¡Si, Yo Hablo Japónes!

2020年3月12日にコロナ解雇されました、約5ケ月後の8月下旬に何とか再就職しました準公務員の日常です。

サンクスギヴィングデー2015

2015-11-27 10:17:09 | Weblog
昨日はこちらアメリカの祝祭日はサンクスギヴィンクデー(Tanksgiving Day、感謝祭)でした、今年の我が家はサンクスギヴィンデー当日だけのお休みでしたが知人宅で楽しい日を過ごしました。






まずは、我が家の日本から来ました誰かさんのその日のコーデです。
先日の急な冷え込みとまた打って変わりましで汗ばみます程の陽気でしたのでペラペラなワンピースにしました、ペラペラワンピですが5分袖がポイントな茶とベージュにオレンジの感謝祭カラー(?秋色?)です。
靴は茶✕黒の乗馬ブーツです、お色はワンピと合っていましたがこの日のロングブーツは暑過ぎました。




お持たせは薔薇のアップルパイです。



とても簡単に作れますがパイ皮の留めが甘くて2~3個程開いてしまいましたものありますのとお色味も良くありませんでした、我が家はいつも歯応えとお味の良い日本の品種のフジリンゴを求めていますので(レッド)デリシャス種でしたら歯応えやお味はあまり良くありませんが赤く綺麗に焼き上がります。



そうです、保険にフラン(濃厚なスパニッシュカスタード=焼きプリン)も作っといて良かったです。←ほっ、、、



知人のご主人がグリルしましたターキーはとても美味しかったです、オーヴンで下焼きしました後にお庭にありますグリルで焼きまして仕上げますそうです。
毎年ながら、レノックスのチャールストン等を用いましてキチンと整えられましたテーブルセッティングには感激です。



デザートは我が家持参のアップルパイの他にマリーカレンダーのパンプキンパイとストロベリーグレーズの掛かりましたチーズケーキでした、皆あまりの満腹でフラン迄は辿り着けませんでしたがアップルパイはシャリシャリ感の残りましたリンゴが瑞々しくて甘過ぎもしませんと好評でした。



食後の消化促進運動はバドミントン大会でした、我が家の日本から来ました誰かさんはバドミントンの代わりに後片付けのお手伝いでカロリー消費しました。



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懲りないグラストップ家具

2015-11-24 10:57:19 | Weblog
はい、こちらアメリカはこの11月から年明けに掛けまして色々な行事があります。
我が家は大家族でも、また友人や知人もあまり多くありませんがそれなりにお呼ばれがありましたり我が家からもお誘いしたりもあります。
ところが、大勢のお客様用の家具はありませんので毎回にあり合わせのチグハグなもので何とかやり過ごして来ました。
↑にありますようにそう年に何度もありませんことですから日本から来ました誰かさんはお客様用の家具を揃えますのに躊躇していましたら、もう1人の誰かさんったら何の相談もありません一昨々日のイキナリに...
しかも、また重くて厄介なグラストップのテーブルを知り合いから安価で譲り受けて来ました。
その誰かさん曰く、たまにしか使わないので高価なものは必要なくてちょっと(どころかかなりに)重くても今迄のようなチグハグではなくトップと脚も分けられるので場所も取らずに良いとの一点張りなのでした。
やれやれ、そのグラストップはかなり重いですから移動には少なくとも2~3人の男性が必要ですので今のところは画像にありますようにお客様とやらが来ます時迄玄関で待機中です。
でしても、もし倒れでもしましたらかなりキケンと抗議しましても”こんだけ重いからそう簡単には倒れない”ですと?↑の主張(ちょっと重い)とかなり矛盾してませんか?←もう、笑うしかないですね。




その後日は代わりに(そのテーブルのことで日本から来ました誰かさんかなり機嫌を損ねましたから)...



画像にあります左右に分けられます(決して前後に置いたりはしないと思いますが、笑)白木調の棚も買ってくれました、グラストップ家具とはあまり調和しませんが我が家のカーペットも淡いベージュですのでとても良く合います。



うふふ、棚の高さは買えられませんが4階建で屋上(?)にも物が乗せられます。



薄い色のカーペットや家具は汚れ易かったりもしますが室内が明るく清潔に見えますね、今迄のグラストップ家具に合わせられます家具を探しておりましてイケアでしてもちょっと違いますし...と考えあぐねておりましたが思い切って雰囲気を大きく変えてみますのも時には良いですね。←日本から来ました誰かさん途端に機嫌が良くなりました!



