晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「SABU さぶ」(02・日) 65点

2015-04-24 14:39:15 | 日本映画 2000~09(平成12~21)

 ・ 情緒溢れる山本周五郎・原作の21世紀版青春時代劇。

                     

 山本周五郎の原作は巨匠・黒澤明などによって数多く映画化されている。「さぶ」も小林旭・浅丘ルリ子・長門裕之で映画化(「無頼無法の徒 さぶ」64)されているが、これは21世紀版。

 もともとTV局の周年記念ドラマで放映されたものを完全版として再編集し劇場公開したもので、監督は鬼才・三池崇史だが一連の作品のような過激さはない。

 経師屋・芳古堂に住込みで働く栄二(藤原竜也)と<さぶ>(妻夫木聡)は大の仲良し。身寄りのない栄二はさぶを弟のように可愛がっていた。

 馴染みの得意先・綿文で仕事をしていたとき、突然栄二は仕事を外され姿が見えなくなった。店が大切にしていた高価な<金襴のきれ>が栄二の道具箱から見つかり、石川島の人足寄せ場へ送られしまっていたのだ。

 綿文の中働きをしている<おすえ>(吹石一恵)は栄二と良い仲で、何れ一緒になるはずだった。

 冒頭、泣きながら田舎へ帰ろうとする幼い<さぶ>を、栄二が慰め2人で将来を約束するシーンから始まる。雨に濡れながら歩く2人に傘をさし出したのが12歳の<おのぶ>(のちの田畑智子)だった。

 薄幸の少年・少女が必死に生き若者へ成長したとき、理不尽な世の中をどう受け止めるのか?21世紀の今も同じようなことが起きる現実を思ってしまう。

 寄せ場に足しげく通い励ます<さぶ>と<おすえ>。<さぶ>は良かれと思って自分がやったと嘘までついてしまう。

 理解ある大人の示唆で立ち直るキッカケを得た栄二。沢田研二扮する役人・岡安が何かと気配りをしてくれる。「風は荒れることもあれば、静かに花の香りを運んでくることもある。」という台詞が心に沁みる。

 寄せ場の荒くれ浮浪人たちも取締る役人も、貧しい娘を売って金を得る因業な女衒まで、根っからの悪人は出てこない。みんなシガラミのなか肩を寄せ合って必死に暮らし、いざというときには自分を犠牲にまでする人が登場するのが、周五郎の世界なのだ。

 当時20歳の藤原竜也が自立心旺盛な兄、22歳の妻夫木が心優しい泣き虫の弟を共演し奮闘するが、江戸の下町情緒を感じさせないのが辛い。

 女優では小料理屋「すみよし」で再会する<おのぶ>を演じた田畑智子がとてもサマになっていて、ほのかに栄二に片想いするさまが愛おしい。時代劇の下町娘をやらせたらピカイチだろう。

 吹石一恵も一途な娘心を演じて好演、脇を固める沢田研二、六平直政、山田辰夫、堀部圭亮、遠藤憲一、大杉漣など多士済々。

 先人たちが築いてきた人情時代劇の雰囲気は味わえなかったが、二一世紀になっても日本人のDNAは失われていないと感じる作品だった。 

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(米・14) 70点

2015-04-19 16:44:09 | (米国) 2010~15

 ・ ハリウッド風刺と中高年への応援歌でオスカー獲得!

                    

 「21グラム」(03)、「バベル」(06)、「BIUTIFUL ビューティフル」(10)など、絶えず人間の葛藤や苦悩を描いてシリアスな話題作を送り続けてきたアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督。「ゼロ・クラビティ」(13)でオスカー獲得した撮影監督エマニュエル・ルベツキ。

 メキシコ人同士のコラボによって映像化されたこのドラマは、<人生をやり直そうと必死になる中高年への応援歌>で、今年のオスカー作品・監督・脚本・撮影の4部門を獲得している。

 かつて「バードマン」で一世を風靡したスーパー・ヒーローだった俳優リーガン・トムソン。その後ヒット作に恵まれず20年余り、家を抵当に入れ金を工面してブロードウェイでレイモンド・カーヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」を脚色・演出・主演することで再起を計ろうとしていた。

 折りしも舞台稽古中に共演者が事故で降板、代役にマイク・シャイヤーが決まった。才能豊かだが、何かと問題の多いエキセントリックなマイク。

 私生活では結婚に失敗して娘のサムとも上手く行かず、薬物依存症でリハビリ中のサムをアシスタントとして身近に置くことも気掛かりなリーガン。

 上演を控え、決別していた筈の「バードマン」の幻想が現れ、何かと囁いてリーガンを悩ませる。

 主演したのは、「バットマン」(89)、「バットマン リターンズ」(92)でスターとなったマイケル・キートン。3作目を断り地道な俳優生活を送ってきた彼にとってまさに<はまり役>だが、ブラック・ジョークに近い役柄。ブリーフ1枚でブロードウェイを歩くなど体当たりの演技は往年のファンにとって涙モノ。

