晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「レナードの朝」(90・米) 75点

2017-05-31 15:41:40 | (米国) 1980~99 

  ・ 実話をもとにしたデ・ニーロ、R・ウィリアムズ共演のヒューマン・ドラマ。


    

 オリヴァー・サックス原作、<治療不能といわれる難病に挑んだ医師の奮闘記>をロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズの2大俳優共演により映画化。監督はペニー・マーシャル。

 原題「Awakenings」より邦題のほうがピッタリの内容だ。

 脳炎の後遺症である嗜眠性障害により、30年間寝たきりのレナード(R・デ・ニーロ)はブロンクスにある慢性神経病専門病院に入院中だった。

 その病院に赴任してきたのがセイヤー医師(R・ウィリアムズ)。人間と関わることが苦手な研究者で、5年間ミミズを対象に実験していたが、人手不足のため研究者ではなく慢性神経医として雇われる。

 病状に悪戦苦闘しながら試行錯誤する医師と30年ぶりに目覚めた患者の友情物語へと進んで行く。

 いわゆる実話の難病もの映画だが淡々と進む展開は、ドキュメンタリー・タッチながらドラマチックな風情もあって、この微妙なバランスはスティーヴン・ザイリアン脚本ならではだろう。

 何より2人の好演が最大の見どころ。

 デ・ニーロは演技を超えたリアルな患者役で、奇跡を起こした夏の朝窓辺で静かに立つ姿は共感を呼ぶが、再び病状が悪化してゆく様は観ていて痛々しく、とても辛い。

 父親を見舞いにきたポーラという若い女性とのデートは、少年から40過ぎの中年で目覚める残酷さを微細に亘って演じている。

 R・ウィリアムズはコメディアンからシリアスな役まで幅広く活躍しているが、「いまを生きる」(89)、「グッドウィル・ハンティング/旅立ち」(97)の教師役や「パッチ・アダムス」(98)の医師役など、決してエリートではないが誠実に職務に励むキャラクターがピッタリはまって適役だ。

 「一度目覚めさせて、殺してしまった。」と悩むセイヤーの苦悩は、患者と医師には深い信頼関係が生まれてこそ報われる。

 セイヤーにとって善き理解者であるベテラン看護師エレノア(ジェリー・カブナー)の存在が何よりも締めくくりに相応しい。

 2人の共演をもっと観てみたかった。
 

「湯を沸かすほどの熱い愛」(16・日) 80点

2017-05-28 13:58:13 | 2016~(平成28~)


   ・ リアルさを超越した<熱い家族愛のドラマ>。

    

 余命2か月の母とその家族の物語といえばお涙頂戴の感動ドラマを想像するが、これが商業映画デビューの中野量太作品はかなりユーモアを交えたユニークなテイスト。

 家出した夫を連れ戻して家業の銭湯を再開し、イジメに遭って引きこもり寸前の娘を立ち直らせ、もうひとつ、どうしてもやらなければならないことがあった。

 「紙の月」(14)で主演女優賞を総なめした宮沢りえが母・双葉を演じ、期待通りの母性愛で物語を引っ張って行く。

 はまり役ともいえる、頼りないのに何故か周りが許してしまう生活感のない優しい父・一弘にオダギリ・ジョー。

 その父の血を引いて気弱な娘の高校生・安澄にTV朝ドラ<とと姉ちゃん>の妹役でお茶の間に知られる杉咲花。

 そして、家出と戻れない要因となった幼い連れ子の鮎子(伊東蒼)。

 この奇妙な4人が一家を構え<銭湯・幸の湯>を無事経営して行けるのか?さりげない伏線をひとつひとつ回収しながら、双葉がやらなければならないこととは何なのか?が明かされ、衝撃のラスト・シーンとなる。

