晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「オリヲン座からの招待」(07・日) 80点

2014-09-28 15:36:27 | 日本映画 2000~09(平成12~21)

 ・ 宮沢りえの女優魂と、台詞では表せない映像に惹かれる。

                    

 浅田次郎の短編をもとに三枝健起監督が映画化。宮沢りえ・加瀬亮主演による昭和のノスタルジー溢れる物語。

 良枝(樋口可南子)のもとに京都西陣にある映画館オリヲン座から閉館の知らせとともに記念映画上映の招待状が届く。別居中の夫・祐次(田口トモロヲ)を誘うが断られる。

 舞台は昭和32年、松蔵(宇崎竜童)・トヨ(宮沢りえ)夫婦で賄っている映画館オリヲン座へ。「二十四の瞳」と「君の名は」二本立てを上映中。着の身着の儘の留吉(加瀬亮)という青年が雇って欲しいと訪ねてくる。

 庶民の娯楽が映画だった昭和30年代は、TVの普及とともに衰退の一途を歩み始め、町の映画館は徐々に無くなって行く。

 そんな栄枯盛衰を経ながら昭和25年開館以来、半世紀以上あかりを灯し続けていた映画館には、映画のような男と女の純愛物語があった。

 その映画は太平洋戦争中の昭和18年('43)作られた「無法松の一生」。無学な人力車夫がお世話になった男の未亡人に秘かに想いを寄せる切ない物語。名優・阪東妻三郎の豪快な演技とともに、戦時中のためカットされた未亡人への告白シーンが話題となった。のちに稲垣浩監督は三船敏郎主演でリメイクしてヴェネチア国際映画祭・グランプリを獲得しているが、オリジナルは幻の名作と言われていた。

 松蔵は留吉にその話をして、いつか上映してみたいという。タバコと酒で急死した松蔵の遺言のように、映写技師としてオリヲン座を支えた留吉にはその映画が自分と重なっていたに違いない。

 筆者が育った時代は良枝と祐次より10年ほど前で「二十四の瞳」の上映時は10歳だったから、時代の空気は共有でき、まるでタイムスリップしたような感覚に浸れた気分。留吉が自転車でフィルムを運ぶシーンで上映していた大友柳太郎の「丹下左膳」(60)は16歳、映画館で観ていた。

 ちょうど「ALWAYS 三丁目の夕日」があらゆる層に受け入れられ昭和回顧ブームを起こしたこの年、同時期に公開されている本作。エンタテインメント性に欠け、時代を体験しなかった世代にはピンとこない内容で、興行的には完敗だったが筆者は遥かに本作のほうが好きだ。

 原作は祐次・良枝の物語が中心で何故オリヲン座が大切な存在かを想わせる流れだが、脚本(いながききよたか)は留吉・トヨにシフトしている。そのため流れに物足りなさやリアル感のなさを指摘するヒトも多い。日本版「ニューシネマ・パラダイス」の趣きだが、良くも悪くもそれ程のアクの強さはない。寧ろ淡々と進み感情に入り込めないという感想も。

 もっともではあるが、あの時代を体感したヒトにとって情感は充分伝わってくる。台詞では語りつくせない映像の美しさや魅力がある。なによりトヨを演じた宮沢りえがいい。儚さと情感溢れる若き未亡人役はまさに適役。夫を亡くしながら年下の男と一緒に暮らす不義理な女と噂されながら、傍にいたら誰でも命懸けで庇いたくなりそう。

 スキャンダルで話題を浚い、久しく銀幕には遠ざかっていて久々の登場だが、いまや女優としてはピカイチで吉永小百合を超えている。注文をつけるとすれば若い頃のようにふくよかさが欲しい。本作以降舞台に活躍の場を移していたが、この秋(11月)封切り予定の「紙の月」が楽しみだ。

