晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ある愛の詩」(70・米)65点

2017-09-28 14:47:34 | 外国映画 1960~79


 ・ 大都会の冬景色を舞台に、F・レイのメロディで繰り広げられる純愛ストーリー。


エリック・シーガルの小説をカナダのアーサー・ヒラーが監督。<愛とは決して後悔しないこと>というキャッチフレーズ、フランシス・レイのテーマ音楽とともに大ヒットした純愛ストーリー。原題もズバリ「Love Story」。

名家のオリバー・バレット4世(ライアン・オニール)とイタリア移民の娘・ジェニー(アリ・マッグロー)がボストンの大学図書館で出逢い、身上の差・宗教の違いによる父のバレット3世(レイ・ミランド)の反対を乗り越えて結ばれる。
父からの送金は中止され、学費・生活費のためジェニーは小学校の音楽教師として働き、貧しいながら幸せな生活を送る。
オリバーはロースクールを卒業し、法律事務所で働くため2人はNYへ移り新生活をスタートしたが・・・。

公開時、恥ずかしながら妻と有楽町で観た記憶があり、テーマ音楽のメロディに乗せたベタな恋愛映画だな~という印象しかなく、何故大ヒットしたのだろうという疑問が残った。

改めてみると、当時のアメリカ事情が思い起こされる。ベトナム戦争が泥沼化し、疲弊した若者達に「ロミオとジュリエット」のような純愛は心を和ませてくれる。

おまけに冬の雪景色を背景に繰り広げられるラブストーリーは、難病モノで涙を誘う定番で涙を誘う。雪の中を歩く2人を俯瞰で捉えた映像に、F・レイのメロディがオーバーラップするスタイルは、その後の純愛映画のお手本となっている。

連載小説を書いたエリック・シーガルはシナリオも担当したが、同時進行した映画のほうが先に完成し小説が後追いした経緯がある。まさにメディアミックスの先駆けで、80年代の角川映画は本作の手法を見習ったもの。

私生活で話題を賑わせた人気絶頂のR・オニールと、「ゲッタウェイ」(72)で共演したのがキッカケでステーィヴ・マックイーンと結婚したA・マッグローの共演は、本作が最初で最後となった。

また出番は少ないが、ジェニーの父を演じたジョン・マーレイの好演が印象深く、オリバーのルームメイトだったトミー・リー・ジョーンズのデビュー作品でもあった。

直訳すると<愛とは相手に謝る必要はない>を<愛とは決して後悔しないこと>と字幕化したセリフが2回登場する。
最初は中盤で、喧嘩した二人が仲直りするときオリバーの言葉を遮りジェニーが言い、2回目は終盤父親の言葉を遮りオリバーが言ったシーン。何れも決め台詞として効果的だ。

3度目に見ることはない作品だが、46年前を懐かしく思い出させる映画だった。



「サクラ サク」(14・日)60点

2017-09-26 16:20:55 | 日本映画 2010~15(平成23~27)


・ 下諏訪・福井への旅は家族再生のロードムービー。




さだまさしの短編小説を小松江里子が脚色、「精霊流し」(03)、「利休にたずねよ」(13)の田中光敏が監督した家族再生へのロードムービー。

認知症のため日常生活に支障をきたし始めた父親・俊太郎と、家族を顧みず仕事に没頭していたエリートサラリーマンの息子・俊介とその家族は、いつしかバラバラになってしまっていた。

俊介は初めての家族旅行を思い立ち、長野・下諏訪への温泉旅行を実践する。渋々同行する妻・昭子とフリーターの息子・大介、高校生の娘・咲子の子供たち。
俊太郎はだんだんと記憶が途切れるようになっても、幼いころ福井で暮らした思い出だけは忘れていなかった。

一家は、70年前の父親の記憶を呼び戻すため福井へ足を延ばす。

仕事・家庭・老い・将来それぞれ内面に抱えている不安や葛藤を、長野県下諏訪、福井県福井・勝山・美浜への旅で、バラバラだった家族がまとまり理解・共有できるのだろうか?

