晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「無頼の群」(58・米)70点

2021-09-30 12:00:36 | 外国映画 1946~59


 ・ H・キング監督G・ペック主演コンビによる5度目の作品は追跡型西部劇。


 「頭上の敵機」(49)、「拳銃王」(50)などグレゴリー・ペック作品を手掛けてきたヘンリー・キング監督が5度目のコンビを組んだシネマスコープ・カラーの追跡型西部劇。フランク・オルーク原作「The Bravades」をフィリップ・ヨーダンが脚色。メキシコの壮大な景色を撮影したレオン・シャムロイ、音楽はアルフレッドの弟・ライオネル・ニューマンが担当している。

 アメリカ南西部リオ・アリバ村で銀行強盗を働いた四人の死刑執行になる前日、処刑を見届けにやってきたひとりの男。100マイルも離れたウィンスロップからきたのは、半年前妻を四人組の暴漢に殺されたためだった。
 
 絞首刑されるハズの4人が脱走することで追跡劇が始まり、復讐の鬼と化した彼は男たちをひとりづつ殺して行く。
 四人組に扮したのは「ベン・ハー」(59)で敵役として名を売ったスティーヴン・ボイドを始め、アルバート・サラミ、リー・ヴァン・クリーフ、ヘンリー・シルヴァの個性的な面々。

 妻を殺されたジム・ダグラスを演じたG・ペックは終始思い詰めた表情を崩さず、5年ぶりに再会したかつての恋人ジョセファ(ジョーン・コリンズ)との会話も素っ気ない。
 同年公開の「大いなる西部」や「アラバマ物語」(62)のフィンチ弁護士に代表される理性溢れる正義の人のイメージが強い彼にとって、勧善懲悪の漢はチョッピリ不似合いな感があった。ダンディなガンマン風スタイルもおよそ牧場主には見えない。
 
 伏線は幾つかあったが、4人目ルーファン(H・シルヴァ)を追って国境を単身渡ったメキシコで真相が明らかになる。終盤では、怨恨のための殺人に思い悩むヒーローらしくない心の葛藤が描かれ思わぬ終盤を迎える。

 ヨーダンのシナリオは破綻も随所に見られるが、私怨による殺人者と町のために尽くしたヒーローという両面を持たされ悩みを抱えた人間を描くことで、勧善懲悪型西部劇とは違う持ち味を強調した作りになっている。
 のちにこのパターンはS・マックイーン主演の「ネバダ・スミス」(66)でも踏襲された。

 当時王道の西部劇にはあり得ない意外な結末を迎える本作は、その後C・イーストウッドに引き継がれ、後には定番となっていくが、50年代では異色の存在だ。

「勝手にしやがれ」(59・仏) 80点

2021-09-16 12:03:46 | 外国映画 1946~59
 

 ・ 高校時代、初めて映画館で観たフランス映画。

 仏・ヌーベルバーグの旗頭、フランソワ・トリュフォー原案、ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本による映画史の分岐点となるといわれる記念碑的な作品。日本での公開時、高校2年だった筆者にとって初めて自分の意思で観たフランス映画として記憶に残っている。当日、東京・池袋の映画館は満員で立ち見だったのも懐かしい想い出。

 ボギーに憧れるミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)はマルセイユで車を盗み、追ってきた警官を射殺する。パリへ着いてアメリカの留学生で新聞の売り子・パトリシア(ジーン・セバーグ)と会う。ミシェルが警察から追われていることを知り逃避行を始めるが・・・。

 主人公の2人が今までとはまるっきり違うキャラクターに驚かされ、あれよあれよと言う間にFinマークが出たのを今でも覚えている。16歳で観た2人は、大人でスタイリッシュ。何といってもJ・セバーグのショートカット(セシル・カット)とTシャツ・パンツスタイルがキュートで、すっかり魅了されてしまった。周りの女の子とはまるっきり違う人形のような存在。前年「悲しみよこんにちは」でデビューを飾ってセシル役だったのを後で知った。奇しくもパリの大通りの車中で亡くなったのが41歳だったという。
 今月88歳で亡くなったフランス映画界のレジェンド・ベルモンドもアラン・ドロンとは両極の奇妙なサル顔で、冴えないチンピラなのにボギー・スタイルとサングラスがカッコイイ。ミシェルの刹那的な生き方は時代を反映していたのだろうが、従順な?高校生である筆者には、非現実的な若者像としてしか映らなかった。

 50年代中頃アンドレ・バルサンが主宰する映画研究誌「カイエ・デュ・シネマ」から出たヌーベル・バーグ。従来の映画の概念を180度覆して、驚きと困惑の作品群を次から次へと繰り出している。その共通点は・ロケが中心で同時録音 ・即興演出 ・大スター主義の否定 など。

