「北野善子日本画展~80歳を迎えて~」が、
リーガロイヤルホテル(大阪)1階ギャラリーで
5月29日(日)まで開かれているので出かけた。
北野さんは、現在は高島屋ローズサークル、森田りえ子日本画教室で
学ぶ身であるが、画歴は吉田高嶺(49年から)、上村淳之、
岡崎忠男(81年から)、堤利彦(83年から)4人の先生に
指導を受けた。
ギャラリー入口には、森田りえ子先生から届けられた
お祝いのバラの花が訪れる人をまず迎えてくれる。
当の北野さんは、「森田先生からお花をいただいた、
先生からお花をいただいた」と、まるで童女のように
目を輝かせて喜んでおられた。
約40点の作品が並べられているが、腕前もすごいが
一枚一枚の絵に、愛がある、心がある、北野さんのお人柄
そのままの温もりがそこはかとなく伝わってくる。
こんなに大勢の方に見に来ていただけるとは思いも
しなかったと本当に嬉しそうに、北野さんはお話しておられた。
みなさんのお陰ですということばがなんども出てくる。
感謝、感謝の毎日だそうだ。
北野さんは、昭和48(1973)年大病を患い、
3年間寝たきりの病院生活を経験した。そのときの
後遺症か喘息の発作が続いており、からだからいまも
痛みが抜けない。点滴を打ってもらう毎日という。
それでも月2回ある森田りえ子教室が大変楽しい。
教室に来るとからだの調子がよくなる。これからも
いつまでも頑張って好きな日本画を描き続けていきたいという。
頼もしい限りである。
大病を患ったとき主治医を驚かせたエピソードがある。
脊椎をやられていたから激痛もあるが、まったく歩けない。
当然、絵筆も持てない。
庭の花を毎日描いていましたといわれる。それはまたどうして
ですか?とお尋ねしたら、頭の中でイメージしながら絵を描いていた
というのである。
こんな話もある。
毎日「散歩」していたという。
お宅は大阪ナンバの道具屋筋の老舗のお店であるが、
今日は、近くの画材店の丹青堂にしようと決めると
その日の「散歩」がはじまる。
丹青堂に着くまでのウインドーショッピングがとても
楽しかった。お店では今日はどの筆を買おうかと、
店の主人と話しながらあれこれ選んだという。
それを毎日繰り返していたら、ある日突然歩けるように
なっていて、 当時の主治医をたまげさせたというからすごい話である。
来場者の会話を聞くともなく聞いていると見る人それぞれが
北野さんの1枚1枚の絵に己の人生を重ね合わせておられることが
伝わってきた。
病院でお世話になったときの婦長さんがこられていた。
昨日は「森田りえ子教室」の仲間も多数お祝いにかけつけてくれた。
そのことがとっても嬉しかったと話された。
「教室」の助手の猪熊佳子先生、菊池啓二先生もこられた。
プロの日本画家の猪熊先生が、テーブルに用意された
2冊の色紙の絵1枚1枚にまで丹念に目を通しておられた姿が
印象的だった。
「宝恵籠」という芸者さんの絵が展示されている。
十日戎には、宗右衛門町がまだ賑わっていた頃、
「ホエカゴホーイ、ホエカゴホーイ」の掛け声をかけながら
大和屋から今宮戎まで芸者さんが行きかえりしたそうだ。
会場には舞妓さんの絵も数点ある。
上品なお色気というのは北野さんが描かれる絵のことを
言うのではなかろうか。
お近くまでお出かけの機会があれば、
是非のぞいていただきたい。
必見の個展である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
リーガロイヤルホテル(大阪)1階ギャラリーで
5月29日(日)まで開かれているので出かけた。
北野さんは、現在は高島屋ローズサークル、森田りえ子日本画教室で
学ぶ身であるが、画歴は吉田高嶺(49年から)、上村淳之、
岡崎忠男(81年から)、堤利彦(83年から)4人の先生に
指導を受けた。
ギャラリー入口には、森田りえ子先生から届けられた
お祝いのバラの花が訪れる人をまず迎えてくれる。
当の北野さんは、「森田先生からお花をいただいた、
先生からお花をいただいた」と、まるで童女のように
目を輝かせて喜んでおられた。
約40点の作品が並べられているが、腕前もすごいが
一枚一枚の絵に、愛がある、心がある、北野さんのお人柄
そのままの温もりがそこはかとなく伝わってくる。
こんなに大勢の方に見に来ていただけるとは思いも
しなかったと本当に嬉しそうに、北野さんはお話しておられた。
みなさんのお陰ですということばがなんども出てくる。
感謝、感謝の毎日だそうだ。
北野さんは、昭和48(1973)年大病を患い、
3年間寝たきりの病院生活を経験した。そのときの
後遺症か喘息の発作が続いており、からだからいまも
痛みが抜けない。点滴を打ってもらう毎日という。
それでも月2回ある森田りえ子教室が大変楽しい。
教室に来るとからだの調子がよくなる。これからも
いつまでも頑張って好きな日本画を描き続けていきたいという。
頼もしい限りである。
大病を患ったとき主治医を驚かせたエピソードがある。
脊椎をやられていたから激痛もあるが、まったく歩けない。
当然、絵筆も持てない。
庭の花を毎日描いていましたといわれる。それはまたどうして
ですか?とお尋ねしたら、頭の中でイメージしながら絵を描いていた
というのである。
こんな話もある。
毎日「散歩」していたという。
お宅は大阪ナンバの道具屋筋の老舗のお店であるが、
今日は、近くの画材店の丹青堂にしようと決めると
その日の「散歩」がはじまる。
丹青堂に着くまでのウインドーショッピングがとても
楽しかった。お店では今日はどの筆を買おうかと、
店の主人と話しながらあれこれ選んだという。
それを毎日繰り返していたら、ある日突然歩けるように
なっていて、 当時の主治医をたまげさせたというからすごい話である。
来場者の会話を聞くともなく聞いていると見る人それぞれが
北野さんの1枚1枚の絵に己の人生を重ね合わせておられることが
伝わってきた。
病院でお世話になったときの婦長さんがこられていた。
昨日は「森田りえ子教室」の仲間も多数お祝いにかけつけてくれた。
そのことがとっても嬉しかったと話された。
「教室」の助手の猪熊佳子先生、菊池啓二先生もこられた。
プロの日本画家の猪熊先生が、テーブルに用意された
2冊の色紙の絵1枚1枚にまで丹念に目を通しておられた姿が
印象的だった。
「宝恵籠」という芸者さんの絵が展示されている。
十日戎には、宗右衛門町がまだ賑わっていた頃、
「ホエカゴホーイ、ホエカゴホーイ」の掛け声をかけながら
大和屋から今宮戎まで芸者さんが行きかえりしたそうだ。
会場には舞妓さんの絵も数点ある。
上品なお色気というのは北野さんが描かれる絵のことを
言うのではなかろうか。
お近くまでお出かけの機会があれば、
是非のぞいていただきたい。
必見の個展である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)