今どき三世代同居家族は珍しいが、祖父の家に息子家族が同居する都会で暮らす裕福な一家に起こる問題は概ね想像できる。

俊介は仕事人間で、出世コースに邁進し、上司・部下との信頼関係も厚く取締役推薦が内定している。3年前単身赴任していた仙台で不倫して以来妻とはギクシャクした間柄。イイ人がお似合いの緒形直人が演じている。

昭子(南果歩)は、庭いじりが唯一の慰めで、夫との間だけではなく義父である俊太郎への対応も一線を画し、失禁・脱糞には夫へ電話するほどで一切関わらない。

俊太郎(藤竜也)は、自身の記憶が途切れることが多く、日記でその不安を書き記しているのが切ない。言葉遣いも丁寧でスーツをパリッと着こなす姿は紳士そのもの。そんな紳士が起こす非日常が痛ましい。ダンディな藤竜也が演じているので尚更だ。

家族旅行のキッカケは<人を褒めるには、その人のことを一所懸命見つめなければいけない>という俊太郎の言葉から。

リアリティはないが、下諏訪の秘湯、福井勝山の平泉寺・白山神社、瑞林寺など日本情緒豊かな背景に家族はこうありたいという願望が込められている。

エンディングに流れる、さだまさしの主題歌「残春」<若さを呪わず、老いを恨まず>という言葉が全編に流れる作品だった。



「マイ・ビューティフル・ガーデン」(16・英)65点

2017-09-24 12:06:46 | 2016~(平成28~)


・ 今どき珍しい、英国趣味満載の心温まるファンタジー。




ポール・マッカトニーの娘婿でもあるサイモン・アバウドのオリジナル脚本・監督による、ガーディニングの本場イギリスでのハートウォーミング・ストーリー。

植物恐怖症のヒロイン・ベラ(ジェシカ・ブラウン・フィンド)が偏屈だが庭を愛する隣人アルフィー(トム・ウィルキンソン)からガーディニングの素晴らしさを教わることで、次第に人生を輝かせて行く英国版「アメリ」の趣。

ベラの生い立ちは孤児で何事も決まった生活パターンを繰り返す几帳面な性分。絵本作家を目指す図書館司書だが、アパートのドアの鍵を何度も念入りに確認する作業のためいつも遅刻してしまい、規則にうるさい先輩ブランデルに睨まれる。

通ってくる風変わりな若者ビリー(ジェレミー・アーバイン)が、お互い気になる存在。

ベラは幼い頃からのトラウマで植物が大の苦手で、裏庭は荒れ放題。とうとう管理人から1か月以内に庭を綺麗にしないと退去してもらうと宣告を受けてしまう。

どうやら気難しい隣人トムが管理人に通告したらしい。困り果てたベラはトムの弱点であるクビにしたお抱え料理人ヴァーノン(アンドリュー・スコット)に料理作ってもらうことを交換条件に助けを請う。

ベラとトムとの関係は不器用な孫と頑固だが実はとても包容力のある祖父のような関係へ。卓越した園芸家でもあるトムは余生を<美味しい料理>と<美しい庭>で過ごすことが望みだった。

<ガーデニングとはカオス(混沌)に美を見出すこと>と諭すトムに人間も愛情を注がれて成長することを実感するベラ。

筆者のような庭音痴にはその素晴らしさと感動は半減するが、トムの庭には色とりどりの花が咲き部屋はまるで「秘密の花園」のよう。

口うるさい中高年はいるが悪人は一切登場しない、英国趣味がタップリ味わえる心温まるファンタジーを楽しんだ。

「未来よ こんにちは」(16・仏/独)70点

2017-09-22 14:33:25 | 2016~(平成28~)


・ イザベル・ユペールの魅力をふんだんに描いたミア・ハンセン=ラブ監督の人間ドラマ。



「ある夏の子供たち」(09)など注目の若手・フランス女性監督ミア・ハンセン=ラブが、大女優イザベル・ユペールをイメージした本作で、見事ベルリン映画祭の銀熊(監督)賞を受賞した。

パリの高校で哲学教師をしているナタリー(I・ユペール)は、子供たちも独立し同じ教師の夫・ハインツ(アンドレ・マルコン)との二人暮らし。結婚して25年、充実した人生を送っていた彼女の悩みは母・イヴェット(エディット・スコブ)の我儘な狂言壁ぐらいだった。
ところがバカンス・シーズン目前のある日、夫から離婚を告げられ、老人ホームに入った母も他界してしまう。母の葬儀を終えて乗ったバスから、夫が若い恋人と歩いているのを偶然見て思わず笑いだすナタリー。
おまけに、長い付き合いの出版社から著作契約終了を言い渡される。