 共演者もみんな好演している。相手役の加瀬亮は役柄がイメージどおり。ただ晩年の原田芳雄があまりにもガッチリとしていて、繋がりに欠けるきらいはあるがこれには目をつぶろう。トヨの晩年を演じた中原ひとみも風貌が正反対だったが、台詞が殆どなかったので善しとしよう。(無名でもイメージが合う女優でも良かった。)

 宇崎竜童、豊原功輔の2人が俳優としても立派に通用することを示し、子役の小清水一輝、工藤あかりもなかなか達者で原田芳雄も含め頑張っている。田口と樋口には見せ場がなかった原因は脚本なのか演出なのか・・・。

 留吉がホタルを見つける洛北・柊野、トヨが自転車を漕ぐ鴨川公園など印象的な京都の風景と、バックに流れる上原ひろみのテーマ曲・村松宗継のピアノ音楽が、さらにノスタルジックな気分に浸ることができた。
 
 

 

「ジャッカルの日」(73・英/仏) 85点

2014-09-25 16:51:27 | 外国映画 1960~79

 ・じわじわと迫る緊張感。サスペンスの真髄を魅せたF・ジンネマン監督。

                    

 ドゴール番報道記者だったフレデリック・フォーサイスの原作を、見事に映像化したフレッド・ジンネマン監督のサスペンス。

 '62.8 アルジェリア民族自決を巡り、ドゴール仏大統領専用車を機関銃乱射したプティ=クラマール事件は、武装秘密軍事組織OASによるものだった。

 以来OASはマークされ一部幹部はオーストリアに潜伏していたが、プロを雇って暗殺することを決める。年齢不詳で狙撃が超一流のイギリス人が選ばれ、報酬50万ドルで雇われる。50万ドルの大金はフランス各地の銀行から奪い取るという大胆なもの。

 コードネームは<ジャッカル>といい、英国人らしい装いと物腰で感情の現れない無機質な殺しのプロだった。カメラは暗殺に向けて用意周到な準備のサマをまるでドキュメンタリーのように追いかけて行く。

 まず図書館で下調べ。ドゴールが唯一群衆の前に姿を現す日を決行日とする。次にパスポートの取得。幼くして亡くなったポール・ダカンの出生証明書を基に偽造パスポートを作成、デンマーク人のパスポートを奪い別人に成り済まし、運転免許証・IDカードを取得する。

 狙撃銃はイタリア・ジェノバへ渡り、軽くて銃身が短くサイレンサー照準銃を発注。スナイパーと違法銃改造のプロ同士のヤリトリが興味深い。

 ここに至るまで、裏社会のプロ同士には暗黙の了解があって臨場感を味わいながら観て行く。併せて、一線を越えたら簡単に抹殺されることも。淡々と進む準備はかなりの説得力を持つ。

 仏大統領側近もただ漫然としていた訳ではない。ローマOAS幹部のボディガードを拉致拷問した際<ジャッカル>の存在を知る。官憲による対策会議が開かれ、内務大臣は警視総監の進言で最も優秀というクロード・ルベル警視に一任する

 ルベルはジャッカルがドミニカ大統領暗殺のチャールズ・カルスロップという英国人の兵器商と睨み、その行方を捜索し始める。足跡を追うたびに後手に回るのは内部情報が漏れていると読み、対策会議出席者全員に盗聴器を仕掛けるなど用意周到さを示す。

 暗殺計画のXデーに向けて小物まで着々と準備をするジャッカルと、それを阻止するために躍起となるルベル警視との同時進行による緊迫感が高まって行くサマはなかなかのもの。

 金髪でアスコットタイとタバコをふかす姿がお似合いで女性に持てるジャッカルと、冴えない風貌の中年警視の対決は、物語が進むにつれて警視が只者ではなく見えてくる。

 ジャッカルは南仏ルートでフランス入りする際ホテルでモンペリエ男爵夫人を誘惑、盗んだアルファロメオで事故を起こし足が付くなど想定外のアクシデントを乗り越え、サウナでデンマーク人に成り済まし男色の男の家に潜り込む強かさ。

