晴れ、ときどき映画三昧

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「日本のいちばん長い日」(67・日)80点

2015-08-19 15:56:06 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)

 ・ 終戦70年に最も相応しいドキュメンタリー風戦争ドラマ。

                  

 大宅壮一(実際は半藤利一)のノンフィクション小説を、東宝が創立35周年記念オールスター・キャストで映画化。

 監督は戦争アクションものを得意とした岡本喜八。橋本忍の脚本は45年8月14日正午から15日正午まで、日本の軍部や政府内部の中枢機関がどのような動きだったかが順を追ってドラマチックに描かれていて、まるでドキュメンタリーのような緊迫感ある味わい。

 モノクロで描かれた157分は、まさに戦後70年目に最も相応しい戦争ドラマだ。

 7月26日早朝日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が海外で傍受され、翌日官邸で緊急会議が開かれる。阿南陸相の強硬な反対により、会議は紛糾し、結論は持ち越された。

 広島に原爆投下、ソ連参戦、長崎原爆投下と事態は益々悪化の一途を辿り、このままだと本土決戦か?という10日、政府は天皇の大権に変更がないことを条件に受諾する旨、スイス・スウェーデン日本公使へ通知。

 12日、連合国側の回答は天皇の地位条項にあるSubjyect Toの解釈が<隷属か制限か>で大論争となる。

 仲代達矢のナレーションで始まるこのドキュメンタリー・フィルムを交えた20分余りのプロローグは、日本人なら目に焼き付いておかなければならないシーン。

 8月14日特別御前会議で、天皇は東郷外務大臣(宮口精二)の意見に賛同し終戦を決意。

 ここから長い1日が始まる。大半の兵力を失った海軍は兎も角、100万の兵力を抱えた陸軍は戦闘体制は崩れていない。本土決戦で勝利してから有利な和平に持ち込みたいという意見が大勢だった。

 ご聖断が下った後、もっとも厄介なのは終戦反対派の陸軍青年将校たちのクーデター計画を抑えること。

 海軍育ちで二二六事件で命を狙われた鈴木貫太郎首相(笠智衆)、阿南陸相(三船敏郎)は気心が知れた中、お互い苦しい胸の内を知りながらご聖断を仰がなければ物事が進まないという辛さを共有していた。

 あくまで終戦を果たしその責任を背負った鈴木と陸軍の創意を担った阿南。阿南を過度に英雄扱いすることをギリギリで避けながら、2人の苦悩は対照的に描かれている。

 ドラマは血気に逸る将校たちの動きを追いながら、中枢人物以外に終戦という幕引きに携わった人々がどのように行動したか?が緊迫感をもって描かれる。

 官邸、宮内省、侍従、日本放送協会などで実務に携わる人々の生死を懸けての行動が、軍部の愛国心とは違った愛国心によって、15日に終戦を迎えることとなったのだ。

 岡本の卓越した編集技術、俳優たちの適格な演技と相俟って、見事な群像劇に仕上がっている。

 あまりにも遅きに失した感は否めないが、広島・長崎の原爆被災、東京など大都市爆撃、沖縄の激戦など多大な犠牲を負いながら、最悪の本土決戦を避け国体維持を果たした玉音放送。

 自刃した阿南陸相やクーデターの首謀者畑中少佐(黒沢年男)が、戦後の復興を見たらどんな想いだったろうか?

 リメイクが公開中の現在本作を観て、戦争という犯罪は、正義の名のもとに一旦突入すると歯止めの効かない魔物だと改めて知る思いだ。

  
 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (風早真希)
2023-08-03 13:49:38
岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」は、ポツダム宣言が発表された1945年7月26日から、8月15日の敗戦まで、日本の指導部と軍の中枢部では、どんなドラマが繰り広げられていたかという、"終戦秘話"をドキュメンタリータッチで描いた作品ですね。

この映画は当初、「人間の條件」「切腹」の小林正樹監督で撮影される予定だったものが中止になり、「こういう作品をつくるべきだ」と怒った岡本喜八監督が、東宝の重役に抗議したのが、この映画を引き受けるきっかけになったという逸話が残っており、いかにも岡本喜八監督らしい"戦中派"の思いの詰まった映画になっていると思います。

ポツダム宣言受諾、降伏を決めた8月14日の御前会議後に、徹底抗戦を主張して、昭和天皇の「玉音放送」の録音盤を奪おうとした陸軍の青年将校らの動きを軸に、幾つかの物語が並行して描かれていきます。

もし彼らの反乱が成功していたら、日本は焦土と化していたかもしれないし、国が分裂していたかもしれません。
それほどシリアスなテーマなのですが、決して重苦しい映画ではありません。

「独立愚連隊」など、娯楽アクション戦争映画の快作を生み出した、岡本監督らしいセンスが発揮されているからだと思います。

この映画は、東宝創立35周年記念映画として公開され、後のいわゆる"8.15"ものの記念すべき第1作目となった作品ですが、公開当時は「庶民が出てこない」などの批評が多かったという事ですが、今の時点であらためて観直してみると、"戦中派"の岡本監督の"反戦のメッセージ"が随所に込められているのが、よくわかります。

そして、この映画の見どころの一つはやはり、何といっても豪華なオールスターの競演ですね。
軍人としての信を苦悩の中に貫く阿南陸相を、鬼気迫る演技で示した三船敏郎を筆頭に、鈴木貫太郎首相役の笠智衆の、飄々とした中に見せる貫禄、狂信的な軍人を演じた天本英世の怪演、玉音盤を奪取しようと、一途な狂気に突っ走る畑中少佐を演じた黒沢年男の熱気----、いずれもが光っていたと思います。

そして、特に印象に残るのは、阿南陸相が切腹する前、共に死ぬという部下を押しとどめて言う言葉です。
「死ぬより生き残るほうが、ずっと勇気がいることだぞ----。生き残った人々が二度とこのような惨めな日を迎えないような日本に、何としても再建してもらいたい」

危急存亡の時、指導者の決断の遅れが、いかに悲惨な事態を招いてしまうか。
現在にも通じる教訓が、含まれていると思います。

この映画は、"庶民の戦争"を描いた、岡本喜八監督の自伝的な作品「肉弾」と併せて観て見ると、"戦中派"の岡本監督の反戦への強い思いがわかると思います。
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