晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ファイヤーウォール」(05・米) 75点

2013-08-31 09:47:03 | (米国) 2000~09 

 ・ 目一杯頑張ったH・フォード。


  
 現代社会を象徴するコンピュータ犯罪、銀行合併、幸福な家族を守る理想の父親像など、今風の話題満載のアクション映画。

 若干年齢を感じさせる部分は否めないものの、ハリソン・フォードが目一杯頑張っている。妻ベスを演じたバージニア・マドセンもイメージぴったり。アメリカの理想的家族の暮らし振りを映像でたっぷり味わえる。

 犯人ビルのボール・ベタニーの不気味さも、この映画には欠かせないキャラクター。終盤はちょっとやりすぎた感はあるものの、結構楽しめた。

「スティング」(73・米) 85点

2013-08-29 07:46:51 | 外国映画 1960~79

   

 ・映画の醍醐味を味わせてくれる、スタイリッシュで小気味良い傑作。 

 「明日に向かって撃て!」のジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の黄金トリオによるスタイリッシュで小気味良い傑作。オスカー作品・脚本賞など7部門を受賞している。

 シカゴ郊外の詐欺師フッカー(R・レッドフォード)が路上で金を騙し取ったのはNYギャング、ロネガン(ロバート・ショウ)の手下だった。相棒で尊敬するルーサーが殺され、ベテラン詐欺師ゴンドルフ(P・ニューマン)を頼って復讐を誓う。

 映画の醍醐味というのは、こういう作品を言うのだろう。何より脚本(デヴィッド・ウォード)が緻密で素晴らしい!登場人物に無駄がなく語り口に味があり、それぞれ達者なのも感心させられる。
 これを最後にP・ニューマン、R・レッドフォードのコンビが見られなくなってしまったのも郷愁を誘う。
 最後までどんでん返しがあるが、何よりお洒落なのは騙された人間が欲深い悪で気付かないまま終わること。こんな素敵なコメディはもうできそうもない。

 スコット・ジョブリンのピアノによる「エンターティナー」の曲が耳に残って離れない。 

「ゲッタウェイ(1972)」(72・米) 75点

2013-08-28 07:14:22 | 外国映画 1960~79

 ・ ペキンパーとマックイーンのコンビによるバイオレンス・アクションとラブストーリーの融合。

     
 ノワールの鬼才ジム・トンプソンの原作を「ワイルド・バンチ」「わらの犬」のサム・ペキンパー監督とスチーブ・マックイーン主演で映画化。J・トンプソンの脚本をマックイーンが気に入らずウォーター・ヒルが脚色したため原作とはかなり異なっている。

 悪徳政治家から銀行強盗を取引条件に刑務所を出所したマッコイ。妻とともにスリリングなメキシコへの逃亡劇となって行く。カーチェイスと銃撃戦が全編に展開されるが、ラブ・アクションというジャンルがあればぴったりな作品。

 ヒロインはアリ・マッグローで、気が強く少し間抜けなところがあるものの一途な女の役。S・マックイーンが命懸けで追う設定にしては、いまひとつ魅力に乏しい感じがした。この共演により実生活でも結婚したので2人の息はぴったりだったのだろう。のちにアレック・ボールドウィン、キム・ベイシンガーでリメイクされるが、こちらの方がぴったりハマってみえた。のちに離婚したが、この2人も結婚している。

 後半の逃亡劇はスリリングで、撃ち合いも迫力満点。ペキンパー得意のバイオレンス・シーンも多いが少し遠慮気味なのはマックイーンが口を挟んだからだろう。音楽も常連ジェリー・フィールディングではなくクインシー・ジョーンズになったのもマックイーンの意向。そのためスタイリッシュだが、哀愁味がなかった。やはり大スター・マックイーンの作品なのだ。そのせいか、ときどき見せる彼の照れたような独特の表情が何ともいえず魅力的に映っていた。
 競演者では銀行強盗仲間で裏切り追手となったルディ役のアル・レッティエリの極悪非道ぶりが目を惹いた。
 2人の逃避行はハッピー・エンドで終わるが、2種類あって結末が違うほうが相応しい気もする。これもマックイーンの選択か?