それでも事実を受け止め、自分の考えで柔軟に行動するナタリー。バカンスは、お気に入りの元教え子・ファビアン(ロマン・コリンカ)が執筆しながらアナーキスト仲間と暮らすフレンチ・アルプスのヴェルコールを訪れる。

50代のナタリーが陥る家族との別離・仕事・恋愛・加齢などの悩みは、程度の差はあっても誰にでも降りかかる俗事の悩み事。

まだ30代半ばのラブ監督は老いと孤独とどう向き合っていくべきか?について、自身の母親とユペールをイメージして作り上げた主人公の奥深い描写に驚かされた。

大都会パリとブルターニュやヴェルコールを行き来するナタリーが、季節の移ろいとともにその都度起こった出来事を受け止めひたすら行動する姿は、自立した女性の生きザマとして若い女性の憧れの対象になりそう。

ルソー「社会契約論」、アラン「幸福論」、パスカル「パンセ」、レヴィナス「困難な自由」、ジャンケレウィッテ「死」など次々と哲学者とその著作が出て馴染みにくい雰囲気もあるが、これがフランスらしいともいえる。

対照的に音楽はオリジナルのBGMではなく、挿入曲で占められ心地よい。ナタリーが教え子・ファビアンの車で聴くウディ・ガスリーの曲を褒め、元・夫の車で流れるクラシックを聴き飽きたというあたりに女心が伺え可愛らしい。

ドラマは元夫や教え子との関係をほのめかしながらも淡々としたストーリー。 孤独を紛らわせるために入った映画館で、見知らぬ男に付きまとわれるシークエンスはもしやと思わせ、M・ハネケ監督の「ピアニスト」(01)や「エル ELLE」(16)を連想したが、毅然とはねつけ期待を裏切る?展開。

エンディングに流れるフリート・ウッズの「アンチェインド・メロディ」とシューベルトの「水の上で歌う」に、ナタリーが纏う衣装の数々がオーバーラップして見えた。

「ラスト・ショー」(71・米)75点

2017-09-18 14:32:14 | 外国映画 1960~79

・ P・ボグダニヴィッチ監督2作目は、テキサスの田舎町を舞台にした青春映画。




映画好きが高じて批評する側から作る立場になったピーター・ボグダノヴィッチの監督2作目は、ラリー・マクマートリーの半自伝的小説を映画化した、テキサスの田舎町を舞台にした青春ドラマ。

アメリカン・ニューシネマの時代、20年前の小さな町のハイスクールの少年・少女の恋愛を映画化するのはとても珍しく、ほとんど注目されていなかったにも拘らず大ヒット。何しろ僅か150万ドルの製作費で世界の興行収入が3000万ドルあったのだから。

枯渇しかかった石油発掘にすがるように寂れたテキサスの小さな町・アイリーン。唯一の娯楽施設は映画館ロイヤル劇場。
ソニー(ティモシー・ボトムズ)とデュエーン(ジェフ・ブリッジス)はそれぞれガールフレンドとロイヤル劇場で「花嫁の父」を観ているが、ソニーは1年たっても思いが果たせず一途な思いは空回り。デュエーンは気まぐれな町一番の美人ジェイシー(シビル・シェパード)に振り回されている。
ソニーは、映画館・ビリヤード・カフェを経営している元カウボーイの‘ライオンのサム’(ベン・ジョンソン)を父のように慕っている。

ソニーとデュエーンの友情、ジェイシーとの三角関係、旅立ちへの願望など様々な葛藤は、多感な青春時代の夢とその終わりをノスタルジックに描いて、あえてモノクロにした映像に寂寥感が漂う。

この年代の男は幼くて性への関心は旺盛だがすることは子供っぽいのに、女はかなり強か。この時代の貞操感も伺え、ジェイシーはソニーとデュエーンを振り回しケロッとしている。

同時並行的に過去を引きずりながらこの町で厳しい現実を生きている大人たちが登場する。

‘ライオンのサム’は町の人々に慕われているが、妻子を亡くし孤独な身。口の聴けない少年ビリーの面倒を見ながら唯一の趣味は釣り。過去に好きな人がいて実らなかったらしいが「一番バカなのは、何もしないで老いぼれること。」とサムに諭す。筆者も耳が痛い!