 「天国と地獄」(黒澤明監督)のオマージュとも思える煙突に、タイトルが出てきのこ帝国主題歌<愛の行方>が流れるエンディングにはリアルさを超越した<熱い愛>がある。

 現実にはあり得ない家族構成の4人が、リアルさを超越してしまう様々な工夫を凝らしたストーリーテーリングに監督の力量を感じる。

 宮沢りえが日本アカデミー・主演女優賞、杉咲花が同・助演女優賞を獲得したのも納得の親子共演だった。

「永い言い訳」 (16・日) 75点

2017-05-26 12:11:36 | 2016~(平成28~)

  ・ 男の本音と建て前を鋭く突いた西川監督。


    

  「ゆれる」(06)、「ディア・ドクター」(09)、「夢売るふたり」(12)と3年ごとにオリジナル作を手掛けてきた西川和美。

 4年後の最新作は、直木賞候補となった同名の自作を映画化した、冬で始まり冬で終わる1年間のドラマ。

 妻が事故死したとき、愛人と情事に耽っていた人気作家・津村啓が、新たな家族との出会いから再生を目指す姿を追う。

 津村を演じたのは本木雅弘。本名は衣笠幸夫で国民栄誉賞の野球選手と同じ音声であることを恥じていて、妻(深津絵里)から幸夫クンと呼ばれるのを嫌っている。

 妻の最後の言葉が「後片付けお願いね!」<究極の後味が悪い別れ>で始まるドラマはどう展開して行くのか?

 人気作家でTVのコメンテーターで出演もする幸夫にとって、表の顔は最愛の妻を突然の事故で失った言いようもない悲しみを堪える津村啓だったが、裏の顔は涙さえ出なかった。

 同じ事故で妻を失った陽一はトラック運転手で2人の子持ち。妻同士は親友だが、幸夫とは初対面。陽一は感情を隠すことなどしない純粋さで愛妻の死を忘れられず事ある毎に泣く。

 事故がなければ決して会わない両極の二人が他者との交流で、新たな人生へ歩み出せるかが最大の見どころ。

 師匠・是枝祐和が得意とする子供が登場するホームドラマに初めてアプローチした西川は、疑似家族の風変わりなホームドラマ。

 本作で本木が演じる、どこか憎めないダメ男ぶりは是枝の阿部寛のような存在。愛人(黒木華)とはワイン片手にジャズのウンチクを傾け、レストランでは「パテ・ド・カンパニュー」を注文する気取り屋。シニカルな笑いを散りばめた男の本音と建て前を見事に表現している。

 キャスティングがきめ細やかなのは本作でも健在。特に陽一を演じた竹原ピストルと、娘の保育園児・灯(白鳥玉季)の自然な演技が光る。

 自然光の柔らかな光を取り入れた山崎裕による16mmフィルム、音楽は殆ど使わず生活音だけのBGMもこだわりを持った映像で、唯一ハイライトで手嶌葵が歌うヘンデルの<オンブラ・マイ・フ>が印象的。

 男の心理描写を深く掘り下げた傑作だが、全体にお行儀がよく女性の描写が類型的なのがモッタイナイ。

 次回作に期待したい。 
 

    

「ブルーに生まれついて」(15・カナダ/英)70点

2017-05-22 18:00:34 |  (欧州・アジア他) 2010~15

  ・ ジャズプレイヤーC・ベイカーになり切ったE・ホーク。


    

 「6才のボクが、大人になるまで」のイーサン・ホークが、ウェストコ-スト・ジャズのトランペット奏者で、<ジャズ界のジェームス・ディーン>と呼ばれたチェット・ベイカーに扮した伝記映画。監督はロバート・バドロー。

