スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

真相&視力検査

2010-07-09 18:42:53 | NOAH
 ブッチャーとシークの遺恨決着戦は不可解な結末に終わりました。襲撃された倉持隆夫アナウンサーが,『マイクは死んでも離さない』の中で,この事情に触れています。
                          
 それによればこれはアラビアの怪人の発案だったようです。ただ,それがどうして発案されたのかまでは書かれていません。僕が思うに,シークとブッチャーが試合をしたってまともなプロレスになるわけはありません。それでも試合は何らかの形で終わらせる必要があります。双方の選手に傷がつかず,かつインパクトのある結末ということでアイデアが出され,それにブッチャーが乗っかる形になったというところだったのではないでしょうか。
 もちろん倉持アナウンサーはそんなことは知らずに実況に臨みました。これは事前に知らされていれば,日本テレビから全日本プロレスに伝わってストップがかかった筈ですから本当にそうだったとしか考えられません。逆にいえばこれは全日本プロレス側,具体的にいえば当時の社長でプロモーターでもあったジャイアント馬場さんもたぶん知らなかったことで,シークとブッチャーの間だけでの了解事項であったということなのだろうと思います。というのは倉持アナウンサーがこの著書に記している事柄からは,ジャイアント馬場さんに伝わっていればやはりストップがかかったとしか考えられないからです。
 事前に知らされていなかったとはいえ,倉持アナウンサーは実況中に普段と違う異様な感じを受け,途中からは明らかに自分が本気で標的とされていることには気付いたそうです。それでも逃げることなく流血させられるまで実況を続けたわけですから,アナウンサーとしては当然なのかもしれませんが,立派だったと思います。

 網膜症という病気がどのようなものであるのかということについては,ごく簡単ではありますが大体の説明ができましたので,ここからはこの日,3月5日に僕がО眼科で受けた検査の内容というのがどのようなものであったのかということを順に記述していくことにします。
 待ち時間は1時間ほどと言われていたわけですが,最初に僕の名前が呼ばれたのは,まだそんなに時間が経過していないうちでした。この病院の構造が,入口を入ると待合室があり,その左側の奥に受付があるということまでは説明しました。この受付の右手が大きな診療所になっていて,眼科によくあるような機材がいくつか備えられていました。さらにこの大きめの診療所の左側には個室があって,開業している眼科医はそこで診察をするようになっていたのです。ただし,僕が待合室に入ったとき,あまりに人数が多いということに驚いたのですが,そこで待っていたすべての人がこの開業医,すなわちО先生ということになりますが,О先生の診察を受けるのかといえばそうではなく,ただ薬を処方してもらうためだけに来ていた患者もいました。実際,僕よりも後に来て,先に帰るという患者も多くいたくらいです。
 名前を呼ばれて大きめの診療所に入りますと,おそらくは看護師と思われる人が待機していました。そしてまず視力検査を行いました。実は入院中にみなと赤十字病院で網膜症の眼科検診をしたとき,すなわちこれが僕にとっては最初の網膜症の検査だったわけですが,そのときも僕はまず最初に視力検査をしています。したがって視力検査というのは,おそらくその病院を始めて受診する患者に対しては必ず行われるような医療行為なのではないかと思います。2度めのときは行いませんでしたので,О眼科でもおそらくはもう行わないのではないかと思います。
 僕は眼鏡を手放すことができないくらいの極度の近眼です。両目とも0.1は見えませんので,所定の機械を用いた検査は座った椅子の位置からでは見えませんからできません。看護師が大きな紙を持って近づいたり離れたりするというやり方で進行しました。このやり方はみなと赤十字病院のときと同じですし,強度の近視の患者に対しては,どこでもこのようにやるのではないかと思います。
コメント
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