晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「プロミスト・ランド」(12・米) 80点

2014-08-30 13:40:04 | (米国) 2010~15
 
 ・ 派手さはないが、良質な人間ドラマ。

                   

 ロビン・ウィリアムスの訃報を知って、「グッド・ウィル・ハンティング/旅路」(98)を改めて観直したファンも多いことだろう。その主演・共同脚本のマット・デイモンが、ガス・ヴァンサントに監督を依頼してプロデュースした本作。ベン・アフレックに替わってジョン・クランスキーが加わり製作・脚本、共演している。

 本国では一昨年公開されたが日本公開はお蔵入りかと思っていた。このほど漸く陽の目を見たのは嬉しい。鑑賞したのは封切り直後のレディス・デーだったため初回は完売で、2回目の午後からだったが中高年の女性を中心に満席だった。

 地味ながらエネルギー問題を背景にした良質なヒューマン・ドラマで、久しぶりハリウッドの良心を観た想い。

 ペンシルバニア州(架空の)田舎町・マッキンリーは、良質なシェール・ガスが埋蔵されている。本業の農業は不振で頼る産業もない。大手エネルギー会社「グローバル」は採掘権を相場より安く買い占めるべく、スティーヴ・バトラーを派遣する。

 アイオワ州農家出身の彼は、貧しい人々を救えるという信念を持ちこの仕事に挑もうとしていた。成功すれば出世も果せる幹部候補生としての自負もあり、ベテランの相棒スー・トマソンとともに取り掛かる。

 マニュアルどおり町に馴染むため地元の雑貨店で作業服に着替え、地権者に契約を勧めつつ町議会議長を3万ドルで買収、全ては順調に進み始める。

 シェール・ガスは石油・原子力のエネルギー代替え物質として今脚光を浴びているが、反面水質汚染・温暖化など環境問題や、地震発生の可能性など、懸念事項が囁かれてもいる。

 住民説明会で異論を唱えたのは、フランク・イエーツという科学の教師。元ボーイング社の研究員だった彼は理論家で、化学物質の地下汚染を指摘し3週間後の住民投票を提案した。

 環境問題をテーマにした作品はそのコンセプトが明快なものが殆どだが、本作はその問題に関わった人物ならどのような言動をすべきか?を観客ひとりひとりに委ねている。悩める主人公・スチーヴや地元住民達は、観客自身の問題でもあるのだ。

 スチーヴはたとえ住民投票となっても環境活動家の反対運動があっても、自分の信念を揺るがすような出来事がなければ、グローバル社のエリート社員を目指し邁進したことだろう。

 ガス・ヴァンサント監督は手堅い演出で、スウェーデン出身のリヌス・サンドグレンの映像は一見平和な緑の大地を美しい自然光で捉え、そこで暮らす人々の苦悩や喜びを包み込んでいる。

 主人公のM・デイモンはまさに適役で、芸域は広いがアクションなしのこうゆう役柄(イワユルいい人)がお似合いだ。オスカー女優フランシス・マクドーマンドが演じた相棒のスーが、会社に忠実で家庭を大切にする大人の人物描写だけに、さらに若い主人公の純粋さが際立って見える。

 地元住民の良識者イエーツ役のハル・ホルブルック、共同脚本で製作にも加わっている環境活動家役のジョン・クランスキーが重要な役柄で絡むのも程好いバランス。ほかに地元の雑貨店主役に扮したタイタス・ウェリバーが、それとなくスチーヴとスーに好意を持って協力するところも味わい深い。

 ヒロイン・アリスを演じたのが、ローズマリー・デヴィッド。生まれ育った土地を引き継いだ独身女性の小学校教師は、スチーヴにとって最後まで気になる存在。

 さまざまなヒトの人生を映しながら進むこのドラマの結末は、玉虫色で多少インパクトに欠けるきらいがある。それでも観終わって不満が残るような作品ではなく、何故か爽やかな気分にさせてくれた。そして改めてエネルギー問題を考えるキッカケにもなった。

 

 

 
 