 '63.8.25 解放記念日。ジャッカルが決行日と決めたモンパルナス駅前の式典広場には、仏警察による厳重警戒のもとドゴール大統領が群衆の前に姿を現す。

 大統領が銃撃されない史実を承知で観ていながら、これだけの緊張感を持って釘付けにされるのはそれまでの伏線と説得力がなければならない。

 じわじわと嘘と誠を絡ませながらここまで魅せるジンネマン監督の構成力には感服せざるを得ない。BGMを極力抑えて、パリやローロッパ各地のロケがドキュメンタリー・タッチを見事に醸成している。とくに終盤の解放記念日のロケは仏政府公認の実写であることがリアリティさを増している。

 F・ジンネマンは短編と「地上より永遠に」(53)・「わが命つきるとも」(66)でオスカーに輝く名監督だが、赤狩り騒動で作品は意外に少ない。他では「真昼の決闘」(52)、「尼僧物語」(59)など名作があり、いづれもフィクションのなかに登場人物の人間性と本物感を訴えることに注力する監督だ。

 主役を演じたエドワード・フォックスは、大スターではないがこれぞジャッカルと想わせる適役。プロデューサーはロジャー・ムーアを推したが、有名過ぎるのと背が高すぎるという理由で監督は断っている。熱心に売り込んだマイケル・ケインも同様で、173センチのE・フォックスが金的を射落とした。

 ルベル警視のミシェル・ロンズデールも仕事一筋の風貌がぴったり。シャネルがお似合いの男爵夫人役デルフィーヌ・セイリングや、女スパイ役オルガ・ジョルジュ=ピコの綺麗どころが何れもアッサリ殺されるシーンは、残酷さはなく如何にもジンネマンらしい。
 
 もっとも鮮やかだったのは、エピローグ。ルベル警視が犯人だと思ったチャールズ・カルスロップ即ちCHACALとは別人だったジャッカル。最大のミスは、<イギリスにはない風習の退役軍人へ腰を屈めてキスしたドゴール>の行動だった。
 
     

「リスボンに誘われて」(12・独/スイス/ポルトガル) 80点

2014-09-23 12:34:50 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・ 現在と過去を交錯させた、ミステリータッチのラブストーリー。

                    

 哲学者で作家でもあるパスカル・メルシエのベストセラー「リスボンへの夜行列車」を、デンマークの名匠ビレ・アウグスト監督が映画化。

 スイス・ベルンの高校教師ライムント(ジェレミー・アイアンズ)は、平凡で無味感想な独り暮らしの日々を受け止めている。

 ある雨の朝若い女性の自殺を救ったのがキッカケで、リスボン行きの列車に乗るハメに。車中彼女が残した本に感銘し、著者アマデウ・デ・プラトの家を訪ねると彼は若くして亡くなっていた。

 生前の彼を知る人々と触れ合って行くうちに、医師として秘密警察の幹部を救ったことから反政府運動に加わったアマデウの短く・濃密な人生が浮かび上がってくる。

 哲学的小説の映画化と知り腰が引けたが、久々のJ・アイアンズとお気に入りのメラニー・ロランが出演しているので渋谷まで出掛けた。上映20分前に完売で、止むなく午後の部まで待つことに。2回目も筆者のような老人か、熟年女性グループで満杯だった。

 カンヌ・パルムドールを2度受賞しているB・アウグストの現在と過去を交錯させながら物語を紡いで行く手腕は健在で、70年代ポルトガルのサラザール独裁政権下での民主化運動・いわゆるカーネーション革命で生まれた、<階級を超えた友情と情熱的な恋物語>が鮮やかに蘇ってきた。

 J・アイアンズは「運命の逆転」(90)でのオスカー俳優だが、筆者にとって強烈だったのは「ダメージ」(93)で、息子の恋人・ジュリエット・ビノシュを奪い苦悩する政治家役が印象的。