 かつてのスターが落ちぶれどん底から這い上がろうとする男の再生物語はハリウッドの定番で、近作ではミッキー・ローク主演の「レスラー」(08)など、愛と感動のドラマとして仕上がっているのが当たり前。

 イニャリトゥ監督の従来なら、そうなるだろうという観客(筆者)の期待は見事に裏切られる。随所にアメコミ原作・シリーズ・SFアクションに頼っているハリウッドの企画力不足を批判する、ブラック・ユーモア満載である。

 共演のマイクを演じたエドワード・ノートンは「ハルク」、サムのエマ・ストーンは「スパイダーマン」、遅咲き女優のナオミ・ワッツは念願のブロードウェイ初舞台というレズリー役で「キング・コング」でお馴染みというキャスティングの妙。

 ハリウッドスターも実名で出てくる。ブレークする前、「バットマン」で共演したジョージ・クルーニーを始め、ウッディ・ヘレルソン、ロバート・ダウニー・Jr、マイケル・ファスベンダーなど何れも連続ヒーロー・アクションもので名高い面々だ。

 そんなハリウッドの裏事情と、サブタイトルでもある<無知がもたらす予期せぬ奇跡>と評したブロードウェイの過剰な自意識を、こんな作風で描かれると度量を見せ笑い飛ばすしかないというところか?

 殆どワンカメラでは?と思わせる長廻しで終盤まで惹きつけたルベツキの映像と、アントニオ・サンチェスの圧倒的なドラムスコアと随所に流れるマーラー、チャイコフスキーなどクラシックの名曲は、この映画のもうひとつの見所。

 眼と耳で楽しませてくれた本作は、<ネット時代に話題性だけで人々を惹きつける情報文化への警告>でもあった。

 
 

「悲しみよこんにちは」(58・米・英) 70点

2015-04-17 09:41:46 | 外国映画 1946~59

 ・ サガン、J・セバーグの実生活ともダブル、多感な17歳の心理描写を映像化。

                    

 フランソワーズ・サガンが18歳のとき書いたベストセラーを「旅情」の原作者アーサー・ロレンツが脚色、「黄金の腕」(55)のオットー・プレミンジャーが監督したヒット作。

 第二次大戦後、フランスの実業家の娘・セシールが17歳のときリヴィエラ海岸で起きた<ひと夏の想いで>を1年後回想するドラマ。

 セシールを演じたのは18歳の新人ジーン・セバーグで、髪型がセシール・カットと呼ばれ一世を風靡した。翌年「勝手にしやがれ」(59)でも同じ髪型で登場し、当時世界中の若い女性のファッション・リーダーとして社会現象となっている。

 筆者は17歳のとき、「勝手に・・・」を観て洋画に目覚めたが、本作は女性が観る映画で当時少年だったので、リアルタイムでは未見である。

 改めて観ると、この時代の富豪が如何に自由奔放な恋愛をしていたのかが羨ましくもあり、フシダラな暮らし振りがバカバカしくも思えてくる。

 60年代に入ってフランスでは夏休みを1カ月リゾート地で過ごし、ヴァカンスということを知ったのも懐かしく思い出させてくれた。

 セシールの父レイモンド(デヴィッド・ニーヴン)は41歳の実業家でセシールと同居する独身プレイボーイ。パリでは、夜な夜なパーティで気に入った女性を誘い、リヴィエラでは女友達のひとりエルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)と一緒にヴァカンスを過ごしている。

 セシールもこんな父が大好きで、いつまでもこんな生活ができれば素敵だと願っている。もちろんこんな生活が長続きしないのでは?という一抹の不安も持ちながら・・・。

 そんな幸せなヴァカンスの最中、亡くなった母の友達で夫と離婚した独身ファッション・デザイナーのアンヌが現れる。

 アンヌを演じたのは前年「めぐり逢い」(57)で大女優の地位を確立したデポラ・カー。ソール・バスによるタイトルでも最初に名前がでたのはD・カー。新鋭のJ・セバーグには眩しいくらいの存在で、そのまま役柄にも反映されている。

 今観るとエレガントなアンヌが素敵な大人の女で、なんでレイモンドのようなフシダラな男が好きになって結婚しようとするのか不可思議だ。

 それではドラマにならないが、セシールの多感な少女から大人へ変化しようとする不安定な心理状態は分かるが、所詮我がまま娘が父親を獲られ浅はかなワル知恵を働かせたばっかりに重荷を背負うという自業自得の物語に思えてならない。

