スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典兵庫チャンピオンシップ&含意されている内容

2013-05-02 19:04:31 | 地方競馬
 3歳馬にとっては初のダート重賞となる第14回兵庫チャンピオンシップ
 押して逃げようとしたのがマインダンサー。楽に内から抜いていったのがイチノバースト。さらに外からコパノリッキーが追い抜き,この馬の逃げに。1周目の正面に入ると,ノウレッジが外から3番手に押し上げ,その外にソロル,最内にベストウォーリアという隊列になりました。
 ノウレッジは3コーナーで一杯。代わって2番手にベストウォーリアが上がってコパノリッキーを追い掛けにいきましたが,コパノリッキーは余裕があり,直線はむしろ突き放して6馬身差の楽勝。ベストウォーリアが2着。ずっと外を回ったソロルは9馬身差で3着。
 優勝したコパノリッキーは前走でオープンを勝っていてこれが4勝目となる重賞初制覇。地方から有力馬の出走はなく,JRA勢の争いになることが濃厚でしたが,中でもこの馬の実績が上位でしたから,優勝自体は順当といえます。ただ,2着馬もこれまでの相手関係から考えるとそれなりの力量はある筈で,それにこれだけの差をつけましたから,今後が楽しみな逸材だと思います。今日は逃げましたが,逃げなくてもレースができることはすでに証明済みです。父はゴールドアリュール。祖母の従弟に2002年に大阪杯,2005年に大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス
 騎乗したのは福永祐一騎手で管理しているのは村山明調教師。兵庫チャンピオンシップは共に初勝利。

 異なる人間の精神mens humanaの間では,同じ観念ideaを原因causaとして,別の観念が発生する場合があるということを認めながら,こうした人間の精神による事物の認識cognitioのすべてを自明的な事柄であるとみなすとすれば,こんな不条理はありません。なぜなら,もしもそのように主張するなら,たとえば人間Aにとって自明である事柄と,人間Bにとって自明である事柄は,異なった事柄であり得るということを認めなければならないからです。しかし,自明であるということは,万人にとって,あるいは人間の精神にこだわらないのであれば,スピノザの哲学におけるあらゆる精神にとって,同じような内容として自明であるのでなければなりません。いい換えれば,自明であるという言明のうちに,そのことが含意されていると理解しなければならないでしょう。
 このことは,第一部定理二六証明の②の部分を検証すれば明白です。すなわちスピノザはここで,事物がある作用に決定されるとすれば,それは積極的なもののためでなければならないということについて,それを自明であるといっているのです。要するにこれは,このことをどんな精神であっても,あるいは限定的にいうならどんな人間も,そのように把握するということです。したがって,もしも各々の人間が,異なって認識するcognoscereようなある事柄があるのだとすれば,それを自明な事柄とみなすことはできません。そして少なくとも人間の精神については,そうしたことが生じ得るということが明らかなのですから,人間の精神による事物の認識のすべてを,自明な事柄とみなすことはできないのです。
 したがって部分的には以下のような結論がさしあたっては帰結します。人間に関していうのであれば,自明であるということは,人間の精神による事物の認識という営みのうちにしかあることができません。しかしそれは人間の精神による事物の認識のすべてのうちにあるということもできません。つまり人間にとって自明であるとみなすことが可能であるような事柄というのは,人間の精神による事物の認識の一部のうちにのみあることができるということになります。
 では,その一部の認識とはどんな認識なのでしょうか。
コメント
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