スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

倉敷藤花戦&第二部定義三まとめ④

2007-11-23 19:30:16 | 将棋
 斎田晴子倉敷藤花の先勝を受けて指された今日の倉敷藤花戦三番勝負第二局。休日でしたが所用で出かけたこともあり,残念ながらライブ中継を見ることはできませんでした。
 斎田倉敷藤花の先手で中飛車。後手の清水市代女流王将は角道を開けない指し方。このため9手目には先手から▲5五歩と仕掛け,先手も8筋を交換する面白い将棋になりました。
 22手目に後手が飛車を引いたところで▲6六角と引き,▲8四歩と打っていったのは先手の作戦でしょう。後手は28手目に△8七歩。苦しげな感じを受けますか,先手からの8筋逆襲は阻止しました。対して先手は▲5四歩と打ち,36手目の△6五銀に▲5五飛と出て,角銀交換の駒損に甘んじても5筋突破を狙いました。結果的にみると本局のハイライトはこのあたりから突破を目指す先手と阻止しようとする後手の攻防にあったようです。
 詳しく検討していないので分かりませんが,本当は途中でいく手があったのかも分かりません。ただし実戦の進行はどうしても突破できなかったので,後手有利に傾いていったようです。78手目に△4五飛と打った局面はおそらく後手が優勢で,先手はどうも駒不足に泣いているような印象です。
 この後,後手は少しもたついたような気がしないでもないですが,逆転には至らず,最後は先手玉を即詰みに討ち取っての勝ちとなりました。
 これで1勝1敗。というわけで引き続き明日,第三局が指されます。三番勝負ですので,勝った方が倉敷藤花を獲得することになります。

 明日はジャパンカップダートです。ヴァーミリアン◎が勝つと思います。相手はフリオーソ○,ドラゴンファイヤー▲,メイショウトウコン△,ワイルドワンダー△まで。

 思惟の様態が思惟の様態であるということだけで,その思惟の様態が思惟作用をなす,あるいは同じことですが神の思惟の属性を表現するということ,つまり,その思惟の様態が原因となって別の思惟の様態,とくに第二部公理三により思惟の様態のうち第一のものである観念を生じさせるということは,延長の様態との関係で考えれば,むしろ容易に類推することができることだと思います,
 第二部自然学①公理一により,すべての物体は運動しているか静止しているかです。物体は延長の有限様態ですので,これを思惟の有限様態との類推で考えても構いませんし,これを延長の様態一般にいえることと考え,思惟の様態一般との類推で考えても構いません。この公理によって,運動もしていなければ静止もしていないものというのは,延長の様態,少なくとも延長の有限様態である物体という範疇には入らないということ,つまりそうしたものは物体ではないということが明らかです。したがって,延長の様態,あるいは物体にとって,それが運動ないしは静止することというのは,思惟作用に対応するような延長作用であって,それが延長の様態による神の延長の属性の表現にあたるのです。そしてこれは物体についての公理なのですから,物体がこのような延長作用をなすことについては,これが物体であるということ,いい換えれば,これが神の延長の属性が一定の仕方で変状した様態であるということに訴えるだけで十分であるということが明らかだと思います。
 このことを思惟の様態との関係で考えれば,思惟の様態もそれが思惟の様態であるということに訴えるだけで,それが神の思惟の属性を表現するということが明らかになるのではないかと思います。
 このテーマはこれで終了。明日から新しいテーマです。
コメント
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