「八日目の蟬」(11・日) 80点

2013-08-22 12:33:59 | 日本映画 2010~15(平成23~27)
 ・ ベストセラーの映画化に成功した成島・奥寺コンビ。
                   

「日野不倫放火殺人事件」をヒントにした角田光代のベストセラーを成島出監督で映画化。この年の日本アカデミー賞の主要部門最多受賞作品でロングラン・大ヒット作品だったが、東北大震災の影響でロードショー公開時に見逃してしまい、漸く観ることができた。

 不倫相手の乳児を誘拐し、逃亡しながら4年間育てた希和子と、その過去を引き摺りながら21歳になった恵理菜。4年の軌跡を辿りながら恵理菜の心情を追って行く。

 成功の最大要因は一人称で内面を語る原作をアレンジ、三部構成を巧みにシンクロさせた奥寺佐渡子のシナリオだろう。冒頭の裁判シーンでの被害者恵理菜の母・秋山恵津子と加害者・野々宮希和子の独白で、ドラマの概要と二人の心理状況を端的に伝えることによって観客を惹きこんで行く。

 丁寧な成島演出とその期待に応えた4人の女優の好演が挙げられる。

 主演は恵理菜を演じた井上真央。子役時代から鳴らしていた彼女の代表作と言って良い。時として一本調子の感はあるものの、過去のトラウマを引き摺って頑なな雰囲気から、クライマックスでの心の内にあった蟠りが氷解するするサマは見事。

 次に希和子役の永作博美。ダブル主役と言って良いほどこの映画の中核を担う役。本来敵役なのに、原作がそうであるように女心の複雑な心情を繊細に描写。冒頭の裁判シーンで<4年間、子育ての喜びを味わせてもらったことを感謝します>というシーンに彼女の全てが具現化するのを観る作品でもある。

 そして監督のお気に入り小池栄子はルポライター安藤千草役。グラビアアイドルから脱皮して演技派へ転身しているが、本作でもヒロインと共通項の秘密を持つ女で何処かオドオドした雰囲気が出ていた。男恐怖症には見えなかったのは先入観のせいか?

 もうひとり同情されるべき被害者恵理菜の母・恵津子役の森口瑤子。達者な女優だが、実の母でありながら子供が懐かずその陰に希和子がいる苛立ちぶりが哀れを誘う。原作より普通の母であることがこのドラマでの深遠さを増している。娘に「お星様の歌」をせがまれ<キラキラ星>を歌い違うと言われヒステリーを起こしたり、大人になった娘が不倫の末身籠った子を降ろすよう諭すと娘に過去のハナシを持ちだされ思わず逆上するなど、複雑な想いを描出し敵役的な役割も果たしている。

 忘れてはいけないのは恵理菜の子供時代(薫という仮名)を演じた渡邉このみ。可愛さ純真さを独り占めして観客の涙を誘う。彼女に喰われなかった永作の力量も改めて知らされた。ほかに出るだけで存在感を示したエンゼル・ホームの余貴美子や写真館主の田中泯。下手をするとコメディになりそうな役を衒いなく演じている。

 何より感動を誘うのは小豆島での希和子と薫の暮らし振り。虫送りの千枚棚田での風景や農村歌舞伎舞台は古き善き伝統行事と束の間の穏やかな幸せがヒシヒシと伝わってくる。「二十四の瞳」へのリスペクトとも言うべき岬の分教場での先生ごっこ、小豆島八十八カ所霊場一番札・洞雲山寺の願掛けや記念写真の撮影は先が予見されるだけにとても切なく、身勝手な誘拐犯に同情する矛盾した筆者がいる。

 冒頭、夜乳児を置いたまま夫婦が戸締りも不注意なまま外出した誘拐シーン、乳が出ないのに泣きやまない乳児を抱いて途方に暮れ思わずおっぱいを吸わせようとするシーン、恵理菜と劇団ひとりの恋人・岸田とのベッドシーンなど不自然さはすっかり忘れよう。