 男として観ても<娘をダシにして誘いながら忘れてしまい、つい結婚の約束をしてしまったような>レイモンドに共感できそうもない。

 私小説のようなF・サガンの晩年やJ・セバーグの実生活を連想させるようなこのドラマは、時代が色濃く反映された代表作といえる。

 

「バクダッド・カフェ」(87・独) 80点

2015-04-10 16:57:44 | (欧州・アジア他)1980~99 
 ・ テーマ曲がぴったりで不思議な癒し系の名品。

                   

 「シュガー・ベイビー」(84)のパーシー・アドロン監督が脚本も手掛けたオリジナル。ドイツがまだ東西に分かれていた頃の作品で、94・完全版、08・ニュー・ディレクターズ・カット版と再編集したほどの惚れこみよう。

 2年後日本で公開されミニシアター・ブームを呼び、映画好きにはレジェンド的存在。上映された渋谷シネマライズは今も健在だ。

 ラスベガスから240キロ離れたモハーヴェ砂漠にあるバクダッド・カフェは、モーテル兼カフェ兼ガソリンスタンドだが寂れていて立ち寄るひとも殆どいない。

 そこに現れたのが、旅行中夫と喧嘩別れして歩いてきたドイツ人のジャスミン。おまけに引き摺ってきたトランクは夫の物だった。

 カフェを切り盛りしていたのは、ブレンダでグウタラの夫を追いだし、息子は子持ちなのにピアノを弾いてばかりで、娘は男と遊び廻って帰ってこない。

 こんなジャスミンとブレンダが出会って、家族・従業員・常連客を巻き込みながらギスギスした雰囲気から少しずつ癒されて行く感じが何ともいえない心地良さ。

 客といっても長逗留しているのは謎の女刺青師デビーだけ。あとはラスベガスから流れてキャンピング・カーに寝泊まりしている自称画家のルーディやテントを担いで敷地内でブーメランをする青年と、たまにガソリンを入れに来る長距離ドライバー。

 カフェといいながらコーヒーメーカーが故障して、ジャスミン曰くポットで入れる茶色いお茶しかない有様。

 キッカケは掃除好きのジャスミンが頼まれもしないのに事務所や店を片付けたこと。そして決め手となったのは、<マジック>。手持無沙汰のジャスミンは見事な手さばきでマジックをして、みんなを和ませる。

 ローゼンハイムからやってきた太っちょのジャスミンには監督お気に入りのマリアンネ・ゼーゲブレヒトが演じ、いつも不機嫌なカフェの女主人にはCCH・パウンダーが扮している。まるっきり正反対に見えた2人だが、少しづつ共通の孤独感を癒す心の交流が観客を引き込んで行く。

 熟年画家・ルーディにはジャック・パランス、女刺青師にはクリスティーネ・カウフマンがそれぞれイワクありげな役でメリハリ感を醸し出す。

 そして何よりイメージを膨らませているのは音楽。序盤で息子が何故かJSバッハのプレリュードばかり弾いていたり、終盤ミュージカル・シーンとなって<ブレンダ・ブレンダ>と歌い踊ったりするのもあり得ないと感じながらも、全体の不思議さに溶け込んでいる。

 ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」は癒しの最たるもの。これほど映画にマッチしたテーマ曲はなかなかないほどぴったりだ。のちにホリー・コールやセリーヌ・ディオンが歌ってスタンダード・ナンバーとなったのも頷ける。            

「麒麟の翼」(12・日) 75点

2015-04-05 13:27:17 | 日本映画 2010~15(平成23~27)

 ・ 大画面と豪華キャストでTVドラマを手堅く映画化したヒューマン・ミステリー。

                   

 東野圭吾・原作をTVドラマ化して話題を呼んだ「加賀恭一郎シリーズ9作目<新参者>」。土井裕泰監督、阿部寛・溝端淳平主演というTVと同じメンバーで、さらにバージョンアップしている。

 日本橋にある麒麟の翼像前で倒れていた男は、ナイフで腹を刺されていた。男の所持品を持った若者が近くに潜んでいたため警官が追いかけたが、逃亡中にトラックに跳ねられる。

 被害者の男は死亡が確認され、若者は意識不明に陥り警視庁と日本橋署による合同捜査を開始した。

 原作やTVドラマで結果を知らなくても被害者の男に中井貴一が扮しすぐ亡くなってしまう展開は、その原因を辿るストーリーであることは明らか。

 ただ、犯人探しのミステリーというより被害者一家の葛藤を中心に、容疑者の人生を絡めたヒューマン・ドラマが主体。さらに主人公の日本橋署・加賀警部補(阿部寛)の父親との葛藤が背景に絡んで行く構成。

