晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ベルリン、僕らの革命」(04・独=オーストリア) 70点

2015-03-31 09:43:15 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 理想を追いかける若者の青春映画。

                   
 ハンス・ハインガルトナー監督、「グッバイ・レーニン」のダニエル・ブリューレ主演による<現代ドイツにおける理想を追いかける若者像>を描いている。

 ヤン(D・ブリュール)とピーター(スタイブ・エルツェグ)は裕福な家庭の留守を狙って、家具や装飾品をアート・ディスプレイすることで贅沢を戒める<自称革命家>。

 ピーターの恋人ユール(ジュリア・ジェンチ)は高級レストランのウェイトレスで、クルマの事故による賠償責任を負っている。そこへ損害賠償相手の実業家が絡んでくる。

 良い意味で理屈っぽいドイツ映画らしく、普通の青春映画ではない。実業家が嘗ての左翼の活動家で、結婚して家族を持ち、何時しか豊かな生活に憧れ保守的になって行く。

 自己矛盾はありながら、自信たっぷりに若者を説得する。現代ドイツが持つ経済格差は世界共通の悩みだが、こんなに純粋に革命活動をしようとする3人の20年後を観てみたい気もする。

 いまや亡きジェフ・バックリーの「ハレルヤ」が印象深い。

「ヴィーナス」(06・英) 70点

2015-03-30 12:19:25 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ こんな老人は、幸せなのかも・・・。

                   
 「ノッティグヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル監督、ハニス・クレイシ脚本で、ピーター・オトゥール主演のシニカルなコメディ。

 老俳優のモーリス(P・オトゥール)は、親友イアン(レスリー・フィリップ)の姪の娘・ジェシー(ジョディ・ウィッテカー)が田舎からロンドンへ手伝いに来るのを知り興味を持つ。本来の女好きで、寂しくなると元妻ヴァレリー(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)のもとへ訪れ、縁が切れない。

 一見、谷崎潤一郎の世界で、もとは脚本のH・クレイシのオリジナルだが、名優P・オトゥールの実話ではないかと思われるほど。あの若き日の「アラビアのロレンス」の偉丈夫振りをかなぐり捨て、忍び寄る老いとの闘いを見事に演じ切った。

 モーリスは、仕事・親友・元妻に恵まれ自由奔放に生きていて、何と幸せな老後なんだろうと想いつつ、孤独な死を恐れている。「誰も永遠に生きられない」というモーリスだからこそ、下品で無作法なジェシーを<ヴィーナス>と呼び、生き甲斐としたのだろう。

 この映画を観る世代によって評価が分かれそうなテーマだが、自分の数年後を想うと、とてもマネをできそうもない。音楽がオーバーラップしながら画面転換するところがなかなかお洒落で、ユリーヌ・ベイリー・レイの挿入曲も印象深い。    

「ララミーから来た男」(55・米) 60点

2015-03-28 08:02:59 | 外国映画 1946~59

 ・ A・マン、J・スチュアートのコンビによる最後の西部劇。

                

 「ウィンチェスター銃’73」(50)、「怒りの河」(52)などアンソニー・マン監督ジェームズ・スチュアート主演の西部劇は5本あるが、これは最後の西部劇。

 ララミー砦から西部の町コロナドへ3台の馬車で荷物を運んできたウィル・ロックハート(J・スチュアート)。ラバに乗ったウィルは温厚そうで、使用人からも慕われている。帰りは届け先である雑貨店の女主人バーバラ(キャシー・オドネル)が教えてくれた塩田で塩を積んで帰ることにした。

 そこへやってきた牧場主の息子デイヴ(アレックス・ニコル)は、泥棒呼ばわりした挙句、荷馬車に火を付け燃やしてしまう。牧童頭のヴィック(アーサー・ケネディ)が駆けつけたときは手遅れだった。

 雄大な牧草地、険しい山岳地帯、白い田園風景をバックに、ウィルとデイヴの対決が序盤で明らかになるが、牧場主アレックス(ドナルド・クリプス)が登場するとハナシは単純には進まない。

