるでしょう。
 第一部定理一六で無限に多くのものといわれるとき,そこにはres singularisも含まれると僕は考えます。第一部定理二三は,そのときの直接無限様態の役割を示していることになります。
コメント
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