ちなみに、昨日の中央フロリダは異常とも言えます程に急な冷え込みでした。
お天気予報は見ませんでしたので正確な気温は分かりかねますが10℃(50°F)程迄の寒さに感じました、朝のコーヒー用の常温に置いていますココナッツオイルもアイスクリームのように固まっていました。



ですので、慌てて部分暖房を出しました。
我が家の部分暖房は空気を汚しませんで乾燥もし難いオイルヒーターです、オイルヒーターはイタリアのデロンギ社が有名ですが我が家のはケンウッド社です。
ケンウッドって音響システムの他に暖房器具もあるの?と良く聞かれますが日本の音響システムメーカーのケンウッドとは違いますイギリスの家電メーカーです、そのイギリスのケンウッドは今やデロンギ傘下の会社ですからオイルヒーターはデロンギのと同じ高性能ですが社名が違いますのでデロンギよりもやや廉価でおトク感があります。



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トレジョのヌーヴォー2015

2015-11-19 10:29:30 | Weblog
はい、まだまだ続きます我が家のプエルトリコ珍道中ですがここでちょっと中休みです。
さて、11月の第4木曜日はアメリカの祝祭日はサンクスギヴィングデーですが第3木曜日の本日はボージョレーヌーヴォーの解禁日ですね。
一時に毎年この日を楽しみにしていました我が家ですが近年はもっぱらトレジョのヌーヴォーを気軽に楽しんでいます、トレジョのヌーヴォーとはフランスのボージョレー産ではありませんがカルフォルニア産のその年の新ワインです。






カルフォルニア(アメリカ)ではフランスのような解禁日は定められておりませんので11月にはもう店頭に並んでいました、やや酸味勝ちで重みにも欠けますが新鮮で爽やかな味わいは新物ならではのものです。



同じ時期には栗も出回りますので一緒に求めて来ました、トレジョの栗はイタリア産で粒はあまり大きくありませんので渋皮煮向きではありませんがホクホクと甘く栗ご飯やおこわにしますととても美味しく戴けます。



季節物ではありませんが我が家のパン粉もトレジョのです、便利なチャック付きです。
他には梨や柘榴等も求めました、梨は栗とパン粉の後ろに隠れてます..(笑)



昨夜に我が家は一足早くヌーヴォーに合いますお料理を作りましてヌーヴォーを開けました、ヌーヴォーにはシーフードも良く合いますのでプエルトリコで求めて来ました蟹身でいまだに熱の冷めやらぬプエルトリコのお料理を作りました。



プエルトリコでしたらやはりプラントゥーン(調理用バナナ)です、我が家の誰かさんが画像手前にあります器具を使いまして調理用バナナの蟹身詰めを作ってくれました。



昨日の夕食の様子です。



日本ではもちろんアメリカでしてもなかなかお目に掛かれませんコアですか?マニアックですか?なお料理です。



もう1品はブルーチーズのサラダです、ヌーヴォーにはあまりクセのありませんチーズの方が合いますので梨を加えまして軽目に仕上げました。



ぶっちゃけ、調理用バナナのカップに蟹身がた~っぷり詰まっています。



↑にありますようにレモンをちゅ~っと搾りまして辛いソースも垂らしまして戴きますと"えも言われぬ"美味しさです、トレジョのヌーヴォーはいとも簡単に空いてしまいました。



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カサ バカルディ

2015-11-17 10:16:31 | Weblog
我が家の滞在していましたビエホサファン(旧サンファン)から対岸のカターニョ(Cataño)行きのフェリーに乗りますとバカルディ(世界最大のラム酒ブランド)工場のカサ バカルディ(Casa Bacardí)の直ぐ近くへ行かれます、呑兵衛の我が家としましてはこちらも外します訳には参りません観光スポットです。
我が家にはレンタカーがありましたので多少の回り道になりますがフェリーには乗りませんで対岸までレンタカーを運転して行きました。






工場へは簡単に行かれました我が家です、ところが、いつも詰めの甘い我が家の誰かさんは観光見学客用の通用門とは全く違います一般従業員用でしたかの通用門から入ってしまいました。
しかしながら、通用門におりました警備員さんが親切でした(詰めが甘くともスペイン語に全く問題のありません誰かさんがきちんと理由の説明が出来ました)ので通行許可証の代わりに画像にあります観光見学客と判ります紙を渡してくれまして一旦出直しませんでも工場敷地内を通りまして観光見学用の受付(入場料を払ったりします)へ行かれますようにしてくれました。