 昔は強引に力づくで牧場を拡大したものの、アレックスのいま最大の悩みは後継者問題。乱暴者の息子デイヴは相応しくないが牧童頭は他人。典型的なオーナーの悩みだ。

 さらに元騎兵隊の大尉だったウィルはアパッチにウィンチェスター銃で殺された騎兵隊の弟がいたのだ。アパッチに銃を売った人間を探すための旅でもあった。

 小さな牧場を守るケイト(アリーン・マクマホン)に雇われながら探索を続ける。

 なかなか凝ったシナリオでウィルの復讐、バーバラを巡ってウィルとヴィックの三角関係、ウィルと元使用人フリッツの友情、デイヴとヴィックの後継者争い、アレックとケイトの老い楽の恋などが絡みながら物語は進んでゆく。

 ただ104分では中途半端だったり強引な展開だったりで、結局はウィルが自ら手を下さないまま目的を果たすというご都合主義が目につく。もっとも気の毒だったのはヴィック役のA・ケネディで、前半と後半では別人格となってしまった。

 <アメリカの良心>と呼ばれ、生涯一度も悪役を演じたことがないJ・スチュアートらしいエンディング。それなりに面白かったハッピー・エンドなのに、どこか物足りなかったのは西部劇アクションらしい爽快感がなかったためか?


「クジラの島の少女」(ニュージーランド=独) 65点

2015-03-27 07:53:02 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ ニキ・カーロ監督の優しい眼差し。
                                                                 

 ウィティ・イヒマエラ原作「ザ・ホエール・ライダー」をニキ・カーロによる監督・脚本で映画化。クジラに乗ってきたニュージーランド、マリオ族の勇者伝説がテーマとなっている。

 02トロントを始め、国際映画祭で観客賞を受賞し、主演のケイシャ・キャッスル=ヒューズが13歳で史上最年少オスカー主演女優賞候補になり話題となった。

 マリオ族の長・コロ(ラウリ・パラティーン)は後継者がいないことが悩み。長男のポロランギ(クリフ・カーティス)は娘・パイケアを残しドイツへ。パイケアが12歳のときクジラが浜へ打ち上げられる。みんなで海へ戻そうとするが・・・。

 マイノリティ賛歌の映画は数多くあるが、少女の視点で捉えたところが異質だ。美しい海に囲まれた別世界のメルヘンを、N・カーロは優しい眼差しで描き、伝統文化の大切さを訴えていて好感が持てる。

 ただ、少女がナレーションまですることで、ストーリーは分かり易くなった半面、想像の膨らみを持てなくなってしまったのは残念。

 この映画とは無関係ながらクジラを御馳走として幼少期を過ごした筆者には、いまひとつ付いて行けないストーリーでもあった。

「祇園囃子」(53・日) 70点

2015-03-26 08:15:24 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・ 戦後の祇園で生きる人間模様を描いた溝口。

                    

 日本の代表的花街・祇園を舞台に、シキタリ社会に生きる芸妓とお茶屋・馴染み客が繰り広げる人間模様。川口松太郎の原作を依田義賢が脚色し、全盛期の溝口健二が監督、宮川一夫が撮影して独特の世界・祇園を見事に描写している。

 主演は木暮実千代と若尾文子。情が篤く義理堅い屋形を持つ芸妓木暮と、あどけない16歳の舞妓を演じた当時19歳の若尾があでやかな着物姿で魅了。

 旦那を持たず頑張っている美代春(木暮実千代)。かつての馴染み客沢本(進藤英太郎)の娘栄子(若尾文子)が芸妓になりたいと飛び込んできた。

 表の華やかさとは裏腹の厳しい世界に、憧れだけでは務まらないと諭すが直向きさに負け受け入れる。メリヤス問屋の父は経営が左前、おまけに身体が不自由な身。母を亡くし16歳の娘が父親とけんかしてのことだった。