 筆者が幼少時代、<母もの映画>というジャンルがヒットした時代があった。三益愛子、望月優子、田中絹代、三宅邦子、淡島千景など名女優がそれぞれタイプの違う母親を名演していた。永作博美は<現代の母もの女優>になった。

「風とライオン」(75・米) 60点

2013-08-20 11:02:56 | 外国映画 1960~79

 ・ 007からの脱皮を果たしたJ・コネリー。

  
 20世紀初頭のモロッコは仏・英・オーストリア・ドイツなど大国の思惑が渦巻いていた。米国のペデカリス未亡人と子供達を誘拐したリフ族酋長のライズリー。彼は大国に弱腰の国王・大守の態度を改めようとしての行動だった。
 アメリカは、パナマ運河建設に伴いフランス支援のコロンビアからパナマ親米派を支援して<カリブ海外交>を成功させ意気軒昂な大統領ルーズベルトの時代。国威昂揚のため米艦隊を派遣し、「夫人を生きたまま返すか、ライズリーを殺すしかない。」と高らかに宣言する。題名である<風>がルーズベルトで<ライオン>がライズリーなので、二人の対比によって時代背景を捉えたのだろう。
 

 <アメリカの国威発揚映画>とも<サムライ映画>とも揶揄された作品だが、もっとも印象に残ったのはキャスティング。
 ライズリーを演じたのは007のイメージが染みついて離れなかったショーン・コネリー。誇りと勇気があり、無骨だが思いやりのあるキャラクターで「血とコーランからなる」砂漠の王者を自負する「リフ族の首長」役は見事に脱皮を果たし、新たなイメージ形成のキッカケとなった。
 対するルーズベルト役のブライアン・キースはクマ狩りや銃好きな強いアメリカの象徴としての28代大統領に相応しくまさに敵役。2人が出会うことはないがラストーシーンなど、見かたによっては主役のような扱い。
 競演したなかで主要な役割を果たしたのはペデカリス夫人役のキャンディス・バーゲン。野蛮なライズリーのなかに知的な部分を感じアラブ世界を理解しようとする。太守の裏切りでドイツ軍に囚われたライズリを救うため奮闘し、単なる囚われの身ではない強さを兼ね備えた米国夫人の理想像を再現して魅せている。
 

 原作はR・フォーブル「リフ族の首長」で史実をもとにした小説を監督2作目のジョン・ミリアスの脚本化している。黒澤明を信望する彼は、「隠し砦の三悪人」へのオマージュと思われるシーンも登場し、迫力ある戦闘シーンが見られるがドキドキ・ワクワク感はとても及ばない。
 アラブ風の勇壮な旋律を奏でたジェリー・ゴールドスミスの音楽は、ビリー・ウィリアムズの映像を一層盛り上げ、ちょっぴり「アラビアのロレンス」を連想させるが、これもスケールで見劣りするのは否めない。

 公開当時はベトナム戦争終結で意気消沈したアメリカ。元気づける映画をという機運で造られた歴史ドラマ映画の難しさを感じた作品だった。その後国益を背景にイラン・イラク・アフガニスタン紛争に足を突っ込んでいったアメリカ。現在、エジプトの混乱に介入を躊躇するアメリカは、アラブ国家を理解するにはまだまだ時間を要するようだ。



「グレン・ミラー物語」 (54・米) 80点

2013-08-16 11:06:34 | 外国映画 1946~59

ビッグバンドのスター<グレン・ミラー>の伝記映画で主演はジェームズ・スチュアート、監督は彼の西部劇を何本も手掛けているアンソニー・マン。

J・スチュアートは本人が演じているのでは?と思うほど自然で貧乏なのにチットモめげない気さくな人柄のG・ミラーに成りきっていた。相手役の妻ヘレンにはジューン・アリソン。決して美人ではないがキュートで善きアメリカの献身的な妻を好演。野心を捨てようとするグレンを叱咤激励するが、あくまでも良妻賢母の枠からハミ出ない。