「スタンピード」(65・米) 70点

2014-08-24 12:14:12 | 外国映画 1960~79

 ・ 家族みんなで楽しめる西部劇。

                    
 アンドリュー・V・マクラグレン監督、ジェームズ・スチュアート、モーリン・オハラ共演による、牛を巡ってセントルイスからテキサスへの旅を描いた西部劇。

 原題は、ずばり「レア・ブリード」で、英国から持ち込まれた角のないハーフォード牛を米国で広めようとした母娘と輸送を担ったカウ・ボーイの物語。雌牛は安く買い叩かれ、テキサスの牧場主から牡牛1頭だけが高値の2000ドルで買われる。無事テキサスへ到着し種牛として子孫を残すことができるか?が粗筋だ。

 この牛は娘ヒラリーからビディという名を付けられ、まるでペットのように可愛がられている。つぶらな瞳でフワフワなアフロヘアがとても愛くるしい。

 現在ならおそらくそのままの題名で公開されたと思うが、邦題は牛の集団暴走シーンを連想させる「スタンピード」。地味すぎると感じた配給会社の思惑でこのワンシーンから命名されている。

 主演のJ・スチュアート57歳、モーリン・オハラ45歳の共演は恐らく2回目で、2人を見慣れたファンにとても異色の取り合わせ。

 荒々しいセントルイスの牛売買に現れた美しい英国未亡人と晩年を迎えようとしている善良なカウボーイという役柄がぴたりとハマって、観客は悲劇が起こらないことを願いながら見守ることに。

 敵役が悪徳牧場主から雇われたジャック・イーラムとハリー・ケリーJrで、根っからの悪ではないためJ・スチュアートがガンマンでなくても恐怖感は感じさせない。酒場での派手な殴り合いがあっても撃ち合いがあってもコミカルなシーンとして観られる。

 むしろ怖いのは大自然の脅威。邦題となったロングホーン牛の暴走や馬車の疾走など、西部劇ならではのシーンが3人を襲う。因みに馬車のシーンではスタントマンが犠牲となっている。ようやく辿りついたテキサスはハーフォード牛にとって、零下30℃の過酷な冬を越すことは至難の業だ。

 2人の関係に割って入るのが買主のボウエン牧場主。顔中髭を生やした牧場主の前身は意外な人物だった。ブライアン・キースが楽しそうに演じている。

 <アメリカの正義 J・スチュート>にとって何の違和感もないこのカウボーイ役は、彼のキャリアでは埋もれがちだが<夏休み家族揃って観るにはもってこいの作品>だ。 

「海の上のピアニスト」(98・伊 米) 80点

2014-08-22 17:24:14 | (欧州・アジア他)1980~99 

 ・ 抒情的で哲学的なトルナトーレの大人向けファンタジー。

                    

 「ニュー・シネマ・パラダイス」(89)でイタリアを代表する監督となったジュゼッペ・トルナトーレ。舞台化もされているアレッサンドロ・バリッコの幻想小説を独自のアレンジで映像化した、抒情的かつ哲学的大人向けファンタジー。

 1946年豪華客船ヴァージニア号の楽団員として働いたトランペッターが語ったのは、生まれて一度も船から降りたことのない伝説のピアニストの物語だった。

 1900年に生まれた男の子はヴァージニア号の大宴会場のピアノの上で黒人機関士ダニーに発見され、通称1900として育てられた。不慮の事故でダニーが亡くなったあとも船で暮らすうち、天性の感性でピアノ弾きとしてその名を知られるようになって行く。

 実際あり得ないような男の寓話の映画化に食指が動かなかった筆者だが、トルネトーレの近作は幾つか観ていて今回漸く観る機会があった。

 イタリア語版は160分あるそうで彼の趣旨が充分伝わるのだろうが、残念ながら日本では観る機会がない。ハリウッド版の本編でも、イタリアの香りが充満して雰囲気は満喫できた。

 豪華客船による船旅は上流観光客から貧しい移民まであらゆる層の人間が、限られた時間・空間で混在する特殊社会を形成している。ここにはサマザマなドラマが誕生してもおかしくない。同じような作品に大ヒット作「タイタニック」(97)があった。SFXを駆使したパニック映画はアイルランドの画家志望の青年と上流社会の女性との純愛ドラマで、多くの人の感涙を誘っている。