 ジャズやC・ベイカーに詳しくなくても、転落したひとりの男とそれを支えた女とのラブ・ストーリーとしても描かれている。

 ’88アムステルダムのホテルの窓から転落死した実在の天才ジャズプレイヤーC・ベイカーは、女性の遍歴とドラッグが付きまとう人生だった。

 写真家ブルース・ウェーバーの映画「レッツ・ゲット・ロスト」(89)は、彼の晩年を撮ったドキュメンタリーだった。

 本作は人気が陰り始めた頃、前歯を破損する大怪我から奇跡的なカムバックするまでを、オリジナル・ドラマ化している。

 最大の見所は、E・ホークがC・ベイカーに乗り移ったクールな熱演ぶり。トランペットは吹き替えなのだろうが、半年の特訓で息遣いは寸分の狂いもなく、演奏スタイルもまるでベイカーが蘇ったよう。

 彼の代表作<マイ・ファニー・バレンタイン>の甘い歌声も、キイは低いがホーク自身が披露している。

 ビパップの巨匠チャーリー・パーカーに認められ、白人でありながらジャズ界に彗星のように現れたベイカーには、どうしても越えられない男がいた。

 それは、東海岸にいる帝王マイルス・デイビス。神聖な場所NYのバードランドで演奏し「女と金のために演奏している奴は信用しない」といわれコンプレックスが募ってしまう。

 それを献身的な愛で救ったのがジェーン(カルメン・イジョゴ)。実在の人物ではないが彼の音楽に多大な影響を与えたはずの何人かの女性を重ね合わせたエンジェル的存在として描かれ、本編がラブ・ストーリーの要素を構成している部分でもある。

 音楽関係者ではレコード会社オーナーのデック・ボックやディジー・ガレスピーが彼に何度か救済の手を差し伸べたことも描かれている。

 もう一度バードランドで演奏したとき、マイルスに拍手してもらったことで彼の時計の針は止まってしまったのかもしれない。
 

 

「ジュリエッタ」(15・米) 75点

2017-05-20 17:54:37 | (米国) 2010~15


  ・ エモーシャルな度合いは少なくなったが、アドモドバル節は健在。


    

 「オール・アバウト・マイ・マザー」(99)、「トーク・トゥ・ハー」(02)、「ボルベール<帰郷>」(06)・女性賛歌3部作でお馴染みのスペインの巨匠・ペドロ・アドモドバル。

 カナダのノーベル賞作家アリス・マンロー「ラナウェイ」の短編<チャンス><すぐに><沈黙>3篇をひとつのストーリーに脚色して、ある女性の贖罪を描いている。

 マドリードに住むジュリエッタは、偶然出会った娘の親友だったベアから12年前突然姿を消していた娘の消息を知らされる。

 それを知ったジュリエッタは恋人とのポルトガル行きを取り止め、娘には伝えていなかった夫・ジョアン(ダニエル・グラオ)との出逢いと別れについて、手紙形式の日記で書き綴って行く。

 ジュリエッタに扮したのは、艶やかな強烈な赤の衣装のエマ・スアエス(現在)と鮮烈な青の衣装のアドリアーナ・ウガルテ(過去)で二人一役。現在と過去が交錯するが、二人一役の不自然さは感じさせない。

 全体に抑制が効いた作風だが、愛とともに不安や嫉妬・悲しみや喪失感がついて回る展開はミステリアス。

 若いジュリアンは愛にひたむきで、自分の行為が他人を傷つけることに気づかなかった。それが愛する娘との離別を呼んだことになるとは、夢にも思わなかったことだろう。

 それに気付いた人がいる。意識不明だった先妻を亡くし傷心のジョアンに心を寄せる家政婦マリアン。初対面からジュリエッタが疎ましい存在であることを態度で示していて、その予見通りの結末となる。

 演じたロッシ・デ・パルマは初期のアドモドバル作品に登場していたが、特異な風貌からその存在感は半端ではない。

 夫・ジョアンの古くからの友人で、浮気相手でもあった彫刻家・アバ(インマ・クエスタ)は、このドラマのキイを握っている。ジュリエッタとも親交が深く、晩年まで親友だった微妙な立ち位置の女性で、ふたりの友情は複雑だ。