フットボールのコーチの妻ルース(クロリス・リーチマン)は夫に置き去りにされ、そのはけ口から息子のようなソニーと関係を持ってしまう。何かというと謝る口癖に後ろめたさを感じながら、部屋の模様替えまでしてソニーを待つ中年女性が痛々しい。

ハンク・ウィリアムスの「Cold Cold Heart」など、カントリー・ソングがバックに流れるなか、ひとつの終わりを伝えるように、サムは突然亡くなってしまう。

デュエーンとの交際を反対していたジェイシーの母ロイス(エレン・バースティン)はソニーがジェイシーと結婚できないことを自身の体験を例えながら慰める。ソニーはもしかすると、‘ライオンのサム’の好きだった人はロイスかもしれないと想像する。

本作でB・ジョンソンとC・リーチマンはともにオスカー助演賞を獲得している。

本作をきっかけにボグダノヴィッチは「おかしなおかしな大追跡」(72)、「ペイパー・ムーン」(73)とヒット作を連発。
J・ブリッジスは今も現役の大スターで健在だが、T・ボトムズは地味な存在へ。
美人女優のC・シェパードも「タクシー・ドライバー」(76)でデニーロにストーカーされる女性役以降、TV「こちらブルームーン探偵社」でブルース・ウィルスと共演した美人探偵以外は活躍していない。

終盤閉館するロイヤル劇場で上映されたのは「赤い河」(48)だった。それぞれの旅立ちを思わせる作品だ。





「タレンタイム 優しい歌」(09・マレーシア)70点

2017-09-16 15:42:01 | (欧州・アジア他) 2000~09

・ ヒューマンなストーリーテーラー、ヤスミン・アフマド監督の遺作




51歳で急逝したヤスミン・アフマド監督。他民族国家マレーシアで、人間と人間を恣意的に分断しないことを信条にヒューマン・ストーリーテーラーを自称した彼女の遺作。

音楽や踊りを競い合うコンクール<タレンタイム>が開催されることになった高校で、ピアノの弾き語りが得意なムルー、ギターでリジナル曲を歌う転校生ハフィズ、二胡が得意な優等生カーホウがタレンタイムに挑む。
マレーシアで暮らす高校生とその家族の心情を瑞々しいタッチで描いた群像ドラマ。

ヒロイン・ムルーの家族は裕福で自宅にピアノがあり、中国人メイドのメイリンがいる。ひょうきんで大らかな父と2人の妹のマレー系5人家族。父は英国とマレーシアの混血らしく、その母はイギリス人。どうやらアフマド監督の家族構成がモデルのようで、母とメイドがフランクな関係はマレーシアでは異色。ムスリムだがとても緩やかな一家だ。

そんなムルーの送迎係に選ばれたのがインド人のマシュ。母と姉との3人暮らしで近くに住む叔父が何かと気遣いしてくれる。熱心なヒンドゥー教徒で女手ひとつで育てられたマシュは聾唖者でもあった。

対照的な2人の幼い恋を中心に、闘病中の母を気に掛けるハフィズと中華系の優等生カーホウとのライバル心、コンクールへの高揚感とともにドラマは進行する。

一歩間違えると悲惨な展開だがユーモアを随所に交え、若い世代の純粋な感性に託す語り口に好感を覚えた。

タレンタイムの審査員アディバ先生を演じたマツコ・デラックス似のアディバ・ヌールは国民的歌手と言われ、ハフィズの母に扮したアゼアン・イルワダティは有名女優だが闘病中で、監督の強い要望で寝たきりの出演が実現したという。

このドラマのユーモア溢れるシーンとヒューマンなストーリー展開の柱的存在だ。

冒頭、教室での試験風景で多民族国家であることを認識させるシーンで始まる青春ドラマは様々な言語が飛び交うが、そのまま表現することはこの国ではタブーで全てマレー語に変更されていた。

監督はそれを乗り越え、それぞれの言語を使い、さらに手話を入れることで言葉による障害は乗り越えられるという強い思いを感じた。

アフマド監督はマシュの叔父に起こる悲劇、マレー系優遇の「ブミプトラ政策」による確執、マレー系とインド系の宗教感の違いから起こる不寛容さなどを包含させながら、それを乗り越える人間愛の普遍性を訴えている。