2人のエピソードとともに「ムーンライト・セレナーデ」「真珠の首飾り」「ペンシルバニア6-5000」など、ダンス・ミュージックとしてお馴染みの曲が数々流れて心地良い。なかでも「茶色の小瓶」には目頭が熱くなる。サッチモやジーン・クルーパが登場して<ベイズン・ストリート・ブルース>を演奏する若き日の場面はジャズ・ファンには嬉しいシーンだ。

中盤で軍隊入りする辺りで中だるみはあるものの、米映画ならではのストーリーは伝記映画としてなかなかなもの。


「大脱走」(63・米) 80点

2013-08-15 19:00:57 | 外国映画 1960~79
・ 長時間を感じさせないスリル満点の脱走劇。

   
 「OK牧場の決斗」(57)「老人と海」(59) 「荒野の七人」(61)のジョン・スタージェス監督がポール・ブリックヒル原作をもとに映画化。大ヒットしたメイン・テーマとともに脱走劇の一大エンタテインメント。

 第二次世界大戦中ドイツ・ルフトの第3捕虜収容所での連合軍将校たちによる76人の大脱走。史実をもとにしたこの脱走劇を豪華キャストで大胆にアレンジしてスリル満点の173分。

 頻発する連合軍の脱走に手を焼いたドイツ軍は、将校たちを一同に集め監視する第3捕虜収容所に収容した。ツワモノには17回脱走履歴のある米国陸軍航空隊・大尉のヒルツや英空軍義勇飛行隊の米国人ヘンドリーなどがいた。
 所長は誇り高き独空軍大佐フォン・ルーガーでドイツ軍との連絡役は英国専任将校(大佐)のラムセイ。お互い軍人同士のフェアプレイ精神がある独特の緊張感が保たれている。ドイツ軍には親衛隊やゲシュタポを快く思っていない軍人もいたのだ。

 脱走のリーダーとなったのは英国空軍の<ビッグX>ことロジャー・バートレット少佐で、なんと250名の脱走を計画する。補佐するのは<情報屋>ことマクドナルド大尉で語学堪能な参謀役。2人のもとに加わったのが<調達屋>のヘンドリー、掘削作業の<トンネル王>ダニー、<土処理屋>のピット、<偽造屋>のコリン、<測量屋>のカベンディッシュ、<仕立て屋>のアイヴィスの面々。一匹狼だった<独房王>のヒルツもたび重なる単独脱走に失敗して加わる。

 ドラマは彼らがまるでゲームをするようにそれぞれの特殊技能を発揮する様を描きながら進んで行くが、それぞれの個性が丹念に描かれ飽きさせない。脱走までのハラハラ・ドキドキ感とともに満足感を観客に与えている。

 約2/3を割いて脱走のプロセスを描いたからこそ残りの60分の脱走劇が盛り上がる。トンネルから脱出した76人は、列車・ヒッチハイク・ボート・飛行機・バイク・自転車とそれぞれの手段で逃走する。彼らは自由を求めての脱走ではなく、ドイツ軍の後方を撹乱し、前線で戦う連合軍を有利にするための戦術であった。

 ハイライトはスチーブ・マックイーン扮するヒルツのバイクでの大草原での単独逃亡シーン。有刺鉄線を超えるバイク・アクションは吹き替えだったが、マックイーンのバイクテクニックも充分活かされていた。
独房を出入りを繰り返すアンチ・ヒーロー役が不満で降板しようとしたウップンはこれで晴らせたことだろう。彼は後の「パピヨン」(73)で脱獄ヒーローを演じるが、ファンにはこちらの方がカッコイイ。

 リーダーの<ビッグX>にリチャード・アッテンボロー、<調達屋>ヘンドリーのジェームズ・ガーナーが主要な役柄で配置されているのも締まりがあっていい。個性派<トンネル王>ダニーのチャールズ・ブロンソン、<製造屋>セジウィックのジェームズ・コバーンも集団には欠かせない存在。
 ほかにもダニーを励ますウィリーにジョン・レイトン、<土処理屋>ピットにデヴィッド・マッカラムという日本人にはお馴染みの俳優にもそれぞれ見せ場があった。
 