ところが、詰めが甘いだけではありませんで変なところが非常にドケチな我が家の誰かさんったら"タダで工場内が回れた(見れた)からもういいや"とか言い出しましたので日本から来ました誰かさんが"せっかく親切にしてもらったのだから"と黙らせまして見学ツアーに参加しました。



入場見学はラム酒の試飲付きコースでしたりお土産プラスチックコップ付きのバカルディカクテル込みでしたり等で料金が違います、我が家はカクテル込みのコースにしました。



見学はガイド付きツアーバスで回ります、ガイドはスペイン語と英語の2ヶ国語がありましてバスを待っています間にカクテルを楽しみますことも出来ますが我が家は直ぐバスに乗れましたのでカクテルは見学後に戴きました。



はい、我が家は工場敷地内をもう1周しました。
しかも、2周目はご丁寧なガイド付きでした...(笑)
ボケボケで悪しからずですが、画像は創始者の胸像です。



そして、近代的な工場建物と...



植民地風な建物に...



ラム酒の原料であります砂糖黍の植え込みや...



設立当時の砂糖黍(運搬用)汽車等々を見て回りました、工場敷地内は展示史料館に売店やレストラン等があります。



映写室のあります展示史料館に入りました。



バカルディ社は元々にキューバで創業です、キューバとプエルトリコの間にありますイスパーニャ島の現在はハイチとドミニカ共和国です。



スペインとカリブ海諸国の関係やラム酒(醸造)をめぐります戦い等の歴史的な説明がありましたり、ラム酒(醸造)にまつわります短い映画も見て来ました。



バカルディラムを使いましたカクテルの説明や作り方に...



他国では製造販売していませんプエルトリコだけでのバカルディラム等の展示と販売等もありました。



売店ではラム酒だけではありませんでバカルディオリジナルのカクテル器具や衣類に小物等の品揃えがあります。



我が家は約40分の見学ツアーの後にバカルディカクテルを楽しみました、2つとも同じように見えますが左が(テキーラではありません)バカルディサンライズで右がバカルディラムパンチです。→酔っ払っちゃいましてか画像が斜めっちゃってまして悪しからずです。



工場敷地内はまるで公園のように綺麗に整えられています。



対岸にエルモロも見えまして眺めもとても素敵でした。



帰り際に、こちらにも酔っ払いのクニャクニャ椰子の木(?)ですか!?...(笑)



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プエルトリコの世界一、アレシーボ天文台

2015-11-16 12:00:43 | Weblog
サンファンから車で約2時間程またもや西へ向かいましたところのアレシーボには世界最大の電波展望台があります、その世界最大の電波望遠鏡とは自然の窪地に造られました直径305mもの巨大球面アンテナです。






アレシーボ天文台は熱帯雨林のような中にありますのでその際を走っていましたら...



何やら見憶えのありますような風景が?!



竹はアジア特有の植物と思っておりましたがカリブ海の島にもあるのですね。



向かいます途中のおやつのプエルトリコのチートスもお安くって美味しかったです。



で、いよいよの到着ですが駐車場で早速と妨害電波禁止ですとの注意書きを渡されました。



今迄に訪れましたことのあります某政府施設のように警備が厳重ですとかと少し緊張しましたが施設内は資料館のようにもなっていまして気軽に観光目的や見学が出来ます。



マスコットキャラクターがいましたり、映画の撮影舞台になったりもしました。



とにかく大きくてまるでダムの底でも覗いていますような...



左上にありますお椀を被せましたようなのがレシーヴァー(受信機)です。



地上150mの高さに吊るされていますレシーヴァーも約900トンもあります。



大き過ぎてアウトラインが掴み難いですが縮小模型ですと分り易いですね、とにかく、こちらもまた圧巻なのでした。



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古を訪ねて、プエルトリコの要塞

2015-11-12 14:06:44 | Weblog
プエルトリコには現在に至ります迄はやや複雑でしてもなかなか奥深い歴史的事情があります、この場では多く書きませんがやはりプエルトリコに来ましたらこちらを訪ねませんことには...プエルトリコの州都のサンファン市内の旧サンファンは世界遺産にも登録されています要塞都市です。





我が家の滞在しておりましたサンファン港に面していますシェラトンホテルから西へと車を走らせて行きますと...