ピート・テオの音楽がそのままドラマに沁みこんで、ムルーとマヘシュの悲恋も、ハフィズとカーホウの確執も希望の光を感じさせてくれる。

母系の祖母が日本人のアフマド監督の長編は6作しか残っていないが、人間愛を語る作品はこれからも若い映画ファンに伝えられていくことだろう。







「台北ストーリー」(85・台)80点

2017-09-14 12:29:53 | (欧州・アジア他)1980~99 


・ 台湾ニューシネマのE・ヤン長編2作目が4Kデジタルで本邦初公開された。




台湾ニューシネマの雄エドワード・ヤン監督。生誕70年没後10年を記念して、代表作「クーリンチェ少年殺人事件」(91)とともに長編2作目の本作が4Kデジタルで蘇った。原題は「青梅竹馬」(幼なじみ)。斬新な作風が当時の台湾の観客には受け入れられず4日間で打ち切りとなった曰くつきの作品でもある。

家業の布問屋を継いだ元リトルリーグのエースだったアリョンと不動産ディベロッパーのキャリアウーマンのアジンは迪化街で育った幼なじみのカップル。
二人は同居のため新しいアパートへ下見にきていた。積極的なアジンに対し、どことなく乗り気がしないアリョン。
80年代経済成長で変貌を遂げる台北を舞台に、栄光に囚われた男と過去から逃れ未来に想いを馳せる女のすれ違いを描いたラブストーリー。

主人公アリョンを演じたのは盟友ホウ・シャオシェン。家を抵当に入れ本作のプロデューサーでもある。

ホウ・シャオシェンの推薦でヒロイン・アジンに扮したのが人気歌手ツァイ・チェン。

決して美男美女のラブロマンスではないが、方向性の違う訳アリの2人がすれ違うサマはとても切なく心に沁みる。

ラブストーリーの定番は2人のすれ違いを、異国情緒豊かな街並みや、彼らを取り巻くを人々の生き遣いが見え隠れする様子が背景に映し出されること。

お手本である米国や日本のカルチャーが混在する台北。ヤン監督はコンクリートのビル街やネオンで変貌する街並みを光と影で切り取って行く一方、西の古い街並みの迪化街に住むアジンの両親・妹やアリョンの後輩でタクシー運転手・アキン一家の暮らしぶりを通して経済成長に取り残された人々を捉えている。

蒋介石総統の肖像と中華民国万歳というネオンの前を若者たちのバイクが爆音を立て疾走するシークエンスが時代の象徴でもある。

人生の再出発には相応しい土地かもしれないカリフォルニアも、ベクトルの違う2人には到達点にはなりそうもない。

ヨーヨーマの奏でるタイトル・バック(J.S.バッハ無伴奏組曲2番ニ短調)で始まるドラマは、富士フィルムの屋上ネオンをバックに流れるBGM(ベートーヴェン チェロソナタ3番イ長調)が二人の未来を暗示しているようだ。

「ムーンライト」(16・米) 80点

2017-09-11 11:49:54 | 2016~(平成28~)

・ 小品だが、時代が求めていた佳作にオスカー作品賞が!




今年のアカデミー賞授賞式で手違いでハプニングを起こした作品賞を獲得し話題となったが、ほかの要因でも画期的といえる作品だった。

マイアミの貧困地区リバティシティに住む少年シャロン。内気で小柄なためイジメに遭い<リトル>と呼ばれていた。
麻薬常習者の母親との二人暮らしは家庭でも居場所がなく、優しく接してくれる麻薬ディーラーのファンと唯一の友達ケヴィンだけだった・・・。

タレル・アルヴィン・マクレイニーの自伝的戯曲「月の光の下で、美しいブルーに輝く」を長編2作目のバリー・ジェンキンスが脚色、監督した。映画化をサポートしたのが、製作会社プランBを設立したブラット・ピット。3年半の企画準備を費やし、わずか27日間で撮影し見事オスカーを獲得した。

少年シャロン(アレックス・ヒバート)とファン(マハーシャラ・アリ)の疑似親子ぶりがとてもいい。ほとんど喋らないシャロンに恋人テレサ(ジャネール・モネイ)とともに優しく接し、食事をさせたり海で泳ぎを教えたり、<自分の人生は自分で決めろ>と諭す。

ハイスクールに通うシャロン(アシュトン・サンダース)は、母・ポーラ(ナオミ・ハリス)の中毒症状に悩ませられながらケヴィンとの友情は続いていたが、孤独な日常はますます深まるばかり。そんなとき事件が起きる。それはいじめによる暴力沙汰でケヴィンに友情以上の気持ちを抑制させるものでもあった。