 お茶屋の女将お君(浪花千栄子)は満面の笑みで美代春に面倒を観るように勧める。

 ここで、お君がおかあさん・美代春がお姉さん・栄子が妹という血縁関係のない祇園ならではの家族が誕生する。

 世代の違う3人が繰り広げる祇園は、一般社会より金と力の渦巻く過酷な世界。技芸学校の先生(毛利菊枝)が唱える、<フジヤマとゲイシャは世界に知られているが、祇園の芸妓は日本の生きた芸術品。国際的に恥じないような芸妓になりなさい>といわれるが、芸事やお作法を会得しても男と女のシキタリで成立するお座敷での基本的人権は意味をなさない。

 栄子の舞妓・美代栄としてのお披露目に必要な30万を工面した美代春はお君に借りたもの。お君は、車両会社専務の楠田(河津清三郎)に無心したもの。

 楠田の狙いは8千万の車両受注を役所の課長神埼(小柴幹治)から受けたいと接待に明け暮れ、神埼が美代春に気があるのを幸いに仲を取り持ち、おまけに栄子の旦那にもなろうという魂胆だった。

 権力の構図はあまりにも直截的だが、これほど極端ではないにせよ現代でもありがちな構図。この世界に浸って生きてきたお君は当然のこととシキタリを当たり前のこととして美代春に説く。

 いちどははねつけた美代春に待っていたのはお座敷が掛からないという真綿で首を絞めるようなお君の仕打ちだった。演じた浪花の強かな演技はまるで本物で、満面の笑みと柔らかい言葉の裏にある凄みを感じさせられる。

 「西鶴一代女」(52)、「雨月物語」(53)と時代物大作が続いた溝口だが、大映の重役でもある川口松太郎原作の小品を監督したのは、是非に望んでのことではなかったことだろう。

 それでも全盛期の溝口らしい切れ味は随所にみられ、虚と実の世界で生きる祇園の世界を描いてみせた。木暮の女盛りの色香と若尾の初々しい奔放さを惹きだしながら陰湿さを感じさせない演出は流石である。
 
 

 

「エリザベス:ゴールデンエージ」(07・英) 70点

2015-03-25 07:53:52 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 絢爛豪華な衣装でK・ブランシェットが熱演。

                   

 前作「エリザベス」(98)以来、9年振りにシェカール・カプール監督、ケイト・ブランシェット主演による続編。即位後27年を経た1858年、イングランド女王として国内紛争、スペイン艦隊との戦いを乗り越え「黄金時代」を迎えるまでを描いている。

 絢爛豪華な衣装で登場するエリザベス1世を演じたK・ブランシェットの熱演が目立ち、共演者を圧倒している。歴史的な事実を踏まえながら、女王の内面の孤独感を描いているが、意外にも盛り上がりに欠けてしまった。

 このドラマのメインテーマである禁断の恋の相手・航海士ウォルター・ローリー(クライヴ・オーウェン)を侍女のベス(Aビー・コーニィッシュ)に身代わりさせる経緯に不自然さが目立つ。聡明で勇気を持ち合わせ、大国の基礎を築いた女王の内面の葛藤を描きたかったのだろうが成功したとはいえない。前回同様K・ブランシェットがオスカー候補になりながら逃してしまったのは、その不自然さのせいか?

 とはいえ、ウェストミンスター大聖堂を始め、歴史的建造物や海岸でのロケは時代物には欠かせない本物感がある。側近役のジェフリー・ラッシュの重厚な演技やA・コーニッシュの美しさが目立った。

 サマンサ・モートンは育ちの良さと儚さを併せ持つメアリー女王を好演しているが、悲劇のヒロインの割に出番が少なく、添えモノ的存在になってしまった。

 2時間足らずの長さは時代物には物足りなさも感じたが、このストーリーなら娯楽時代劇として相応しい長さともいえる。

「ブレイブ ワン」(米=オーストラリア) 65点

2015-03-24 07:00:48 | (米国) 2000~09 

 ・ 真の勇気とは?