 アドモドバルらしいコッテリとした満腹感はないが、強烈なカラーと洗練されたアートと美しい風景で繰り広げられるジュリエッタの半生は、希望の光が射して幕を閉じる。
 



 

 

 

「バッド・ガールズ」(94・米) 60点

2017-05-08 15:03:06 | (米国) 1980~99 

 ・ 4人の美人女優競演による痛快西部劇。


   

 90年代の西部劇は出尽くした感があるが、本作はスタイリッシュな女性ガンマン?4人が競演する西部劇。「告発の行方」(88)のジョナサン・カプランが監督。

 1890年代の西部エコー・シティで娼館を経営するコーディ(マデリーン・ストウ)は、娼婦に乱暴している大佐を射殺し縛り首の刑を言い渡される。

 直前、3人の娼婦アニータ(メアリー・スチュアート・マスターソン)、アイリーン(アンディ・マクダウェル)、リリー(ドリュー・バリモア)に助け出され逃亡。

 大佐の妻が雇ったピンカートン探偵社の2人に追われる4人・・・。

 批評家からは酷評を受けたが、主演級の美人女優の4人が特訓を受け繰り広げるアクションは充分楽しめる。

 翌年シャロン・ストーン主演「クイック&デッド」でG・ハックマン、R・クロウ、L・デカプリオが共演する豪華キャストには及ばないが脇を固めるダーモット・マローニー(ジョシュ)、ジェームズ・ルッソ(キッド)、ジェームズ・レグロス(ウィリアム)らの男優陣もそれぞれ好演して飽きさせない。

 なかでもD・マローニーが2枚目振りを発揮して好アシスト。

 4人の中では最も出番が多いM・ストウが中心で、キッドとの一騎打ちでは西部劇音楽の巨匠ジェリー・ゴールドスミスの音楽が盛り立てる。
 
 最若手D・バリモアは当時19歳。実生活でもかなりのバッド・ガールだったが、本作ではサービスショットも見せ楽しそうに演じていて、のちの「チャーリーズ・エンジェル」での活躍を予見させてくれた。

 なんとなく、少年のころ観た美空ひばり主演の娯楽時代劇を連想させる西部劇だった。

「エブリバディ・ウォンツ・サム!!世界はボクらの手の中に」(16・米)60点

2017-05-07 12:15:31 | 2016~(平成28~)

 ・ 教訓的名言をちりばめたR・リンクレイターの青春映画。


   

「6才のボクが、大人になるまで」(14)で大ブレイクしたリチャード・リンクレイターが、自身の青春体験をもとに<80年代大学野球部に入部した3日間>を描いた群像劇。原題は80年代のヒットナンバー。

 野球好きでなくても、同時代青春を過ごしたした人にとってはファッション・音楽など80年代カルチャー満載で懐かしく共感できるのかもしれない。

 残念ながら筆者のような世代が違う者にとっては、異文化の若者たちの一瞬のバカ騒ぎにしか映らなかった。

 注目したのは、キャッチフレーズ<後悔するのはやったことじゃない。やり残したことさ>を始めとする随所に彼らが語った言葉。

 <今を楽しめ。長くは続かないから><無益に見える苦しみにも価値はある。物事が意味を持つかは自分次第>などなど・・・。

 まさに青春とは?を言い得て妙な金言の連発だ。

 もうひとつは、出演者に将来のスターが埋もれていること。主演のジェイクに扮したブレイク・ジェナー、ナンパ好きの上級生フィネガンのグレン・パウエルはこれからも画面を賑わしそう。

 恋人ビバリーを演じたゾーイ・ドゥイッチは父は監督、母は女優の血統で今後の活躍が期待され、マリファナ愛好者ウィロビーのワイアット・ラッセルはK・ラッセルの息子。

 野球のシーンで力を発揮したのは元プロ野球選手でナイルズに扮したジャスティン・ストリート。キャプテン・マクレイノルズのタイラー・ホークリンもホンモノだ。

 いづれも実年齢から大学生には見えないのはご愛敬。

 夢のような体育会ノリの入部3日間は儚く終わるが、こんな楽しい体験のない筆者にとって羨ましい青春グラフティ・ムービーだった。

「山の音」(54・日) 75点

2017-05-06 10:17:59 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・ 川端文学を女性目線の成瀬流で映像化。