 雨の降りしきるベルンから陽光輝くリスボンへの旅が、人生に大きな転機をもたらすことになる<自称退屈な男>を、渋くて品良く演じて観客を魅了している。
 
 新旧共演者がとても豪華だ。アマデウを演じたのは'82生まれのホープ、ジャック・ヒューストン。巨匠ジョン・ヒューストンの孫で、これからの飛躍が期待できそう。

 恋人の裏切りと親友への嫉妬に悩むジョルジュ役はアウグスト・ディールで、晩年をブルーノ・ガンツが存在感を魅せている。

 記憶力が抜群に良い組織のキイパーソン・エステファニアにメラニー・ロランが扮している。髪の色は違っていてもその美しさは変わらない。晩年のエステファニアがレナ・オリンなのも豪華だが、偶然が重なって主人公が会いに行くシーンは出来過ぎの感がする。

 ほかにも眼科医マリアナ役にマルティナ・ゲディック、その伯父でアマデウが救った秘密警察幹部に拷問を受けたジョアンにトム・コートネイ、アマデウの妹で兄を慕うあまりその死を認めたくないアドリアーナにシャーロット・ランプリング、そしてパルトロウ神父役には'22生まれで怪奇映画の大スター、クリストファー・リーが扮しているなど、その豪華さは枚挙に暇がない。

 外壁に落書きが多いのが気になるが、リスボンの石畳と坂道・路面電車、フェリー、ウォーター・フロントのレストラン、アルカンタ展望台の夜景など、ポルトガル観光PR映画としても素敵な役割を果たしている。

 「実際には人生に変化をもたらすのはひそやかに忍び寄る。その瞬間は静かに展開し、まったく新しい光のもとに人生が照らし出される。」

 監督はこんな文学的な文章を、ポルトガル版「旅愁」(50)を想わせるようなエピローグで映像化。ミステリータッチのラブストーリーをセンス良く締めくくっている。
 
 

「大西部への道」(67・米) 60点

2014-09-16 17:24:06 | 外国映画 1960~79

 ・3大俳優競演の豪華な西部開拓史ドラマ。

                    

 8月30日に亡くなったアンドリュー・V・マクラグレン監督。ジョン・フォードの秘蔵っ子として数々の西部劇を手掛けてきたが、本作もそのひとつ。所謂マカロニ・ウェスタンが台頭するなか本家アメリカが本格的西部劇を目指して製作されたもの。

 ピューリッツア賞受賞作品A・B・カスリー原作の「The Way West」を「シェーン」のベン・マドウが脚色し、カーク・ダグラス、リチャード・ウィドマーク、ロバート・ミッチャムの3大俳優による豪華競演。

 不況から脱するためミズリー州インデペンデンスから未開地だったオレゴンへ向かう<オレゴン踏破>の人々の苦難の道のりを、さまざまなエピソードを交えながら描いた西部開拓史ドラマ。

 主人公のタドロック(K・ダグラス)は元上院議員でこの困難な旅を成功させるため、トキには非常で傲慢な隊長として奮闘する。川を渡る事故で死者が出ても時間を優先し、先住民スー族の少年を射殺したジョニーを絞首刑にするなど隊員たちの反感を買う行動も敢えて辞さない。

 家族想いの農場主ライジ・エヴァンス(R・ウィドマーク)はそんなリーダーに反感を持ちながらも開拓地での夢の実現を優先し我慢を重ね従って行く。

 冷静沈着なガイドのディック・サマーズ(R・ミッチャム)は先住民の妻を亡くし隠遁生活をしていたが、タドロックの挑発に乗って危険な案内役を買って出る。


 そんな3人を中心に危険な旅が始まるが、それぞれの個性が巧く噛み合わずエピソードの羅列になってしまったのが惜しい気がする。

 とくに主人公のタドロックがただの利己的なワンマンに終始しているように見え、ライジの妻レヴェッカ(ローラ・アルブライト)にまでモーションを掛けるのは身勝手な男にしか映らなかった。