 脱走経験はないが実際捕虜を体験した<偽造屋>コリンのドナルド・プレザンスや、所長のハンネス・メッセマーは東部戦線出征・ソ連の捕虜経験があったので、それぞれ想い入れのある役だったに違いない。

 明るいヨーロッパの自然がマッチするような脱走劇は、エルマー・バーンスタインの音楽と相まって暗くて陰湿な戦争イメージを払しょくしてくれている。史実は76名中50名が殺害され、17名が連れ戻され、帰国したのは3名だけだったが、ドイツ軍7万の兵が拘わり兵力が削がれたという。

 <ビッグX>と<情報屋>が「我々は間違っていなかった」という会話と、ヒルツの壁にボールを当てる音が印象に残り、長時間を感じさせない満足感いっぱいの脱獄劇だった。
 

「トゥ・ザ・ワンダー」(13・米) 65点

2013-08-14 15:25:31 | (米国) 2010~15

 ・ 通俗的なラブ・ストーリーを通じて哲学的なテーマを描いた巨匠T・マリック。

   
 「ツリー・オブ・ライフ」(11)のテレンス・マリックがアメリカの男とフランスの女のラブ・ストーリーを描いた。とはいえ哲学的かつ宗教的テーマで観客を大いに惑わせた独特のスタイルは健在で、ますます拍車が掛かった感じがする。

 モンサン・ミシェルで出逢ったニールとマリーナ。シングル・マザーのマリーナがアメリカ人のニーナに会ったとき「新生児のように私は目を開く。そして溶ける永遠の闇に光を放ち、炎のなかへ落ちて行く。」というモノローグで始まる。そして「あなたとなら何処へでも。一緒に過ごせればいいの。」

 やがて2人は娘タチアナを連れてニールの住むオクラホマの田舎町で暮らし始める。何もかも新鮮でスーパーでの買い物やパレードの見物というささやかな日常に喜びを覚える日々が続く。がそれも3カ月も経たないうちに、単調な生活と環境に馴染めず、同時にニールへの情熱は失われ始める。娘のように可愛がっていたタチアナから「パパ気取りはやめて!」と言われ、心が覚めて行くニール。「永遠に続くと思った時間は存在しなかった。」

 こうして、マリーナのモノローグのオンパレードで<出会いと別れ>が展開するが、全て美しいプロモーション映像をみるような雰囲気で、ドラマを盛り上げるための余分な説明は一切ない。おまけにニールが感情を露わにしない寡黙な男。交流があったのは幼なじみの牧場主のジェーンとクインターナ神父のみ。あとで知ったがニールの友達役にオスカー女優レイチェル・ワイズが出演していたのに全面カットされたという。是非観てみたい気もするがお蔵入りだろうか?

 ニールはマリーナが去った後ジェーンに惹かれるが、パリへ戻ったタチアナが父親の家へ移ったのを知って、責任感から彼女を呼び戻し結婚する。夫婦がわだかまりなく円満な生活が戻るかは、火を見るより明らかでは?「なぜ愛は憎しみに変わる?なぜ優しい心は冷淡に?」

 <愛は感情か?義務か?それとも命令か?という男女の関係を問いかける映画>のつくりだが、本質は原罪、隣人愛などの聖書にちなんだテーマがあちらこちらに散りばめられている。それを布教に励みながらも信仰への情熱を失いかけているクインターナ神父が、神への問いとして「神はどこにいるのか?なぜ自分の前に姿を現わさないのか?」と独白してゆく。 

 ニールを演じたのは「ラルゴ」(12)で監督・主演したベン・アフレック。愛に悩む孤独な男のイメージを巧く惹きだしていた。マリーナを演じたのはウクライナ出身のミューズ、オルガ・キリレンコ。感情の赴くまま言動するが、いつも満足できない女を奔放に演じている。
幼なじみジェーンのレイチェル・マクアダムスは身を引く女の役で、出番があまりなかった。クインターナ神父のハビエル・バルデムは聖職者としての苦悩を抑えた演技で好演。仰々しさを伴うこの映画のテーマを背負った感があった。