   

 小津・溝口・黒沢に続く四大巨匠・成瀬巳喜男監督が、川端康成の同名小説を水木洋子脚色で映像化。「めし」(51)で夫婦に扮した原節子・上原謙が再び夫婦役を演じている。

 戦後の鎌倉に、息子夫婦と同居している信吾(山村聰)は老いを感じながら、若い頃想いを寄せていた妻・保子の姉に面影が似ている嫁の菊子(原節子)を何かと気にしている。
 
 菊子は夫・修一(上原謙)に愛人がいるのを感じながら、つつましく揺れ動く内面は隠し明るく振舞っている。

 老いとともに近づく死への恐怖と寂寥感漂う男を主人公に、嫁との精神的愛の触れ合いを描いた一家の物語。

 戦後の家族、特に父と娘もしくは嫁を描いた傑作といえば小津作品を連想させるが、設定は似ているが中身は両極にあるといっていい。成瀬は女性目線で物語を追って行く。

 どちらかというと庶民感覚で人間の哀歓を描くのが得意で原作のような父親像とは無縁の監督だが、キャスティングの妙で見事に乗り越えている。

 信吾に扮した山村聰は20歳も年上の老け役で、会社の重役らしい男の品格を備えていながら息子・修一の愛人問題や娘・房子の家庭騒動に苛まれる一家の主を演じている。

 修一は、菊子に冷淡だけでなく愛人の妊娠を知るとDVに及ぶという卑劣な男で、その焦燥の要因は本作ではハッキリしないが戦争体験のようだ。戦前の2枚目・上原謙に前作同様ダラシナイ男を演じさせているのは成瀬らしい。

 対してここに登場する女性たちは自分の意見をはっきり言う。唯一例外だった菊子も決意を新たにする。

 戦後変革の激しい家族・夫婦の在り方を女性の自立というテーマで捉えた本作は、名画「第三の男」に似たラストシーンが印象的な大人向け作品だ。

 

「砂漠の流れ者 ケーブル・ホーグのバラード」(70・米) 70点

2017-05-04 12:38:48 | 外国映画 1960~79

 ・ S・ペキンパーによる可笑しくも哀しい異色西部劇。


   

 前作「ワイルド・バンチ」(69)で、バイオレンス西部劇の監督として話題を呼んだサム・ペキンパーが、西部劇に引導を渡したといわれている作品で、後年自身のベスト作品といった異色西部劇。

 砂金堀のケーブル・ホーグ(ジェイソン・ロバーツ)が仲間の裏切りで砂漠に置き去りされ、奇跡的に水源を発見。駅馬車の中継所を作り復讐の機会をうかがう。

 王道であるカウボーイや先住民族との銃撃戦はないが、詩情あふれるカントリー・ミュージックをバックに荒野を走る駅馬車や土埃の街並みはまさに西部劇そのもの。

 彩を添えるのは可憐な娼婦ヒルディ(ステラ・スティーヴンス)と自称・説教師のジョショア(デヴィッド・ワーナー)。

 S・スティーヴンスは一世一代の水浴びシーンを始め胸元のカットバックなどサービス・ショットもある心優しい娼婦を演じて彼女の代表作となった。

 インチキ説教師のD・ワーナーは殺伐とした西部で暮らす人々の隙間をぬってひょひょうと生きる男に扮し中和剤的な役割を果たしいる。
 
 決してヒーローではない主人公の生き様は、復讐劇も異色の結末。駅馬車から馬のない車(自動車)へ進みゆく時代について行けなかった男の、可笑しくも哀しい滅びの物語だ。