青年シャロン(トレベンテ・ローズ)はブラックと呼ばれ、アトランタで麻薬ディーラーとなっていた。まるで少年時代可愛がってくれたファンのように肉体を鍛え高級車に乗り回しているが、孤独な眼差しは変わっていなかった。
突然電話が掛かって介護施設にいる母親だと思って出ると、それはハイスクール時代の親友ケヴィン(アンドレ・ホランド)からだった。

3部構成からなる一人の少年の成長物語だが、それぞれトーンが違う色使いで1部の少年時代だけでは描き切れない自我が目覚めていく過程が情感あふれるタッチで描かれ、ちょっぴり異質ともいえる詩的ラブストーリーとなっている。

2部のハイスクール時代<泣きすぎて自分が水滴になりそうだ>といったシャロンが3部の青年時代で<あの夜のことを、今でもずっと覚えている>というまでの長い起伏を描くことで、自分らしく行動することを自覚した主人公を描いている。

性的マイノリティには厳格なアカデミー協会が、初めて作品賞を与えたエポックメイキングとなった本作は小品ながらオスカー史上記憶に残る作品となった。

筆者は1部で印象的なファンが突然いなくなってしまった2部で置いてきぼりを喰らってしまった感があったが、3部で「ブエノスアイレス」のウォン・カーウァイへのオマージュともいえるタッチに目を奪われた。

万人受けする作品ではないが、色鮮やかな映像美と情緒豊かな音楽による主人公の心情が心に沁みるアースティックな佳作だ。



「ラビング 愛という名前のふたり」(16・米)80点

2017-09-03 12:23:30 | 2016~(平成28~)

・「結婚という犯罪」の実話をもとに、 静かな感動を呼ぶ純愛ストーリー。




約60年前、自由の国アメリカ合衆国で白人男性とアフリカ系アメリカ人女性の結婚が州法で禁止となっていた事実を知ったのは本作によってだった。ほかにもいくつかの州で異人種間(白人VS先住民やアフリカ系住民)の婚姻は禁止されていたのに驚かされる。

「MUDマッド」のジェフ・ニコルズは、TVドキュメント「The Loving Story」を見て脚本を書き下ろし、コリン・ファースの目に留まり映画化が実現したという。

1958年バージニア州キャロライン郡に暮らすレンガ職人の白人男性リチャードは、幼馴染で恋人ミルドレッドの妊娠を知ってプロポーズ。彼女の父を立会人にワシントンD.Cで結婚して故郷へ戻ってひっそりと暮らしていた。

しかし密告により逮捕され25年間一緒に戻ってはいけないという司法取引に応じる。ワシントンD.Cへ移住するが、出産は故郷で生みたい妻の希望を叶えるため戻ってくるが再逮捕されてしまう。

情状酌量によりワシントンD.C戻された夫妻だが、望郷の想いは捨てがたくミルドレッドはケネディ司法長官へ手紙を書く・・・。

公民権運動が盛んな時代に、運動家ではない市井のラビング夫妻の純粋な愛が国を動かして異人種間の結婚が合法となって行く感動の実話を基にした映画だが、ニコルズのアプローチはことさらドラマチックに煽り立てたりしない。

そのため、感動の涙を期待したり、丁々発止の法廷ドラマを予想していた観客は置き去りにされてしまう。

名作「招かれざる客」(67)のように声高に訴えたり、泣きわめいたりせず、状況を受け止めその範囲で愛情を確かめ合いながら暮らすごく当たり前な庶民の暮らしが、じわじわと感度を呼ぶ純愛ストーリーとして胸に沁み込んでくる。

リチャードを演じたジョエル・エドガートンは不器用ながら必死に家族を守ろうとする善きブルー・ワーカーになり切って素顔とは別人のような姿に俳優魂を感じる。

ミルドレッドに扮したルース・ネッガはもの静かななかに毅然とした芯の強さのある女性を身体全体に漂わせ、オスカー候補になった。「ラ・ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンにさらわれたが甲乙つけがたい好演だ。

脇を固めたライフ誌カメラマンのマイケル・シャノン、ACLU(アメリカ自由人権協会)指名の弁護士ニック・クロールの達者な演技も記憶に残る。

60年前の人種差別が、今も色濃く残る社会である現在、このような純愛ストーリーを監督した若干38歳のジェフ・ニコルズ。これからも注目して行きたい。