スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&判断基準

2011-08-31 22:02:55 | 将棋
 舞台を東京に移して争われた第24期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 先手は丸山忠久九段。久保利明二冠のごきげん中飛車③▲6八玉に。先手がそそくさと右の銀を繰り出し2筋を交換するとその直後に飛車角交換。その後,先手が駒得できる手順を見送り,再び飛車角交換に。後手は龍を作って歩得ですが,金銀が分裂していて玉は先手の方が堅いという分かれになりました。この後,先手も飛車を打って龍を作って第1図。
                         
 △6四角が検討の中心でしたがひとつ上に△6五角でした。▲5二銀成は最も自然で検討の本線。△同金はないにしても△5四歩か△8七龍としてから△5四歩を考えていて,△2九角成は少しも考えていませんでした。▲6二成銀かと思いましたが▲3四歩と叩き,△同銀としてから▲6二成銀△同王。▲5二金と打っていくのかと思いましたが▲6六金と受けました。駒を打ってしまうと戦力は不足しますが,この手はいい手のように思いました。△7四龍は仕方ないですが▲7五金と追撃。▲3四歩△同銀の交換を入れておいた効果で逃げ場は9四しかありません。△5四歩は当然でしょう。▲6六龍か▲1五龍ですが後者。これだと金取りなので△3三銀と受けました。▲7四金△同馬(第2図)は当然でしょう。
                         
 後手が苦しいながらもすぐに負けることはなくなったのかなと思っていたところで▲3三角成。△同金に▲2二飛の王手。桂馬を守って△3ニ角。▲4二銀は自然な継続手ですが当然△2三金打。打った飛車が捕獲されてしまったわけですが▲2四龍(第3図)という手が飛び出しました。
                         
 △同金右は▲3二飛成でこれは問題外。△同金直は▲3三銀不成で困る。△2二金は▲同龍とされ△2三飛しかなさそうですが▲3三銀成とされて△同飛に▲4四金くらいでも駄目そう。ということでここで検討終了。実戦の△3一歩は最善の粘りであったと思いますが,着実に寄せきり先手の勝ちとなりました。
 丸山九段がタイに持ち込み挑戦権の行方は第三局に。9月12日に指されます。

 このような前提に立って考察を進めていこうとする場合,以下のような疑問が発せられる可能性があります。そこでまず,そちらの方から先に解明というか弁明をしておくこととします。
 少なくともマシュレが,何らかの能動的な認識および受動的な認識が現実的に存在すると考えていることについては,問題がないと思われます。しかし,マシュレがそれがどのような認識であるのかということを説明していない以上,たとえば僕がある種の認識を例材としてもち出したときに,それをマシュレが能動的と規定するか受動的と規定するか,はたまた能動的でも受動的でもないような認識と規定するかということは,厳密にいえば分からないわけです。しかしそれを分からないとしたままでは,考察を先に進めようがありません。したがって,マシュレがそうした認識について,たとえば能動的と認識するのか,受動的と認識するのかを,結局のところは僕が予測することになります。このときに,僕がそう予測するときの判定の基準が問題となってくるでしょう。何となればこれは僕が考察しているのですから,僕が恣意的にそれを判断するということが可能になるからです。
 僕がこの判断の基準とするのは,あくまでも『ヘーゲルかスピノザか』の該当部分,限定するなら第三部の第二章にあたる,属性の実在性に関するマシュレの論証の中で,マシュレが人間の精神による事物の認識に関して言及しているすべての部分です。そして,それ以外の部分は参考にはしません。僕はマシュレ自身の哲学に精通しているというわけではありませんから,マシュレの哲学の全体からこれを考えることはそもそも僕には無理ですし,この著書の別の部分でも事物の認識については触れられていますが,いずれの場合も,認識そのものを論点として採用しているわけではありません。とりわけ能動と受動という観点から認識について言及されているのは,この部分に限られます。マシュレは属性の認識に関連して,その認識は能動でも受動でもないと主張しているわけですから,たぶん範囲をむしろ狭めて,ここの部分に限ったマシュレの言及のみを僕の判断の対象とする方が,むしろ正しくこれを判断できる確率は高くなるであろうと思います。
                         
コメント
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