スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポーツとギャンブル&神の本性と様態の本性

2007-02-03 20:50:54 | 中央競馬
 有馬記念の記事に関してwan♪さんと多くのやり取りをさせてもらいました。そこでは触れませんでしたが、ひとつ感じたことがあったので書いてみます。僕にとって競馬というのは、スポーツであり同時にギャンブルです。競馬ファンというのはその間でバランスをとっているものだと思います。たとえば僕は、前日に予想をしていますが、これは競馬のギャンブルとしての側面。しかしレースの記事では配当がいくらであったということではなく、勝因や敗因の分析を主にしていて、これはスポーツの側面といえるでしょう。で、ギャンブルの側面からディープインパクトについて考えると、かなりの確率で勝ってくれるので投資しやすい反面、的中させても多くの配当を見込めないのであまり買いたくないという面もあるのです。僕はディープインパクトが国内で出走したレースは、弥生賞以降はすべてのレースを買っていて、ジャパンカップまではすべてこの馬から買っています。有馬記念で軽視したのは、最後の最後で僕自身が、無意識のうちにスポーツとギャンブルの間のバランスをとろうとしたからなのかもしれません。もしもスポーツ性を重視すれば、この馬の強さは分かりきっているのですから、そういう選択はあり得なかったと、今からすれば思えるのです。強者が勝つというのは、。スポーツにおける魅力のひとつであり、ディープインパクトのような絶対的な強者に熱中する人がいるのはよく理解できます。しかしその態度は競馬に関していえば、競馬のスポーツの側面に軸を置いたものであり、ギャンブルの側面を意識する人たちが、それに違和感を抱いたのだとすれば、それはそれで僕にはよく理解できます。
 明日は四日市記念の2日目優秀フォーリンカップです。並びは予想。佐藤-成田で北日本(前後は入れ替わるかも)、平原-後閑の関東、小嶋-山口の中部、三宅-井上の岡山、渡辺は関東か北日本。いずれにしろ後閑選手◎と平原選手○から、小嶋選手▲と渡辺選手△を絡めて。

 一般論からの帰結における前半部分、神の本性が様態の本性に属するというのは、いい換えるなら、神の本性を構成しているところのものが、様態の本性をも構成するということになります。もちろんこれは、神の本性と様態の本性が同一であるということではありません。それがどう違うのかといえば、たとえば第一部定理二〇に着目したとき、神の本性には神の存在が含まれるわけで、もしも神の本性と様態の本性が同一なら、様態の本性に神の存在が含まれるという意味になり、神の本性を構成するものが様態の本性も構成するなら、様態の本性にはその様態自身の存在が含まれるということになります。ただ、様態の本性に神の存在が含まれるというのは、それは様態の本性なのに神の性質を説明するわけですから、それ自体でこんなことはあり得ないでしょう。したがって、このいい換えは妥当であると僕は考えます。さて、第一部定理二四によれば、実際には様態の本性にはその様態自身の存在が含まれるということはありません。すなわち、神の本性を構成するところのものが、様態の本性を構成するということはないのです。したがってこれにより、神の本性が様態の本性に属するということが誤りであるということになると思います。
コメント (2)
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