サンファン国立史跡(San Juan National Historic Site)のシティウォール(City Wall, 城壁)が見えて来ます。



その先には旧サンファンを東側の陸からの攻撃を防ぎ守りますサンクリストバル要塞があります。



Castillo San Christobal(無理くり訳しましてサンクリストバル城?笑) と書いてあります、まさに砦(とりで=本城から離れた要所に築かれた小規模の城)ですね。



防衛の様子の説明もありました。



見張り台です。



またその先にはプエルトリコの要人や著名人の墓地が見えます。



そして、エルモロ要塞へと続いて(城壁も繋がって)います。



サンクリストバルからエルモロへは徒歩可能ですが、少し距離がありますのと駐車の都合でサンクリストバル近くの有料駐車場に車を停めまして旧サンファン市街を循環しています観光用トロリーバスに乗りました。
ちなみに、トロリー乗車は無料です。



この日は我が家を歓迎してくれますかのように色鮮やかな虹が出ていました。



見えて来ました。



到着です。



エルモロ要塞(El Morro)の正式名はサンフェリペデルモロ(Castillo San Felipe del Morro)です、通称のエルモロは岬の意味があります。



門をくぐりまして入ります、我が家は実際に入りませんでしたが入場料は$5です。



全容図です、エルモロとサンクリストバル両方の入場でしたらいくらかの割引(セット?笑)料金になります。



海側ではありません側はお堀(?)のような複雑な造りの厚い壁に囲まれていまして回りは草地になっています。



中はより複雑な構造で隠し通路や侵入者を防ぎます迷路もありますそうです。



大砲をドンドンと打ちましてイギリスやオランダ、または海賊たちを撃退したのですね。



空と海と大地とのスペクタクルです。



要塞から臨みます街側です。



その街側の道路に面しました要塞です、我が家は駐車場に徒歩で戻りませんで再びトロリーに乗りました。



我が家を乗せましたトロリーは石畳の美しい旧サンファン中心街に戻って来ました。



殆どの乗客たちはこの辺りで下車しましたが我が家はそのままでまた新しい乗客たちと一緒にサンクリストバルへと向かい(戻り?笑)ました、サンクリストバルで下車しましたら駐車場の車に乗り換えまして帰りましたとさ。



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ケネパスとか、、、

2015-11-07 13:08:00 | Weblog
プエルトリコの今度はサンファン等の街中ではありません郊外を車で走っていますと路肩↓にありますような荷物を積みましたSUV車やピックアップトラックを見掛けますことがあります、路肩は高速道路に限りませんで一般道でもです。






やや小振りなアヴァカドとマンゴーにケネパを載せましたSUV(のオジサン)は路肩でそれらを売っていたのでした、フフフ、そのケネパとは何ですか?また、どれですか解りますか?



はい、これらの緑色の実がケネパ(Quenepa)で複数形はケネパス(Quenepas)と言います。



実の大きさは梅と同じ位です、我が家はグロッサー(スーパー)のポリ買い物袋に1杯程の1束を$5で買いました。



1袋分でかなりあります、1つ1つのバラバラではありませんで房状とも少し違いますが小枝にだだだーっと付いて(?実って?)いまして摘み上げますと簡単に取れます。



洗ってませんが、早速と戴いてみましょう!



日本にあります天津甘栗のように軽く歯を当てますとパキッと皮が半分に弾けますので、まず、上半分の皮を取り除きまして...



もう半分も取り除きましてお口にポイッ!としましたら、荔枝のようなもうお口の中は甘酸っぱさの広がりますパラダイスです!!



残念ですが...こうなりましたら吐き出します、ケネパスは↑にも書きましたように荔枝の仲間の果実ですが種が殆どですので歯で擦り取りますようにしか食べられません。
でしても、次から次へと止まらなくなっていまいます程に美味しいです。



冒頭の画像がケネパスの木です、自生と庭木等で割と多く見掛けます。
ケネパスの季節は9月頃迄ですのでこの木には実がありませんでしたが他で見掛けましたこちらの画像の木にはまだ実が少し残っていました。



見易くしてみました。



木を見ませんでも足元に実が落ちていましたら、"あっケネパス?!"っとすぐに分かります。



ちなみに、ココナッツ売りのピックアップトラックとかも見掛けました。



プエルトリコは常夏の島ですから、方々で色々なトロピカルフルーツに溢れ返っておりました。
こちらは、パパイヤですが珍しくレモン位の大きさのがぽつねんとただ1つだけでしたので写真を撮りました。



通常ですとこちらのように実を付けるのですが...