 とくに本作の最大の特徴は独特の編集。説明を排除するような編集はジャンピング・カットと呼ばれたそうだが、2時間余りのフィルムを90分に縮小するための苦肉の策とも言われている。それによって省略された分は、観客が想像する以外ないので解釈の多様性が生まれるという効果があった。究極のアマチュアによるヘタウマと共通する編集がオシャレ度を増して見えたのかもしれない。

 憧れのパリの街をゲリラ撮影した斬新な映像は、ベトナム報道カメラマン出身のラウル・クタールによるものだが、ライティングなしの高感度カメラのリアルさは感動もの。もうひとつ憧れていた車が沢山見られたのも興味深く、全編に流れるマルシャル・ソレルのモダンジャズ、映画史に残る名ラストシーンとともに16歳の少年時代に戻れる想い出深い作品である。
 
 

「クリムゾンタイド」(95・米)70点

2021-09-13 12:01:20 | (米国) 1980~99 

 ・D・ワシントン、G・ハックマンの適役演技対決を楽しむ。

 ディズニー大人版製作会社(ハリウッド・ピクチャーズ)による原子力潜水艦で繰り広げられる男たちのドラマを描いたポリティカル・サスペンス。
 リチャード・P・ヘンリック原案、マイケル・シファー原案・脚色を「トップガン」(86)、「トゥルーロマンス」(93)のトニー・スコット監督で映画化。デンゼル・ワシントン、ジーン・ハックマンの2大オスカー俳優競演である。

 ロシアでクーデターが発生し、ウラジオストックの海軍基地が制圧されてしまう。アメリカはフランク・ラムジー艦長(G・ハックマン)率いる米軍原子力潜水艦アラバマを、核ミサイル発射に備え出航させる。
 冷たい雨の降る夜、経験豊富な叩き上げのラムジー艦長は部下たちを大いに鼓舞する。副長はハーバード大卒のエリート、ロン・ハンター(d・ワシントン)。この対照的な二人が有事のときどのような対応を取るか?潜水艦という狭い密室で繰り広げられて行く。

 お互い自分の持ち合わせていない長所を認め合いながら<戦争とは、他の手段を持ってする政治の継続である>というラムジーと<戦争は、政治目的の手段だが戦争が目的になり得る>というハンターでは軍人としての在り方には違いがあった。
 
 ハンスジマーの重厚かつダイナミックな旋律、ダリウス・ウォルスキー撮影の華麗でスピード感溢れる映像とともに、潜水艦映画ならではの緊迫感あるストーリー展開は火災時の演習から始まり、ミサイル発射の是非で頂点に達する。

 無線機の破損により通信の途絶えた指令を巡ってミサイル発射を命令するラムジーと、無線機を修理して最終指令を確認すべきというハンターで意見が対立。お互いを反乱罪で役職を解任するなかで刻々とタイムリミットが迫って行く。
 
 組織人としてリーダーはどう在るべきか?その部下たちはどう動くべきか?まるで企業の教育訓練の場のような展開で身につまされる。

 本作はキューバミサイル危機のソ連潜水艦副長ヴァシリー・アルヒーポフのエピソードをモチーフにしたフィクションで、あくまで核戦争の危機を訴える社会派ドラマではない。
 現在、核ミサイルの発射権限は大統領のみである。しかし一歩間違えればこのような事態は起こらないとも限らない。ましてラムジーはヒロシマ・ナガサキの原爆投下は正しいといいハンターは容認すると言っているのだから。

 赤いキャップとシガーを愛用し、小型の猟犬ジャックラッセルテリアを艦内に持ち込む頑固で負けず嫌いのラムジーはどこか前大統領を彷彿させ、妻子を愛する黒人エリートでリベラルなハンターは元大統領を連想させる。
 演じた二人はともにはまり役で他にキャスティングは思い浮かばないほど。

 部下を演じた先任伍長ジョージ・ズンザ、補給担当艇長ジェームズ・ガンドルフィーニの個性派ベテラン俳優や兵器システム将校ウェップスを演じた若き日のヴィゴ・モーテンセンなど、自らの仕事に誇りを持つ男たちが見えない敵との戦いの緊迫感を盛り上げていた。

 「眼下の敵」(57)、「U-ボート」(82)、「レッドオクトーバーを追え!」(90)など<潜水艦ものに外れなし>という映画界のキャッチフレーズに納得の娯楽大作であろう。



 
 
 

 
 