                   
 知性派女優・ジョディ・フォスターが製作指揮・主演したサスペンス。監督はニール・ジョーダンで真の正義・勇気とは?を問いかけた話題作。

 NYのラジオ・パーソナリティ、エリカ(J・フォスター)は婚約者・デイヴィット(ナヴィーン・アンドリュース)を暴漢に殺され、自身も意識不明となり、心身ともに痛手を負い、外出も儘ならない。

 自衛のため拳銃を手に入れることがキッカケで偶然遭遇したコンビニ強盗を射殺してしまう。警察を信頼できない彼女は、大都会で法の行き届かない犯罪に遭遇するたびに、正義漢を発揮して行く。

 ヒロイン・エリカの行為が許せるか?がこの映画のテーマであれば、行き過ぎた正義漢や報復は間違いなくNOである。ただ、極限の環境に身を置いた状態での人間の行動は、まともな倫理・道徳観では割り切れないのは理解できる。誰でもこういう境遇にならないとは限らない社会であるということか?

 J・フォスターは追い詰められた女性の必死な生きザマを大熱演。対照的にテレンス・ハワードが法の忠実な番人・マサー刑事役で静の演技をみせ、2人の絡みが見せ場。

 ヒロイン・エリカの行為が許せるか?がこの映画のテーマであれば、報復は間違いなくNOである。ラスト・シーンで違う結末を期待しているのだが・・・。
 

「潜水服は蝶の夢を見る」(07・仏=米) 70点

2015-03-23 08:24:17 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 斬新な映像で生きる喜びを描いたシュナーベル。

                  

 ELLEの編集長ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)が目覚めると、そこは病院で医師や看護士が覗き込んでいる。

 意識はハッキリしているのに、身体が身動きできず言葉が通じない。動くのは左眼だけという深刻な状況であるにも関わらず、言語療法士アンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)や理学療法士(オラツ・ロペス・ヘルメンディア)の美しさを独白するユーモアを忘れないのが如何にも彼の性格を現している。

 瞬きだけでコミュニケーションする方法で、最初に伝えた言葉は「死にたい」だった。内縁の妻セリーヌ(エマニュエル・ヤニエ)や3人の子供たちに囲まれて人生を謳歌していたこと、父親(マックス・フォン・シド)との会話、元恋人ジョセフィーヌ(マリナ・ハンズ)との別れ・・・、次々と記憶が蘇る。

 現代美術作家のジュリアン・シュナーベルが、ロックド・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)という病気で不自由な体でありながら、自伝を出版した男の実話をもとに映画化したヒューマン・ドラマ。カンヌ国際映画祭、監督・高等技術賞を受賞している。

 カメラは、通称ジャン・ドーの左目になって撮られていて視点が定まらない。封切り時は、前から4番目の席で観たため臨場感溢れる映像で観られたのは不幸中の幸い?だった。

 脚本は「戦場のピアニスト」のロナルド・ハーウッド、撮影はスピルバーグ作品の常連、ヤヌス・カミンスキー。2人の連携がこの映像を生んで 、潜水服を着たような主人公を具現化した。中盤以降、大空を自由に飛び回る蝶になった想像の世界が、テーマを必要以上暗くならないものにしてくれた。

 シュナーベル監督は、この愛と感動の物語を必要以上盛り上げることなく<生きることの意義>を静かに訴えている。その分物足りないと感じる人もいるかもしれない。シャルル・トレネの「ラ・メール」が主人公の気持ちを代弁していて、効果的に使われていたのが印象に残った。

「ラスト、コーション」(07・米=中国=台湾=香港) 70点

2015-03-22 07:59:01 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ A・リーが描きたかった、人間の哀しみ。

                 

 ’42年の上海、ひとりの女(タン・ウェイ)がカフェで人待ち風。カウンターでの電話や周りへの視線に緊張感が漂う。
 
 その3年前、香港の大学生だったワン・チアチーは、演劇部の抗日活動家クァン(ワン・リーホン)に誘われて舞台に立つ。その高揚感とクァンへの片想いで、王傀儡政権の高官イー(トニー・レオン)暗殺を狙うスパイとなって行く。