こちらは、マンゴーですがマンゴーの木はかなり大きくなります。



たわわに実りましたマンゴー、分かりますか?




こちらもやはり、足元にボトボト落ちていたのでした。



写真を撮っていましたら奥からハスキー犬が走って来ました、吠えられ(怒られ)ますかと思いましたらハスキー犬特有なあのウォォォ~ンで懐いて(?許して?)くれました...(笑)



ところ変わりまして、こちらは海辺です。
こちらは海辺に生えますシーグレープでしたかビーチグレープでしたかの呼び名があります樹木ですが、その呼び名の通りにブドウのような実を付けます。
今回は戴きませんでしたが、もちろん美味しく食べられます。



さぁて、こちらは何でしょう?樹木の写真は撮り忘れてしまいましたが、こちらも海辺の樹木になります実で足元は砂浜に落ちてました。



硬い物でガッツンガッツンしますと...



中には鮮紅色のモジャモジャが...



モジャモジャは食べられませんが中は種です、その種を割りましたらアーモンドにそっくりなお味と香りの核が入っていました。
名前は失念してしまいましたが、もちろんこちらも美味しく食べられます。



こちらは、オマケですが。
プエルトリコのあちこちでも売っていましたタマリンドです、プエルトリコでは買いませんでしたけれどアメリカでしてもたまに売られていますのでご存知の方も多いと思いますが茶色い鞘の中にチョコレート色をしましたペースト状の実が入っています。
その実はかなり酸味勝ちですが甘酸っぱい山査子のようなお味がしまして美味しいです、そのまま啜りますように戴きましたりソースやタレ等の隠し味に使ったりします。



啜っておりますと中から大き目の小豆のような種が出て来ますのでこちらも吐き出します、プエルトリコから戻りまして近所のラテン系なお店で見掛けましたので懐かしくて飛び付いて(買って)しまいました。



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プエルトリコの学校の生徒たち

2015-11-04 10:29:45 | Weblog
プエルトリコの街を車で走行中にこんなことがありました、ある日のお昼前は11時過ぎ頃でしたかと思いますが信号のありませんT字路のその先は学校がありましてたくさんの生徒たちがぞろぞろとその学校から出て来ていました。
それがこちらの画像ですが、素敵な校舎でしたので何枚か写真を撮りました。
その時は”今日の学校は半日迄なのね?”ですと勝手に思っていました、そして、このT字路には信号がありませんのですぐ側にパトカーを停めました警官が交通整理に当たっていました。
まぁ、アメリカでしても通勤時間帯とカブリます登下校時の生徒の保護には正直うんざりながらも仕方ありませんことですと渋々納得していましたので驚きますこともありませんでしだが...
生徒たちがパラパラと数人ずつ、或いはどっと20人程の群れとかが暫く続きました後にやっと途切れたと思いましたらまたぽつんと今度は1人トボトボと...結局は30分以上も足止めを喰らってしまいました。
で、同じ場所の同じ学校ではありませんでしだが次の日もまたその次の日も同じような時間に同じ目に遭いました。
しかしながら、そのお昼過ぎの1時頃と午後の3時や4時の一般的な下校時間にも生徒たちが再びろぞろと...半日登校でしたのではありませんで???呆れますよりも不思議に思っていましたらようやく訳が解りました。
プエルトリコの公私共に殆どの学校の生徒たちは昼休みに一旦それぞれ帰宅しまして昼食を摂りました後にまた学校に戻っていたのでした。
と、なりますとまた新たな疑問が湧いて来ますが...
要約しますと、生徒たちは基本的に各家庭で昼食を摂ります。
が、両親や家族が働いていましたり、いません、またその日に限りまして不在ですこともあります。
そのような場合はお弁当持参や校内に食堂がありましたらそちらで昼食を摂ります、近くでしたら昼食用のパンを買いに行きましたりファーストに立ち寄ったりもアリですとのことでした。
プエルトリコの面積はそう広くもありませんからスクールバス通学しますこともありますが、日本のような徒歩登校が殆どでお昼ご飯に帰りますのも負担になっていませんようでした。
食物アレルギーですやら過加熱なキャラ弁等ですとかで集団の昼食は何かと問題が多い昨今ですから、プエルトリコのような各自昼食も良さそうですね。
で、そのような個人重視(?)でしたら集団生活に必要な統一感があまりありませんようにも思いますが...