「地獄への逆襲」(40・米)70点

2021-09-08 13:15:10 | 外国映画 1945以前 


 ・ ノワールの巨匠 フリッツ・ヤング初の西部劇。


 ’40~50年代フィルム・ノワールで名高いフリッツ・ヤングが、ザナックのプロデュースによる初のカラー西部劇を監督した作品。
 ヘンリー・キング監督・タイロン・パワー主演「地獄への道」(39)の続編で、ジェシー・ジェイムズの兄フランクを演じたヘンリー・フォンダが主演して「暗黒街の弾痕」(37)以来のコンビ復活となった。
 ものものしい邦題がついているが原題は「THE RETURN OF FRANK JAMES」。前作「Jasse James」が「地獄への道」だったため、ビリー・ザ・キッドと並ぶ西部のアウトローも当時の日本ではあまり馴染みが無かったのが分かる。

 ジェシーが弟分のボブに射殺される前作のラストシーンで始まる本作。農夫となって静かに暮らす元罪人のフランクがボブを追って再び銃を取る。

 フランクを演じたH・フォンダは物静かで冷静沈着な人格者に見える。南北戦争のゲリラ隊を経験し、敗北後ミズーリの銀行強盗を手始めにケンターキー、アイオワ、ミネソタを渡り歩き、ジェームズやヤンガー兄弟などと銀行や列車を襲ったギャング団の一員だが、正義感と誠実さが滲み出ている人物像として描かれている。
 弟が35歳で悲劇的な最期を遂げ英雄視されたため地味な存在となっているが、半年後自首しミズーリ州裁判で無罪となって72歳まで静かな暮らしを過ごし自宅で死亡したという対照的な後半生。中年になって持ち味を発揮してきたフォンダらしい役柄となった。

 ドラマは弟の死後半年間を描いていて派手な銃撃戦や少ないものの、ヤング監督は馬の疾走シーンや崖からの転落シーンなどダイナミックで見応え十分な演出で切れ味を魅せている。
 得意の豪華なセット、壁面に映るシルエットやユーモラスな裁判シーンなど雇われ仕事ながらその片鱗は窺える。

 前作同様ボブ(ジョン・キャラダイン)、新聞社主ルーファス・コップ(ヘンリー・ハル)、黒人使用人ピンキー(アーネスト・ホイットマン)、鉄道会社マッコイ(ドラルド・ミーク)、探偵ラニアン(J・エドワード・ブログバーグ)が絡みながらドラマは進行する。
 なかでもコップが元南軍の少佐だった経歴を活かし裁判でフランクの弁護役として大活躍するシークエンスは、事件が南北戦争の後遺症であることを示し、ドラマに厚みを持たせている。
 新たに加わったのがデンバー・スター社主の美しい令嬢エレノア・ストーンで、19歳のジーン・ティアニーが新米記者役で花を添える。この時代、メディア情報で英雄にも罪悪人にもなる危うさが描写されているのも興味深い。
 さらにフランクを慕う一途な少年クレムにはジャッキー・クーパーが扮して、ドラマのキイ的役割を果たしている。

 ヤンガー=ジェームズ兄弟強盗団として西部を脅かしたアウトローたちはやがて終焉を迎え、その生涯をドラマ化した映画や演劇などは続々と登場するがフランクが主役の作品は極めて少ない。
 本作は史実に拘らず、<極悪人でも英雄でもないフランク・ジェームズを描いた貴重な作品>でもある。

 

「アンダーグラウンド」(95・仏/独/ハンガリー/ユーゴスラビア/ブルガリア)85点

2021-09-03 12:02:16 | (欧州・アジア他)1980~99 


 ・ 激動のユーゴ50年を切り取ったブラック・ファンタジー


 セルビア生まれのエミール・クストリッツア監督が「パパは出張中」(85)に続いて二度目のカンヌ・パルムドール賞を獲得したコメディ・ドラマ。20世紀ユーゴの50年に亘る混乱を描いている。
 キャッチコピーに<20世紀最高の映画 歴史に翻弄された人々の痛々しさ>とあるが本当だろうか?