 結果、大切な息子ブラウニー(マイケル・マクグリーヴィ)を事故で失い、ヒトを動かすのは厳しさだけではないことを悟るが、自らも不幸な結末が・・・。

 派手な撃ち合いやダイナミックな映像だけ?のイタリア製にはない西部開拓者魂を込めた作品だったが、残念ながら成功したとは言えない。


 奔放な娘マーシーを演じたのが「ノーマ・レイ」(79)、「プレイス・イン・ザ・ハート」(84)でオスカーを2度受賞したサリー・フィールドの若い頃に似ていると思ったら本人で、これがデビュー作だったのに驚かされた。

 この頃から切り口を変えた西部劇が作られ90年代、21世紀と西部劇は脈々と米国映画界に引き継がれて行く。本作はその分岐点で若い頃鳴らした西部劇スターの3人が熟年期を飾る1ページの作品だった。
 



 

「眉山」(07・日) 60点

2014-09-12 12:13:05 | 日本映画 2000~09(平成12~21)

 ・ 壮観な阿波おどりを背景に、母と娘の絆を謳いあげる。

                    

 さだまさし原作の映画化3作目の舞台は、長崎ではなく徳島だった。グレープ時代ザ・ピーナッツの前座で全国を巡業中、ケーブルカーで眉山に登った印象が深く彼の創作意欲を掻き立てたという。

 東京で旅行代理店のキャリアウーマンとして働いている咲子(松島奈々子)。徳島で独り暮らしをしている母・龍子(宮本信子)が入院しているという知らせを受け、久しぶりに帰郷する。医師からは末期ガンであることを宣告され途方に暮れる。

 物語は母から亡くなったという咲子の父と若かった母・龍子との秘められた恋に辿りついて行く。

 最大の見所は、12000人のエキストラを動員した徳島名物<阿波おどり>。地方の文化には独特の祭りが多いが夏は東北と並んで四国が知られ、阿波おどりもそのひとつ。優雅な女踊りと少し滑稽な
男踊りが連をなして壮観だ。

 犬童一心監督はCM出身らしく、美しいなだらかな眉山やダイナミックな阿波踊り風景を背景に、母と娘の心情を描写している。

 神田のお龍こと龍子役の宮本信子が適役だ。伊丹作品以来ご無沙汰だった映画出演は10年振りという。粋な着物の着こなし、人形浄瑠璃での節回し、気に入らない客を啖呵で追い出すなど得意なシーンが盛り沢山。

 松島奈々子も微妙な年頃の30代を迎え頑張ったが、映画のフレームには不向きな体型なのか?共演の恋人役大沢たかおとともに、涙を誘う予定調和の脚本では力の発揮どころが限られてしまった。
 
 ほかには、今は亡き脇役の夏八木勲・山田辰夫のさり気ない演技が見られたのが得した気分にさせられた。

 献体という制度を再認識させられたのもこの作品の特徴だが、徳島観光PR映画の域を超えることはできなかった。

 
                    

「マリー・アントワネットに別れをつげて」(12・仏) 65点

2014-09-10 17:22:40 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・貴族社会崩壊の裏面史を観る贅沢さを味わう。

                    

 シャンタル・トマの原作「王妃に別れをつげて」をもとに、フランスの大御所ブノワ・ジャコ監督が映画化。

 マリー・アントワネットの朗読係シドニー(レア・セドゥ)から視たバスティーユ陥落後4日間で起きたベルサイユ宮殿での出来事を描いた貴族社会崩壊の裏面史。

 最大の見所は、今まで映画では見ることができなかったベルサイユ宮殿でのロケ。鏡の間、王妃の部屋、中庭、プチトリアノン離宮の入り口など・・・。ベルサイユ好きなヒトには豪華な衣装やメイクとともに時代を再現してくれた臨場感を味わうことができる。