 モンサン・ミシェルが象徴するように列車の音とともにプロローグとエピローグに登場。パリの街並みがオクラホマの家並みと対照的に映り、荒涼とした自然が自然光で美しく映えるエマニュエル・ルべツキの撮影が詩情豊かに訴えてくる。バックにながれるのがバッハ、ワーグナー、チャイコフスキーなど抑制されたクラシックなのも相乗効果を醸し出している。

 寡作だった巨匠が次々と新作を出してくるのは嬉しいが、かつての「天国の日々」(78)のようなストーリー・テラーとしての作品はもうできそうもない。そのつもりで映画館へ足を運ぶ必要がありそうだ。


「ワイルド・バンチ」(69・米) 75点

2013-08-13 16:12:48 | 外国映画 1960~79
 ・ ヴァイオレンス・アクションの鬼才S・ペンパーの代表作。

  
 「荒野のガンマン」(61)、「昼下がりの決斗」(62)、「ダンディ少佐」(65)のサム・ペキンパーによる4年振りのアクション。ハリウッドと衝突していた渾身のヴァイオレンス・アクションは、後の映画界に引き継がれ彼の代表作となった。

 1913年テキサス国境の街にパイクを首領とする8人組の強盗が鉄道事務所に押し入る。ところがかつての仲間ソーントーンによるワナに掛かり、辛うじて逃げ延びた5人が持ち帰ったのは金貨ではなく鉄のワダチだった。時代はフロンティアが消滅し、文明の波に飲み込まれる西部の男たちは行き場がなくなっていて、メキシコではウェルタ政権に反旗を翻すパンチョ・ビラの革命軍などが争っていた。
ソーントーンに追われるお尋ね者となったパイクたちは、仲間のメキシコ人エンジェルの故郷へ新天地を求めて行く。そこで権力を握っていた政府支持軍マパッチ将軍から、米政府の輸送列車を襲撃して武器弾薬強奪を請け負う。

タイトルやキャストの表現手法がとても斬新で、そのままストーリーに入って行くプロローグが期待感を煽って素晴らしい。子供たちの遊びでサソリが無数のアリに喰われてゆくサマは何かを暗示しているようだ。上映後平和運動家やフェミニストから反感を買った、禁酒運動の行進をする一般市民が銃撃戦の巻き添えになる理不尽さに対して何のフォローもないストーリー展開は従来になかったパターンでもある。
 主演のパイクを始めソーントーン、マパッチ将軍など主要人物が全員悪なのも従来はあまりなかったし、強奪や娼婦を買ったり、大酒を飲むなど行動も共感を呼ぶモノは一切ない。だが老境に差しかかった無法者たちが滅びゆく姿を描写した抒情的表現には、日本の侠客もののような雰囲気を漂わせて壮絶な銃撃戦への前哨戦ともなっている。乾いた黄色い土、青い空、白い雲がその舞台を一層際立たせている。

 主演のパイクにウィリアム・ホールデン、相棒にアーネスト・ボーグナイン、元仲間のソーントーンにロバート・ライアンと渋い俳優を揃え、単なるヴァイオレンス・アクションではない男の哀愁を漂わせている。敵味方に分かれてしまったにもかかわらず、お互いを認め合っていたのも男にとっては堪らない魅力。たった4人で敵に向かって行くロングウォークは西部劇の決闘シーンを想い起こさせる。

 ハイライトは中盤の<鉄道の爆破シーン>と終盤の<大銃撃戦>がある。CGのないこの時代にこれだけの大仕掛けのシーンはペキンパーのチームだからこそできたと言える。鉄道の爆破シーンでは犠牲者が出たし、群衆シーンの銃撃戦は11日間ぶっ通しの撮影を敢行したという。6台のマルチカメラでのスローモーション撮影は暴力描写にある種の高揚感を覚え、新境地を開いた。
 
 音楽はメキシカン民謡を取り入れ、死の瞬間を官能的に捉える役割を果たしている。

 もっとも大変だったのは編集作業で約1年掛けて完成させている。編集のルイス・ロンバートはラッシュ時5時間あったフィルムを3時間45分に修正し、さらに2時間25分、そして2時間13分に編集完成させ上映に漕ぎ付けたという。