こちらは冒頭の画像を見易くしてみましたものですがプエルトリコの学校の殆どには制服もありました、この学校は水色のボタンと襟付きシャツにベージュ色のジャンパースカートと白ソックス、そして茶色の革靴で揃えていました。
男子は写っていませんが同じシャツに同色の長ズボン、そして靴だけは各自に違いますスニーカーを履いていました。
荷物は殆ど自由なサイズや柄のバックパックでしたりと日本の学校制服とはあまり似ていませんが堅苦しくありません爽やかな制服ですね、中には違うシャツを着ましたり反対にシャツは同じでしても制服とは異なります長ズボンを履いていましたり、また上下の色だけ同じようにしました私服でしたり制服とは全く異なります完全な私服も見掛けましたりもちろん髪型は自由でしてそう厳格でもありませんように見受けられました。



そうです、こちらの学校は黄色のTシャツに紺色の長ズボンです。
そして、何と!スニーカーとおぼしき靴は男女共に鮮やかなピンク色ですね。
でしても、↑と同じようにお色だけ同じで別素材でしたりまた全く異なりました衣類も見掛けました。



こちらは、またまた鮮やかなショッキングピンクのTシャツにまたは同色のシャツでしたが下に履きますズボンにスカートや靴は全く自由なようでした。
他には、グレー×深緑色ですとかまた別のお色の組み合わせの制服も見掛けましたが終ぞや日本にありますような白×濃紺または黒の組み合わせは見ませんでした。

プエルトリコはアメリカにはありません独自の雰囲気をちゃんと持ち合わせていました。プエルトリコはアメリカの属国ですやら51番目の州ですとかの軽蔑的な考え方は全く愚かに思えて来ますね。


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ビエホサンファン

2015-11-01 15:49:36 | Weblog
今回のプエルトリコへの旅は我が家の日本から来ました誰かさんのお仕事も兼ねておりましたが実際にお仕事しましたのはほんの2日でしたのでお仕事以外の日はた~っぷりの~んびりとプエルトリコを楽しみますことが出来ました、海山川に歴史的名所等を訪ねますのはもちろん平素の街中を覗きますのもコレまた楽しとビエホサンフアン辺りを見て回りました。
画像はプエルトリコ到着当日に空港で借りましたレンタカーです、プエルトリコには電車やバスも通っていますがやはりアメリカ同様の車社会です。






ピッカピカの新車のトヨタラブフォーにはGPSはもちろんリアワイドカメラシステムも付いていました。



では、ガソリンを入れましょう。
プエルトリコの殆どはアメリカ基準ですがガソリンはリットル売りでした、ガソリンの価格は日々に変動しますがこのところのアメリカのガソリン価格は安価傾向です。



この日のレギュラーガソリンは1リットル¢60.1でした、フロリダとほぼ同じ値段でした。



ガソリンスタンドのお向かいに、あるサインが...



"Se Renta"(セ レンタ)とはスペイン語で貸家または貸しますの意味です。
ちなみに、売家または売りますは"Se Vende"(セ ベンデ)と言います。



ビエホサンフアンの街並みです、建物や石畳がとても美しくて...



もう、ただただう~っとりでした。



海辺の通りはコンダード地区に出てみました。



海水浴場でもないのですが普通に人々が街中の海沿いで海水浴や日光浴を楽しんでいました、何でも絵になりますね。



もう少し行きますと所謂、高級住宅地があります。
その一角にひと際、目立っていました邸宅がありました。
このお家、何でしょうか?懐かしいですやら見憶えがありますような...



はい、往年のラテン大物歌手はTito Rodriguez(ティト ロドリゲス)のお宅なのでした。
奥様は日本人で、その奥様のために日本風なお家を建てられたのでした。
御仁は既にお亡くなりですが現在はご子息のTito Rodriguez Jr,(ジュニア)もラテン歌手として活躍中です。



プエルトリコには親日家がとても多いです、車も日本車が主流なようでした。
また、アメリカ市民としまして兵役しました人も多く、中には日本に駐留ですか派兵されていました人たちが持ち帰りましたと思われます日本のナンバープレートを付けました車も何度も見掛けました。
運転中にササーッと追い越されましたりすれ違いざまに見ましたのでカメラに収めますことは出来ませんでしたが。
ですので、こ~んなもアリなのでしょうね...(Yaris,ヤリスとはトヨタヴィッツの北米仕様車名です。)



惜しいですね、でしても、残念賞ではなく努力賞に値しますね。

我が家のプエルトリコ旅情はまだまだ続きます。



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