 本作は背景が似ているが、SFXやパニックものとは違う世界を描いていて、感涙を誘う暇もなく人間の在り方をズバリ衝いてきて、何ともいえない感銘を受けた。やはりトルナトーレはどの作品でもシチリア人で、巨匠エンニオ・モリコーネの音楽が陰に陽に絡まって物語に深みを増している。

 筆者はいつの間にか主人公が実在の人物のように思えてしまって、ジャズの創始者と自称するモートンとのピアノ競演に力が入ったり、船内で見かけた美しい少女とのプラトニックな恋の実現を応援したりする自分がいた。ペーソス溢れるエピソードは、オペラ的雰囲気も感じる。

 主人公を演じたティム・ロスは、繊細な天才ピアニストをしなやかな指と感情こまやかな表情で演じ切り、彼の代表作となった。

 語り部でもあり、親友のマックス役のプルイット・テイラー・ヴィンスがはまり役で、「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレード役のフィリップ・ノワレなどトルナトーレはこうした脇役を起用するのがとても巧みだ。

 <いい物語があってそれを語る人がいる限り、人生捨てたもんじゃない>という言葉は彼の映画作りの原点なのかもしれない。

「幸せの行方...」(10・米) 70点

2014-08-21 17:21:36 | (米国) 2010~15

 ・ 未解決事件をもとにしたサスペンスは、犯人を断定していた。

                    

 70年代NYの不動産王ダースト家のスキャンダルをもとに、ドキュメンタリー出身アンドリュー・ジャレッキー監督の劇映画デビュー作。

 60歳のデヴィッド・マークスが裁判で供述するプロローグでドラマが始まり、不動産王の御曹司だった彼が父の反対を押し切り、中流家庭のケイティとの結婚する経緯が述べられる。

 デヴィッドを演じたのは「きみに読む物語」(04)でブレークしたライアン・ゴズリング。ケイティに扮したキルスティン・ダンストとの出会いから、愛し合って結婚し、バーモントで自然食品の店を始め慎ましく幸せな暮らしを送っているところまでは、素敵なカップルで何の破綻も見えなかった...。原題は店名の「All Good Things」。
 
 不吉な予感はデヴィッドの少年時代、母親が飛び降り自殺した現場を父親が見せたときのトラウマ。徐々に壊れて行く要因は全てここから始まっていた。

 父親にNYへ連れ戻され、ケイティの妊娠を知ってから次第に雲行きがおかしくなり、中絶を強要したりDV、愛犬の殺害とエスカレート。

 R・ゴズリングは、このあたりの壊れた演技を見事に再現して見せ、この映画での最大の見所となった。

 事件はケイティの失踪18年後に起きたデヴィッドの友人デボラ・ラーマンの殺害事件に移る。ケイティ失踪をモチーフにした小説を書いたデボラを殺したのは、テキサスに住むマルヴァーン・バンプという中年男。

 この男は、女装してテキサスに身を隠していたデヴィッドのアパートの隣人で、デヴィッドが殺害させたとしか思えない。そのマルヴァーンと揉めたデヴィッドは銃で殺害し死体をバラバラにして湖に死体を遺棄している。

 死体遺棄のシーンがこの経緯が分かる前に出てくるため、観客はケイティが殺害されたと思い込むことに。

 マルヴァーン殺害容疑は、銃の暴発で正当防衛とみなされ死体遺棄のみ適用というから<法の裁きの矛盾>をあからさまに表現していて、やりきれない気持ちにさせられる。

 冒頭の裁判でのシーンは、ケイティ失踪についての供述でデヴィッドの心情を呟いているが、どう考えてもデヴィッドが殺害し父親が始末したようにしか見えない。

 本編では仮名ながらNYの不動産王・ダースト家で起きたスキャンダラスな事件を推理して犯人を断定しているかのような作り。日本ではそれ程有名だった事件ではないので、フィクション・ドラマとして親子・夫婦のすれ違いを描いた心理サスペンスとして観た方が納まりが良い。

