¡Si, Yo Hablo Japónes!

2020年3月12日にコロナ解雇されました、約5ケ月後の8月下旬に何とか再就職しました準公務員の日常です。

我が家の誰かさんの生まれた町

2009-11-02 00:02:10 | Weblog
金曜日の1朝番に掛り付けのドクターに腰痛を診て戴きましたその足で柴子も連れまして、再びフロリダへ向かいました我が家です。
ジョージアはここのところお天気が激しく変化しまして低気圧や寒暖の差が腰痛に良くなさそうですので、暖かい(暑いです、笑)フロリダで養生しますためです。






ぎっくりの直後にジョージア〜フロリダの移動は無理でしたのでドクターの診察後にしました、車の移動が可能になりましたのと気分転換にと我が家の誰かさんが生まれました町のイーボァスィティーを案内してくれました。

この日は土曜日でハロウィンの日でもありました、例年でしたら日没後の我が家には変装をしましたチビッ子たちがお菓子をねだりに来ますが今年はぎっくりのハプニングで何も出来ませんでしたので。
ちなみに、一昨年去年も70〜80人位のチビッ子たちが我が家に来ました。



誰かさんの家系は父母共にスペイン系で祖父母の代からアメリカ(フロリダ)に移り住んでいます、現在も家族親戚の殆どがタンパとマイアミに住んでいます。



誰かさんの生家はイケアに建て替えられていました、とは大袈裟ですが生家は徒歩でほんの2〜3分のところでした。



タンパ港のほとりの公園です、綺麗な公園ですが誰かさんの幼い頃は悪い若者や犯罪者が屯(たむろ)をしていまして今は亡きお祖母ちゃんに「絶対に行ってはなりません!」と釘を刺されていましたそうです。
あまり歩き回れませんでした(ので写真もこれらだけです)が、亡お祖父ちゃんと自生していますクレソンを摘みに行きました河川でしたか湖沼も大変わりしていますが町並みは面影や思い出でがたくさんありますそうです。
日本から来ましたもう1人の誰かさんの生まれました横浜は山下町と同じです。

サマータイム(夏時間)からイースタンスタンダード(標準時間)となりまして11月の晩秋にもなろうとしていますがタンパは半袖に半ズボンはもちろん海水浴も出来そうな程に暑かったです、この後はスペイン&キューバ料理のレストランへ行きました。← 続きます。。。



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