 物語りは三部構成で

 第1章は1941年4月 ベオグラードにナチスドイツ軍が侵攻。パルチザンとして活躍するマルコとクロによる女優ナタリアを巡る愛の物語と、戦乱をエネルギッシュに生き抜く人々の奮闘記。

 第2章は’43年~ユーゴスラビア社会主義共和国におけるチトー大統領時代。大統領側近として出世するマルコとナチス将校の愛人だったナタリアが結婚。負傷したクロはマルコの策略で終戦も知らず地下室で仲間たちと暮らす20年。やがてクロと息子のヨヴァンそして動物園の飼育係だったマルコの弟イヴァンと猿のソニが地下を抜け出す。

 第3章はチトー大統領が死去して民族紛争が続くなか、’90年初頭国連軍が介入。武器商人として暗躍するマルコは妻ナタリアとともに国際指名手配されるはめに。クロは内戦軍の指揮官となって行方不明の息子ヨヴァンを探し続け、イヴァンは内戦の中に放り込まれてしまう・・・。

 本作の完成時は旧ユーゴスラビアが7つの国と地域の分裂状態にあり、民族同士が複雑に絡み合うボスニア紛争のころ。国際社会の思惑も重なって解決の糸口が見えない状態だった。
 
 シュールでエネルギッシュ、フェリーニを想わせるコッテリ感のある作風の監督クリストリッツアは持ちうる才能を十二分に発揮。
 40歳の天才監督を支えたのはジプシー音楽にすさまじい民族エネルギーを感じさせたゴラン・グレコヴィッチ、踊り狂う人々をときには激しくときには優しく捉えたカメラのヴィルコ・フィラチ、喧噪と混乱を絶妙に表現した美術のミリアン・クレノス・クリアコヴィッチなどのスタッフたち。
 さらに義賊から政府要人、武器商人と変遷しながら人を欺くことで生き抜いてきたマルコを演じたミキ・マロイノヴィッチ。同胞クロへの想いは持ち続けていた。粗暴だが家族想いで人を信じやすい一途なクロに扮したラザル・リトフスキー。車椅子の弟を庇いながら本能によって生きてきたナタリアのミリャナ・ブレゴヴィッチなど現地の名優たちである。
 
 激動の50年間を人々が持つ強烈な民族のエネルギーで生き抜くさまを、コミカルに・そして激しく・ときには優しく描いていく。そして終盤では奇想天外なファンタジーに潜む祖国を失った悲哀と憤りがフツフツと湧き出してくる。
 苦痛と悲しみと喜びを幾重にも体験し、啀み合い欺瞞や裏切りもあった。<許す でも忘れない>というエンディングは感動を呼ぶ。

 <セルビア人擁護><民族独立否定>との批判の嵐があって40歳の若さで一度は筆を折ったクストリッツア監督(その後復活)。170分の長編だったが長さを忘れて見入ってしまった。5時間14分の完全版も観てみたい。20世紀最高の映画かどうかはそれからにしたい。
 

 

 

 

「栄光のルマン」(71・米) 75点

2021-09-02 13:28:13 | 外国映画 1960~79


 ・ S・マックイーンが最も愛した作品。


 プロトタイプのカーレースで最高峰とも呼ばれる「ルマン24時間耐久レース」を舞台にレースの興奮そのものが題材となったセミ・ドキュメンタリー映画。
 スティーブ・マックイーンが自身のプロダクションで全精力を降り注いだだけあって、その躍動感を見事に映像化している。
 ルマンの映画で思い出すのは「男と女」だが、本作のタッチは「白い恋人たち」を連想させる。

 ポルシェのエース・ドライバー、マイク・テラニーに扮したS・マックイーンは、主人公に乗り移ったような誇りと孤独感を魅せとても演技とは思えない。
 レース仲間だった故ピエトロ・ベルジェッティのモニク(エルガ・アンデルセン)との交流や、ベテランのヨハン・リッターの最後のレースという伏線はあるが、サルテ地方の一大イベントの臨場感をふんだんに映像化して観客をレース会場にいるかのような雰囲気にさせてくれる。

 最大の見せ場はレースそのもので、70年の38回大会に撮影カメラを載せたポルシェ908は大会に参加。カーNO.29は完走ならなかったが9位だったというから驚きだ。
 レースファン以外にはその映像の迫力がどのように伝わるか疑問のムキもあるかと思うが、コースオフしたフェラーリNO.7の炎上やポルシェNO.20のクラッシュ・シーンには驚いたことだろう。

 逸話も多く、マックイーンの恩師ジョン・スタージェスの途中降板は有名。当然人間ドラマを描くつもりのスタージェスと、レースの魅力を如何に描くかに拘ったマックイーンの衝突は当然の帰結となった。
 私生活でも最初の妻ニール・アダムスとの離婚理由となった曰く付きの作品でもある。

 本国アメリカでは不入りでスタージェスの「800万ドル賭けたマックイーンの途方も無いジョークかホーム・ムービー」を実証するものとなった。
 しかしヨーロッパや日本では大ヒット。ミシェル・ルグランのテーマ音楽とともにラストシーンは映画史に残るとも言われた。マックイーンが最も愛してやまない106分に悔いはないはずだ。