 魅力的な若手共演のラブ・サスペンスという謳い文句で日本公開されたのが2年後だったのも分かるような気もする。
                    

「十三人の刺客」(63・日) 80点

2014-08-18 17:49:02 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)
 ・ 時代に合わなかったが、再評価された傑作時代劇。

                    

 「七人の侍」(54)は娯楽時代劇の大傑作だが、9年後の本作もなかなかの傑作にも拘わらず、公開時は観客の支持を受けなかった。一部のマニアから火がつき、現在ではリメイクされるほどの名作として多くの人の目に触れるようになった。

 この時代は、黒澤時代劇<「用心棒」「椿三十郎」>が観客の度肝を抜いて、絢爛豪華な歌舞伎調の東映時代劇に凋落の兆しが見え始めたころ。さらに今井正監督「武士道残酷物語」、小林正樹監督「切腹」など社会派?時代劇がインテリに持て囃されていた。筆者のように少年時代から東映時代劇(チャンバラ)で育った映画ファンにとっても想い出深い時代劇のターニング・ポイントの時代だった。

 東映が命名したのは「集団抗争時代劇」。今までの大スターが銀幕を席巻するのではなく、モノクロ映像で個性溢れる俳優達が繰り広げるリアリズム追及のアクションもので、売りはクライマックスでの集団による殺陣シーン。工藤栄一監督、池上金男(池宮彰一郎)脚本によるコンビは翌年にも「大殺陣」を生む。

 弘化元年(1844)、江戸幕府十一代将軍・家斉の弟、明石藩当主・松平斉韶を権力の座から抹殺するため、筆頭老中・土井大炊頭から命を受けたのは目付直参旗本の島田新左衛門だった。

 これは、単なる権力争いとなるところだが、斉韶はトンデモナイ暴君で尾張藩・牧野釆女の妻・千世を手籠にし、釆女まで手を掛ける始末。明石藩・江戸家老間宮図書の切腹だけでは済ませる訳には行かなかったのだ。

 折りしも参勤交代で江戸を立つことになった斉韶。ここから新左衛門一派と明石藩の頭脳戦が始まり、クライマックスの木曾落合宿での30分余りの殺陣まで、13対53の抗争劇が繰り広げられて行く。

 刺客のリーダー新左衛門には御大・片岡千恵蔵が扮し、相棒・倉永佐平太には重鎮・嵐寛寿朗が出演。従来ならこの2人を中心にその他大勢が付いて行くが、本作はさらに数人が絡む。若手スターの里見浩太朗、渋い西村晃、売り出し前の山城新伍が刺客メンバーで登場。さらに出番は少ないが重要な役柄で丹波哲郎、月形龍之介が脇を固めている。

 何といっても敵役の暴君・斉韶を演じた菅貫太郎ははまり役で、その後も悪代官などで時代劇ファンには欠かせない人となった。その暴君を支える明石藩御用人・鬼頭半兵衛に扮した内田良平は本編には欠かせない準主役と言って良い。

 最初から命を捨てる覚悟の13人と御家のため必死で主君を守ろうとする53人の戦いは、見応え充分。特に最後の泰平と言われるこの時代、刀を抜いて闘ったことがない侍同士の殺陣シーンはまさに死闘で、この映像化は俳優とスタッフとの闘いでもあった。

 <早すぎた傑作>とも言われた本作を企画した玉木潤一郎は、後の評価を待たずして逝ってしまった。サイレント映画から活躍し時代劇を愛し続けた名プロデューサー・玉木が、新ジャンルを切り開いてくれた作品でもある。

  

「尼僧物語」(59・米) 80点

2014-08-17 15:07:45 | 外国映画 1946~59
 ・ 晩年のオードリーを連想させる、F・ジンネマン監督の気品漂う良作。

                     


 実在の人物をモデルに書いたキャサリン・ヒュームの原作を、「地上より永遠に」(53)のフレッド・ジンネマンが監督したオードリー・ヘップバーン主演作。オスカー主要8部門にノミネートされたが「ベンハー」に獲られ無冠に終わっている。ちなみに主演女優賞はシモーヌ・シニョレだった。