 被害者・青柳は建築部品メーカーの製造本部長で、日本橋とは縁もユカリもない場所だった。何故江戸橋の地下道に刺されたのに日本橋まで歩いてきたのかも謎。

 加賀とそのいとこである警視庁捜査1課の刑事松宮(溝端淳平)は、被害者と容疑者(三浦貴大)の当日の足取りを追いかけるために、被害者家族や容疑者の恋人(新垣結衣)と面会する。

 家族は被害者のことを何も知らないし、容疑者の恋人は人を刺すようなヒトではないというが、意外な接点もあった。

 筆者が長年勤務していた第2の故郷である日本橋地域が舞台のドラマだったので、映像を観るだけで懐かしい。毎日、日本橋を渡って通勤していたので麒麟の像も知っている。

 それだけにこんなドラマを創る東野圭吾のエンタテインメント性に感服させられるとともに、大画面で楽しめるだけでとても嬉しかった。

 何しろ豪華キャストである。阿部寛を中心にいまや売り出し中の溝口淳平・山崎努・田中麗奈・黒木メイサのTVと同じメンバーに加え、中井貴一・松重豊・鶴見辰吾のベテラン、新垣結衣・三浦貴大・松宮桃李の若手、さらに向井理のカメオ出演まで目が離せない。

 真面目に考えると不自然な言動も見られるが流れに乗って観る限り、今社会の歪である派遣社員問題の労災隠し、イジメ問題・事故隠しなどもテーマにしながらの130分はなかなか面白かった。

 土井監督の演出は手堅く、原作者・東野の持論である<悲劇からの希望と祈り>は充分伝わっっている。
 

 
 

「クレアモントホテル」(05・英・米) 80点

2015-04-01 12:11:16 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 小品ながら普遍的なテーマを丁寧に描いたD・アイアランド監督。

                   

 20世紀のジェイン・オースティンと呼ばれた英国の作家エリザベス・テイラーの原作を、ルース・サックスが脚色。ダン・アイアランド監督がローレンス・オリヴィエ夫人でもあるジョーン・プロウライトを迎え映画化した。

 長期滞在するためにクレアモントホテルにやってきた老婦人サラ(J・プロウライト)。「誰かの娘、誰かの妻、誰かの母親だった人生から私として生きて行きたい」との想いだったが、料理が美味しいという触れ込みのホテルは期待外れ。

 支配人・ボーイ・メイドもゆるい感じのなにやら老人ホームの趣きで、滞在している孤独な常連客たちの最大の関心事は訪問客と架かってきた電話。

 最初に声を掛けてきたのは老婦人エルヴィラ(アンナ・マッセイ)で、ご臨終禁止のホテルだと冗談をいう。老紳士オズボーン(ロバート・ラング)は凛としたサラにどうやら好意をもっているらしい。
 
 サラは外出先で転び、膝をすりむいてしまう。そこへ飛んできたのは孫のオズモンドと同じ年頃の青年ルードヴィク(ルパード・フレンド)だった。

 いまどきこんな気の優しい若者はいないのでは?と思うのはサラも同じ。なにしろ孫に連絡しても何週間も音沙汰なしなのだから。L・フレンドの清々しい風貌がこの役にぴったりで、同年「プライドと偏見」で見せた青年将校とは両極の役柄だったのも興味深い。

 サラは亡き夫との若い頃過ごした想い出とともに孫のような友人ルードヴィクとの交流を重ねて行く。どうやらサラの人生とは、亡き夫と過ごした幸せなときを回想することだったようだ。

 J・プロウライトを始め、A・マッセイ、R・ラング、クレア・ヒギンス(ルードヴィクの母)などR・オリヴィエゆかりのベテラン俳優が出演しているのも懐かしい。A・マッセイはTVの英国ミステリーで顔馴染みだが、ヒッチコックの「フレンジー」(72)での印象が強烈だった。

 原作は60年代のイギリスだが、本作の公開は05なので50年後の設定なのか?何れにしても現代先進国が抱えている高齢化社会を先取りした映画である。

 サラには娘エリザベスがいて何かと心配してくれるが、かえって煩わしく老後を頼る気持ちはない。ホテルの仲間たちもそれぞれの生活から今の境遇にいるので似たような境遇は、程好い距離感出会って欲しいと願っている。

 どうやらオズボーンのプロポーズは叶えられそうもなく、エルヴィラのホテルでのご臨終も・・・。
ところどころ、ユーモアも交えながら、往年の詩人や映画で夫との思い出に耽るサラにも程好いバランスの交流に変化が生まれてくる。  

 それは、けっして悲劇ではなく寧ろ人生のバトンタッチになっていた。孤独とは理解者が不在なことなのだと教えてくれる、小品ながらとても心温まる良作だった。