 ワンは貿易商の若夫人マイを装い、イー邸で夫人(ジョアン・チェン)との麻雀で、頻繁に出入りするようになる。

「ブロークバック・マウンテン」のアン・リー監督が、再び禁断の愛を描いた当時の話題作。ヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞作品。「インファナル・ア・フェア」のT・レオンと新人タン・ウェイの主演。

 3シーンで合計20分ほど、想像を遥かに上回る過激な性描写が独り歩きして話題を醸し出したが、緻密な必然性を持っている。極限の世界にいる2人が、最初は暴力的に、次に戸惑い、最後に情愛をこめて、そのシーンは変化して行くのだ。

 もうひとつの見せ場は、女たちの麻雀シーン。混迷時で外出も儘ならない女にとって、たまの買い物と麻雀だけが楽しみ。その優雅な手つきウラハラな会話が女の戦いそのものである。

 結局、香港大学生たちは反日上層部のコマでしかなく、純粋だったクァンも3年後は愚かな活動家となってチアチーを利用しようとする。チアチーにとって敵であるはずのイーは、孤独な哀しさが漂って逢うたびに愛おしさが募って行く。

 当時の複雑な時代背景=抗日・中国内戦状況を想うと、単なるラブ・ストーリーではなく、台湾出身である中国人監督の<心の襞を覗き観るような気分>になる。

 ポスト、チャン・ツィイーとも第二のコン・リーともいわれたタン・ウェイは、相田翔子に似た愛くるしい風貌で、その体当たり的な演技はモデル出身のせいか豊満さや卑猥な感じがしない。微妙な女の変化を、その視線で見事に演じ切っている。

 T・レオンは今までの甘さを捨て、誰も信じない冷酷さと不安な気持ちを漂わせた名演技で、彼の代表作と言えるだろう。

 本作での日本は蔑視される個所が随所に窺える。日本人として居た堪れない気分もあるが、ここはフィクションの世界だと割り切るほかない。

 

「かつて、ノルマンディーで」(07・仏) 70点

2015-03-21 07:43:22 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ フィリベール監督の、思い入れたっぷりのドキュメンタリー。

               

 仏のドキュメンタリー監督、ニコラ・フィリベールが、ノルマンディの農村で30年前映画出演した人々へのインタビュー構成で、自身の原点を探る映画。

 ’76年ルネ・アリオ監督「私ピエール・リヴイエールは母と妹と弟を殺害した」という映画の助監督で、キャスティングを担当したN・フィリベール。資金不足のなか主人公を始め出演者を地元の人から探し、無事完成させた。

 映画は19世紀の実話がもとで、哲学者ミッシェル・・フーコー原作の悲惨な殺人事件でありながら、出演した人々は30年前のことをまるで昨日のように楽しげに語っていた。なかには、娘の病を機に辛い想い出になってしまった人も。

 ブタの飼育、シードル作りが昔ながらに行われている素朴な生活。冒頭、子ブタの誕生と、中盤ブタのト殺シーンが丹念に映されインパクトがある以外静かな映像が続く。村は何も変わっていないように見えて、核問題を抱えていたりする。

 その人々が映画にどのように関わり、今どのように思っているかが分かってくるが、肝心の主人公を演じたクロード・エベールの行方が分からない。そして感動の再会。

 いわば、30年前のメイキングだがそこにフィリベールの思い入れがたっぷり入っている。それは、父とも仰ぐルネ・アリオ監督への畏敬と出演者のそれぞれの人生賛歌がひしひしと伝わってくる。

 なかでも豚の飼育をしているロジェがとてもイイ味を出している。彼は映画では出演シーンをカットされていたが、結婚式を挙げる今回は主役級だ。

 同じジャンルのマイケル・ムーアとは両極にいるフィリベール。心の奥に沁み入るようなヒトとヒトとの絆を訴えている。