 第二次大戦前のベルギーで父と同じ医学の道を志したガブリエル。尼僧になれば目指すコンゴでの医療活動が叶うと思い、家族や婚約者とも別れ修道院入りを決意する。

 尼僧になるには5日間の研修を経て見習いとなり、1年間の訓練でシスターの命名を受け、3年間で白いベールが黒となって初めて正式に許される。

 ジンネマン監督はその間のプロセスを丁寧に描写し、観客を異空間へ誘い戒律の厳しい宗教教育のサマをドキュメンタリーのように伝えている。

 ちょうど30歳になったオードリーの尼僧姿は凛として、その端正な姿形はストイックで気高く、魅了されてしまう。もしオードリーが主人公でなければこの段階でギブ・アップしていたかも。

 映画では詳細が省かれているが、コンゴでの医療活動をするには何故修道院に入る必要があったか?ということ。あとで知ったが、当時のベルギーでは女子には医学校の門戸は開かれておらず、唯一尼僧になれば研修過程で医学を学べるとの理由からだった。

 尼僧になって何よりも神への奉仕を大事にするためには自尊心を持たず、自己犠牲を伴い、謙虚さを失わない心が必要となる。何事も素直に受け入れ葛藤と闘いながら過ごした数年間。

 紆余曲折のあとガブリエルことシスター・ルークは念願のコンゴ行きを実現する。当時ベルギー領だったコンゴでは貧しい植民地で飢えや病気で苦しむ人々が多く、少しでも役立ちたいという信念で果した現地での様子は晩年のオードリーの想いと重複してくる。

 無神論者で独身の医師バンデルマルとの出会いは、彼女にとって最大の出来事。独身なので深入りしないようにとマザー・マチルダから忠告を受け身を固くするが、邪心より外科医としての腕と人間観察に優れた江漢であった。演じたのはピーター・フィンチで後のオスカー受賞作「ネットワーク」(71)に匹敵する彼の代表作となった。

 <世間の人間や患者にとって理想的だが、修道院が期待しているような尼僧にはなれない>とルークの本質を見抜いている。働き過ぎで結核になった彼女をベルギーに帰さず療養治療させた優しさもあって、少し惹かれ合う雰囲気も感じさせる。シスター・ルークがベルギーへ帰国する際、皆と少し離れてさり気なく船を見送るバンデマルの姿がとても切ない。

 この作品を支えたのはフランツ・ワックスマンの音楽とフランツ・プラナーの撮影であることはいうもでもない。映像と音楽で物語を紡ぐことでは超一流の2人が見事な調和を魅せている。

 そしてコンゴでのエキストラが臨場感をさらに高めてくれている。撮影の翌年コンゴは独立紛争があってコンゴ独立共和国となるが、撮影協力者は殆どが亡くなってしまったという。改めてこの国のもつ深刻さを感じざるを得ない。

 信念を貫き通したシスター・ルークの葛藤は、余韻溢れるラストシーンで幕を閉じる。後のオードリー自身の人生に大きな影響を与えた、ナチス・ドイツのレジスタンス活動で親族を失った幼年期の体験と、晩年のユニセフにおける活動にオーバーラップするエンディングである。

 

 

「ボディガード」(92・米) 60点

2014-08-15 12:10:57 | (米国) 1980~99 
 

 ・亡きH・ヒューストンと人気絶頂だったK・コスナーの共演で主題歌が大ヒット。

 「白いドレスの女」(81)のローレンス・ダンダンがスティーヴ・マックイーンをイメージして書き下ろし、76年ダイアナ・ロスとの共演で企画されたが没となってしまった。

 3年後ライアン・オニールでの再現企画も断念し、諦めきれないカスダンは12年後ケヴィン・コスナーを製作に加え、3度目の正直で実現させた。監督はミック・ジャクソン。

 コスナーの意向でホイットニー・ヒューストン起用に漕ぎ付けたが、映画初出演の彼女が決まるまで難航したとのこと。
 当時人気絶頂のK・コスナーがマックイーンばりのヘアスタイルで演じたラブ・ストーリーは、主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」が大ヒット。