 とくに宮殿内における王侯貴族の絢爛豪華な表舞台だけでなく、王妃の身の回りの世話係、小間使い、厨房の女たち、衛兵、司教、王の記録係、元役者などさまざまな人々の裏舞台の日常が映し出されタイムスリップして宮殿内に入った気分にさせる。

 そこにはベルばらファンにはがっかりなネズミが出没したり、転ぶと泥だらけになったり、虫に刺されると腫れあがったり不衛生な生活を余儀なくされるリアルな暮らし振りも観られる。

 そんな最中バスティーユが陥落し、王妃(ダイアン・クルーガー)やその愛人・ポリニャック夫人(ヴィルジニー・ルドワイアン)の名前が載った286人のギロチンリストが宮殿に出廻り、宮殿は上から下まで不安と混乱でパニック状態に陥る。

 想定外の出来事が起こったときの人間の言動はその人の本性が現れるという。ここでのシドニーは、孤児だった田舎娘が読書係となり、王妃に心酔するあまり忠誠を誓い、何処までも王妃の傍で生死を共にする覚悟でいる。

 王妃は無邪気で気まぐれ、気品と我が儘が同居した掴みどころのない性格で、シドニーを惑わせる。愛するポリニャック夫人のことを褒め称え頭の中が一杯の素振りを見せたり、ルイ16世(グザヴィエ・ボーヴォワ)とともに城を離れ、挽回のチャンスを窺う気丈さを見せたりする。

 王妃がシドニーに見せた気遣いはあくまで王妃と使用人の関係でしかなく、残酷な非常命令となって終盤を迎える。

 この秋(11月)公開予定の「美女と野獣」を始め「アデル、ブルーは熱い色」(13)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(14)など話題作が続いているL・セドゥ。素顔はセレブなのに貧しい育ちのヒロイン役を見事にこなしているフランスピカイチの女優。王妃とポリニャック夫人への羨望と嫉妬の眼差しが熱い。

 王妃役のD・クルーガーは監督に猛烈アタックしただけあって、こんな人だっただったろうと想わせるリアルな演技で魅了している。「すべて彼女のために」(08)、「イングロリアス・バスターズ」(09)など印象に残る作品からちょっぴりご無沙汰だったが、健在ぶりを魅せてくれた。

 監督お気に入りのV・ルドワイアンも出番は少ないが豪華な緑のドレスと寝乱れたヌードの対比を魅せ存在感を示している。

 その後の結末は史実で変えようもないので本作では語られていないが、王妃とポリニャック夫人は奇しくも4年後に亡くなっている。本作では架空の人物シドニーを通して、王侯貴族の暮らしと、その生活が保障されなくなったときの慌てた様子をドキュメント風に見せてくれた。

 女性向けの叶わぬ三角関係の心情を描写した作品でもあるが、男の筆者にはB・ジャコの女性趣向と、とても贅沢なフランス革命の裏面史を楽しんだ100分だった。

 
                 

「私の中のあなた」(09・米) 75点

2014-09-06 17:17:10 | (米国) 2000~09 

 ・ 重いテーマ(医療問題)を、優しく(家族愛)で包み込んだカサヴェテス。

                

 「ジョンQ-最後の決断-」(02)、「きみに読む物語」(04)で医療と家族愛をテーマに語り継いできたニック・カサヴェティス。父ジョンを超えつつあるニックが、ジョディ・ピコーのベスト・セラーをもとにシリアスな家族愛の物語を映画化している。

 ハイスピードカメラでファンタジックなシャボン玉と戯れる少女たちの映像とともに、<わたしは遺伝子操作でつくられた子供。白血病の姉を救うために生まれた。>という冒頭ナレーションがかなり刺激的だ。
 
