・ 難病を抱えた本人と家族の在り方を丁寧に描いた良作。
コロンビア大学教授で言語学者が50歳の誕生日に、ハイキャリアの長女夫婦・医学院生の長男が祝いに駆けつける。
子供たちに囲まれ医師の夫から「僕の人生を通じて最も美しく、最も知的な女性」と言われた彼女の唯一の気掛かりは、ロスで女優志望の次女の将来ぐらいで絵に描いたようなエリート家族の順風満帆な人生だ。
その彼女が若年性アルツハイマーと診断され、家族にも遺伝するかもしれないという。
この病名の映画といえば「明日への記憶」(06)・「私の頭の中の消しゴム」(04)が有名だが、筆者はどちらかというと苦手なジャンルで未見。自分が65歳を遥かに超えて、森繁久弥の迫真の演技が強烈な印象の「恍惚の人」(73)のほうが切実になってしまっている。
原作は大学教授でアルツハイマーに詳しい神経学者のリサ・ジェノヴァのベストセラー「静かなるアリス」で、主人公アリスを演じたジュリアン・ムーアがオスカー主演女優賞を獲得している。
知性・教養があり、言語とともに人生を託していた彼女が講座で単語を忘れ、得意な料理ができなくなり、人の名前を覚えられず、キャンパス内のジョギング中に帰り道が分からなくなって、とうとう自宅のトイレの場所が分からず失禁してしまう。
若年性は若くて物事をよく考える人ほど進行が速いというが、その微妙な変化を見事に再現したJ・ムーア。その苦悩と覚悟の描写をとてもリアルに演じてオスカー受賞も納得。
発病間もないときにパソコンに入れたファイル名バタフライのメッセージは、自分であるという尊厳を保ちたいという思い。夫と過ごす最後の夏も、穏やかな人生を享受することを願ってのもの。
本作はフィクションだが、難病を抱えた当事者とその家族がどう対応すべきか?のハウツーものとしても興味深い。
アリスが望んでいたのは長女アナの出産、長男トムと卒業、次女リディアの安定した将来を見届けること。すべてが実現してもその事実を彼女は自覚できないだろうが、観客が代わって確認することになる。
特に何かとぶつかり合っていたリディアがアリスに寄り添う姿は、ご都合主義と言われてもこの映画を心温まるものにしてくれた。
これはALS(筋萎縮性側索硬化症)を抱えながらパートナーのウォッシュ・ウェストモアランドに支えられ、オスカー授賞式を見届けて亡くなったリチャード・グラッツァー監督の願いでもあったと思う。