 丸の内ルーブル閉館記念で再上映されたとき、ストーリーは違うが「プリティ・ウーマン」(90)とオーバーラップし、バブルが冷めやらぬ時期ならではの作品だったとの印象が蘇った。

 ショービジネスのスーパースターとそのボディ・ガードとの恋物語はファンにとって最高の気分に浸れるだろうが、ラブ・サスペンスを期待していた筆者には物足りなさが残った。

 主人公の仕事に対する冷徹さはあっても、ガードする相手と恋に堕ちるのはプロフェッショナル失格で恋の行方も意外性がなく想定内。S・マックイーン主演ならどうなっていただろう?

 H・ヒューストンは役柄が本人のイメージに近いせいか、映画初出演とは思えない自然な演技。その後「ため息つかせて」(95)、「天使の贈り物」(95)と出演作があったが、12年に48歳の若さで逝った彼女にとって本作が最も印象に残る作品だ。

 終盤アカデミー賞授賞式が最大の見せ場となる本作。最優秀主題歌賞にノミネートされているが「美女と野獣」が受賞している。ちなみにゴールデン・ラズベリー賞にも多数ノミネートされているが、これは受賞せず良かったといえるだろう。

 劇中2人がデートで、三船敏郎主演の「用心棒」(61)を観るシーンが出てくる。62回も観たという台詞で主人公の心情を訴えたかったのだろうが、理解できたヒトはそれ程多くなさそう。

 「フィールド・オブ・ドリームス」(89)、「ダンス・ウィズ・ウルブス」(90)、「JFK」(91)とヒット作に出演したK・コスナー。本作もヒットしたがこれを機に下り坂に差し掛かってきた兆しが窺える。その後「ティン・カップ」(96)以外めぼしい作品が無くなってしまったのは残念!

 
 

「レインメイカー」(97・米) 80点

2014-08-10 17:46:56 | (米国) 1980~99 

 ・ コッポラらしさが窺えないが、オーソドックスな法廷ドラマ。

                    

 ジョン・グリシャム原作「原告側弁護人」を、フランシス・F・コッポラが脚色・監督した医療訴訟法廷ドラマ。若き弁護士・ルディをマット・デイモンが好演している。

 ロースクールを卒業した弁護士志望のルディ。雇い主が見つからず何かと噂のあるブルーザー弁護事務所に拾われる。原題の「レインメーカー」とは、<雨が降るように金を稼ぐ弁護士>の比喩。顧客は自分で探し金をドンドン稼げというボスの方針で、相棒のディックとともに病院での顧客探しが始まる。

 まだ弁護士見習いのレインにとって、とてつもないハナシが舞い込んでくる。それは白血病患者への保険金支払いを認めない大手保険会社グレート・ベネフィット社と法廷で争うこと。

 理想に燃えるルディは単身で審問会に挑むが、判事は無資格であることを理由に認めない。GB社の顧問弁護士ドラモンドは和解金で決着するには格好の相手と読んで、立会人を買って出てルディは弁護士として認められる。

 大会社の顧問弁護士と新米弁護士との法廷での争いは最初から勝敗が見えているにも拘わらず、若き正義感に燃える弁護士の熱意が物事を動かして行くさまが丁寧に描かれている。原作者が弁護士出身なのでとても臨場感がある。

 米国ではオバマ大統領が国民皆保険制度を提唱しているが、議会で難航していてなかなか成立しない。現在の制度は保険会社がHMO(健康維持機構)や特定の医師・病院と契約していて、患者の医療費は加入している保険会社から医師・病院へ支払われる制度が守られている。

 従って難病などへの対応を避けたり、高額医療の治療は受けにくいシステムになり易く、米国が抱える医療事業者と富裕層を優先している実態が背景にある。薬害訴訟とは違い、システムを悪用している保険会社から如何に損害賠償を勝ち取るかという、難度の高い裁判に挑むルディ。