 姉のドナーとなるために生まれた妹アナ・フィッツジェラルド(アビゲイル・ビレスリン)は臓器提供を拒み、両親を訴訟するというシリアスな内容で、そのまま法廷に持ち込まれ裁判となろうとしている。

 母・サラ(キャメロン・ディアス)の生き甲斐はケイトを死なせないこと。ケイトが不治の病だと知ってから、弁護士を止め献身的に支えてきた。消防士の父・ブライアン(パトリック・リード)はそんな妻や子供たちを温かく見守っている。夫婦の主導権は妻にありそうだ。

 アナの兄・ブライアン(エヴァン・エリクソン)はストレスから失読症に罹り寮生活を余儀なくされていたが、経過も良くなり自宅へ戻っている。アナの訴訟費用は兄の援助で700ドルを用意し、TVCMで勝率91%を誇るという宣伝文句の弁護士、キャンベル・アレクサンダー(アレック・ボールドウィン)に持ち込んでのこと。

 不思議なのは、臓器提供を嫌がっていたアナと姉・ケイト(ソフィア・ヴァシリーヴァ)は仲良しで、アナの行動には何か秘密がありそうだ。

 なりふり構わず頑張る初めての母親役を演じたC・ディアス、幼いながら自分で考え正直に行動する健気なアナを演じたA・ブレスリン、家族想いで丸坊主姿も厭わなかったS・ヴァシリーヴァが、絶妙のバランスでイイ味を醸し出していた。

 控えめだが愛情豊かな父親役のP・リード、同じ病を持つケイトの恋人役・テイラーのトーマス・デッカー、僅か700ドルで訴訟を買って出た弁護士役のA・ボールドウィン、12歳の娘を交通事故で亡くした判事役のジョーン・キューザックなど、訳ありの人々がしっかりと脇を固めている。

 カサヴェテスは、原作とは違うエンディングにするため相当エネルギーを要したという。それは何故だろう?

 ひとつは、当初ダコタ(ケイト)、エル(アナ)・ファニング姉妹の予定だったキャスティングの変更。ケイト役だったダコタが坊主頭になるのを嫌がって拒否したため、「リトル・ミス・サンシャイン」(06)で好演したA・ブレスリンを起用して妹・アナをメインに構成したから。

 もうひとつは、<延命治療や尊厳死の是非>という重いテーマの色合いをかなり薄めていて<亡くなったヒトは家族ひとりひとりの心の中に存在し、家族の絆を深める役割をしている>との想いを伝えたかったから。 
 
 ハリウッド風ながら、随所にユーモアも交えながらのフィッツジェラルド一家のエンディングは、アーロン・ジグマンの音楽、キャブレ・デシャネルの映像と相まって、原作とは違う救われたものとなった。
 

 

「ウォーターボーイズ」(01・日) 60点

2014-09-04 12:45:03 | 日本映画 2000~09(平成12~21)

 ・ 邦画復興のキッカケとなった?青春コミカル・ドラマ。

                   

 長編3作目で、メジャーデビュー作品と言われた矢口史靖監督・脚本による青春コメディ。前2作はマニアック向けで、云わば和製スラプスティック・コメディで注目されていたが、男子高校生がシンクロナイズド・スイミングをするという奇抜なテーマでシネコンとともに邦画復興のキッカケとなった。

 静岡・牧之原の高校水泳部は、まさに廃部寸前だったが、美人教師の佐久間(眞鍋かをり)が顧問に就任すると部員が30名に増えた。

 ところが、佐久間が教えたかったのは競泳ではなくシンクロだった。結局残ったのは頼りない部長の鈴木(妻夫木聡)ら5人だった。

 今改めて見ると、いまや若手のスターである主演の妻夫木を始め、玉木宏・金子貴俊などが渋々シンクロに挑む姿は、若々しく時の経過の早さを感じる。

 コミカルな場面を竹中直人(怪しいイルカ調教師)、柄本明(オカマ・バーのママ)に任せ切ったストーリーは多少暴走気味も、暗い内容の多い邦画とは違って、今までにない突き抜けた明るさがあった。