 この年、オスカー脚本・音楽賞にノミネートされたが受賞はならなかった。それ程のプロ集団による作品も失敗作と言われ、ニューズ・ウィーク誌では「辺境での何百人もの意味のない殺しは、何の教えも導かない。ただ辺境で何百人もが、殺されただけだ。」と酷評を受けている。しかしトキとともに名画座での再上映、ビデオ化、レンタルと評判を呼び、今では<アウトローたちへの鎮魂作>として再評価されている。

 同じ年オスカー作品・監督・脚色賞を獲得したのが「真夜中のカウボーイ」で、脚本・撮影賞獲得が「明日に向かって撃て!」だったのも興味深い。いわゆる<アメリカン・ニューシネマの時代>を象徴する作品のひとつであることは間違いない。
 


 

「シャイアン」(64・米) 70点

2013-08-06 08:03:25 | 外国映画 1960~79

 ・ J・フォード晩年の西部劇超大作。

   
 実際に起きた「北部シャイアンの脱出」を題材にした西部劇の巨匠ジョン・フォード晩年の70mm160分の超大作。原作はマリ・サンドスでジェームズ・R・ウェッブが脚色している。

 1878年、政府によってシャイアン族はオクラホマ準州居留地に押し込められていた。しかし政府が約束した物資は届かず、飢えと病で多くの仲間を失った彼らはワイオミングのイエロー・ストーンへ戻ることを決意する。
 合衆国警備隊のアーチャー大尉とクェーカー教徒で子供達に読み書きを教えていた教師デボラを通して白人によって滅ぼされようとする少数派民族の悲哀を描いている。

 J・フォードと言えばその象徴である風景はモニュメント・バレー。これは西部劇であることを観客に伝える儀式のようなもの。ウィリアム・クローシアの映像は美しく風景絵画のよう。
 主人公のアーチャー大尉はシャイアン族を追う任務を負い、その悲劇の目撃者でもある。扮したのはリチャード・ウィドマーク。ジョン・ウェインのような力強さがないが、好きな女性のためには命懸けのことも厭わない一途さがぴったり。
 ヒロイン・デボラにはキャロル・ベイカー。「白人の言葉はウソの言葉だ」と子供達に英語を教えることを阻止しようとするリーダーに立ち向かって行く。最初は可哀そうな人たちへ憐みをもって接するがともに行動するうち、その誇り高き文化を理解して行く物語の中核部分を担っている。

 黒澤明作品でもそうだが、晩年の本作は<面白い傑作か?>と問われると首をかしげざるを得ない。随所に流石J・フォードと思わせるカットが出てきてファンにとっては文句なしに拍手喝采を送りたいが、冗長さは否めず観客に訴えてくることが理屈っぽい。

 中盤に緩衝材としてダッジ・シティでのワイアット・アープとドク・ホリデイの市民軍結成シークエンスが挿入されている。敢えて愚劣さと寂寥感を滲ませながらコミカルに描いているのも、長年マイノリティを悪者扱いしてきたフォードが贖罪のために作った映画と言われる所以である。アープ役のジェームズ・スチュアートとホリデイ役のアーサー・ケネディもそれを理解・納得の出演だったことだろう。

 シャイアン族以外にも白人のなかのマイノリティも登場している。ポーランド人のウィチャウスキー軍曹はコザックとポーランド人の関係で類似性を訴えているし、アイルランド軍医も、シャイアン族を虐殺するカール・マイデン扮するウェッセル大尉もドイツ人でこの国では少数民族。史実としては関わりがないドイツ人の内務長官カール・シュルツが登場するのもフォード監督の想い入れに相応しく、リンカーンの側近として<合衆国の基本的人権の確立>に努めた実在の人物である。

 アメリカの正義と理想を西部劇で訴えてきたJ・フォード。力を込めたエンディングであるが、<誰が真実を語るのか>というシャイアンのリトル・ウルフの言葉に、この映画で応えたとしか思えない。