 弁護士資格のない相棒デックや脱税で国外逃亡しているブルーザーのキワドイ援護もあって、保険会社が儲け優先で、治療費を如何に払わないようにしているかを陪審員に印象付けようと大奮闘する。

 サブストーリーとして、夫のDVに耐えるケリー(クレア・デインズ)を救うために事件に巻き込まれ、同情から愛情へ移って行く経緯が随所で描かれる。単純化を避けるためこのラブストーリーが必要なのは分かるが、大事件後中抜きがあって終盤で落ち着くところへ落ち着くのは、却って中途半端な印象が残ってしまった。

 主役のM・デイモンは適役でもっと話題になってもおかしくなかったが、自身が主演しオスカー脚本賞受賞の「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」に話題をさらわれてしまったのは止むを得なかったか?

 敵役の顧問弁護士役を演じたジョン・ヴォイドを始め、相棒のダニー・デヴィート、ブルーザー事務所の代表ミッキー・ローク、保険会者CEO役のロイ・シャイダーなど個性溢れる共演者に囲まれた青年弁護士の成長物語。

 シドニー・ポラック監督、トム・クルーズ主演の「ザ・ファーム/法律事務所」(93)を凌ぐ良作で、コッポラらしくない?オーソドックスな作品だった。

 
 

 

「センチメンタル・アドベンチャー」(82・米) 80点

2014-08-03 16:27:56 | (米国) 1980~99 

 ・ ダーティ・ハリーより、こんな役を演じたかったC・イーストウッド。

                    

 かねてより「カントリー・ミュージックと西部劇はアメリカ固有の優れた文化」と言っていたクリント・イーストウッド。60年代<マカロニ・ウェスタン>で売り出し、70年代<ダーティ・ハリー>シリーズで不動の位置を築いた彼が、80年代に入って監督・主演した作品。

 大恐慌時代の南西部、安酒場でギターを手に歌いながら渡り歩く中年カントリー歌手レッド・ストヴォールの物語。原題は「ホンキー・トークマン」でズバリそんな男のこと。近作「グラン・トリノ」(08)に相通じる西部魂を持つ男の風情が全体に滲み出ている。

 結核でもう長くはないと知りながら、カントリー・ウェスタンのメッカ、ナッシュビルでのグランド・オール・オプリのオーディションに呼ばれ、最後のひと花を咲かせようと旅に出る。

 同行したのはオクラホマで綿摘み農家をしている姉夫婦の息子ホイットとその祖父の2人。姉夫婦はストームで農場が壊滅状態となり新天地のカリフォルニアへ。夫の父は故郷のテネシーで死にたいとレッドと同行し、その監視役として孫のホイットが付くことになった。

 奇妙な危なっかしいオンボロ車での3人旅は前途多難で、金に困って詐欺師に関わったり鶏泥棒で刑務所に入れられたり、歌手志望の田舎娘に付きまとわれたりしながらの旅。

 ここでホイット少年の成長ぶりが描かれて観客を飽きさせない。演じたのが実の息子カイル・イーストウッドで、「アウトロー」(76)に幼児時代出たことがあるが、台詞のある重要な役は初めて。親の血はしっかり受け継いでいて自然な演技は流石で、今やミュージシャンとして一流となっている。もしこのまま俳優を続けていたら成功したに違いない。

 C・イーストウッドは立派な胸板で結核病みとは見えないが、大酒のみで死を自覚しながら自分らしく生きようとする西部堅気の男レッドは本人に近い人生観の持ち主。あまりにも地味な作風なので、ロードショー公開はあっという間に終了してしまい21世紀に入ってから再評価された。

 中盤でブルース・シンガー(リンダ・ホプキンス)のピアノ演奏、クライマックスでギターの弾き語りが観られる。歌は巧いとは云えないが、その心に沁み入る歌声は決して物語を壊さない。とくにバック演奏とコーラス担当のマーティ・ロビンスが歌い継ぐシーンはホロリとさせられた。

 80歳を超えても益々健在なC・イーストウッド。いまやハリウッドの宝的存在だが、次回作はあるのだろうか?