 実在の県立川越高校の水泳部が行っているシンクロが、TVで放送され話題を呼んで矢口監督により映画化を果たし、後にTVドラマで再ブレークした本作。監督の次回作「スイング・ガールズ」(04)に引き継がれ、スター発掘のもとともなっている。

 ただ、<青春コミカル・ドラマ>の3匹目のドジョウは、なかなか見つかりそうもない。

「シチリア!シチリア!」(09・伊・仏) 80点

2014-09-02 16:27:11 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 郷土愛と生きる歓びを詩的に描いたトルナトーレ。

                    

 若干32歳で「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)を作ったジュゼッペ・トルナトーレが原点に返って、生まれ故郷シチリアを舞台に30年代から80年代まで、50年間のトッレヌオヴァ一家を描いたファンタジー。

 少年たちがコマ遊びの最中、大人たちは賭けに興じていた。ある少年が父親からタバコを買ってくるようにいわれ夢中で駆けだすプロローグ。少年は何時しか空を飛び、眼下にはバーリア(バゲリアの俗称)の街並みや荒涼とした岩が続くシチリアが一望に見えてくる。
 
 ファシズム時代、バーリアで暮らす牛飼い一家の次男・ペッピーノ。貧しいながら、オリーブ園や乳牛を売り歩く仕事をしながら学校に通っていた。ある日学校で立たされ教室の隅で寝てしまう。

 主人公ペッピーノ(フランチェスコ・シャンナ)が逞しい青年となり、長い黒髪で大きな瞳の美しい娘マンニーナ(マルガレット・マデ)に恋をする。マンニーナの母の反対を押し切り結ばれるまでのエピソードを始め、子供に恵まれ、父・チッコや兄・ニーノとの別れ、子供を失う悲しみ、マフィアの存在、政治家を目指し共産党に入党、政治の闇を体験、国政選挙に敗れるも5人目の子供に恵まれ、息子・ピエトロの旅立ちを見送る...。

 次から次へと家族の出来事を繋ぎ合わせたシークエンスは、バーリアにカメラを据えながらファシズムの崩壊、第二次大戦敗戦、共和国成立というイタリア現代史が背景に浮かび上がって見える。時代とともに移り替わる街並みや服装にはリアルさを追及するトルナトーレの拘りが感じられる。

 F・シャンナは甘いマスクで青年期から主人公を演じ切り、M・マデはトップ・モデルのスタイル・風貌で魅了して映画初出演とは思えない好演。子供たちはノビノビと演技していて、大勢のエキストラ動員による臨場感とともにトルナトーレ演出は健在だ。

 無名だった2人を支えるようにモニカ・べルッチ、ルイジ・ロ・カーショ、ミケーレ・プラテドなど著名俳優達がワンシーンで華を添えているのも見逃せない。

 長いようで短いヒトの一生。トルナトーレはそれを親子3代の時空を超えたストーリーで、まるでタバコを買って帰ってくるような速さのようなものだと言っている。それは<「邯鄲の夢」シチリア版>だというように。

 エピソードの連続は自叙伝だと思うほど思い入れが強すぎて入り込めないシーンや、ファンタジックなシークエンスに首をかしげてしまったところも。「題名のない子守唄」(06)で作風が変化し始めた直後、ローマで暴漢に襲われ生死をさ迷ったトルナトーレ。だからこそ郷土を愛し、それを繋いで行く家族の大切さ・愛おしさを映像化したかったのだろう。

 暗い時代を元気に過ごすシチリア庶民のバイタリティが明るい陽射しとともに映え、名コンビの巨匠、エンニオ・モリコーネの音楽が、ときに軽快でユーモラスな流れで、辛く哀しい心情を洗い流してくれる。