エレジー
2008年/アメリカ
通俗的になりがちなテーマを、上質ドラマにしたコイシュ監督
総合 80点
ストーリー 80点
キャスト 85点
演出 80点
ビジュアル 85点
音楽 80点
フィリップ・ロスの短編「ダイニング・アニマル」をニコラス・メイヤーが脚本化、イサベル・コイシュが監督して良質な大人の愛の物語に仕上げた。
60歳を過ぎた老大学教授デヴィット(ベン・キングスレー)は奔放な恋愛歴を重ね、肉欲だけを求める快楽主義者。密かに忍び寄る老いをヒタ隠しにしている。30歳離れた教え子コンスエラ(ペネロペ・クルス)の美しさに惹かれ自宅でのパーティで<着衣のマハ>に眼が似ていると言って気を惹く。そして親友の詩人ジョージ(デニス・ホッパー)の忠告にもかかわらず、ドンドンのめり込んで行く。
スペインの女流監督イサベル・コイシュは、原作より<大胆に、繊細に>2人の心の奥に潜む心情を丁寧に描いている。ともすれば通俗的なテーマを格調高い恋愛ドラマに仕上がっているのは、ヨーロッパ育ちである主演の2人をはじめ、吟味したキャスティングによるものだろう。5年がかりで口説いたと言うP・クルスは、実年齢よりかなり若い役柄を感じさせない美しさと品の良さが溢れていて、一途に人を愛するヒロインを切なく演じている。
B・キングスレーも、米国人俳優を強要されたのをコイシュが名指ししただけあって、自信家で奔放な恋愛遍歴を重ねた快楽主義者が本当に人を愛することで、<老いへの恐れと身勝手さに気付く>難しい役をこなし期待に応えた。2人のベッド・シーンが少しもイヤらしくないのもこの監督の手腕によるものか?
デヴィドを巡って欠かせないのは、親友ジョージや息子のケニー(ピーター・サースガード)とSEXフレンドのキャロライン(パトリシア・クラークソン)。妻の元へ帰ったジョージは最後まで自分を全うした。結婚に失敗しながら息子は気になる存在だし、15年以上ベッドを共にしたキャロラインは嫉妬や独占欲があることを気付かせられる相手である。
ピアノの旋律に乗った雨の大都会や海辺がドラマを盛り上げる。洗練されたファッションを身に纏った2人の結末の解釈は観客に委ねられるが、落ち着くところへ落ち着いて、でき過ぎの感は否めない。
レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
2008年/アメリカ=イギリス
理想の家族とは?半世紀前に現代夫婦への警鐘
総合 85点
ストーリー 85点
キャスト 85点
演出 80点
ビジュアル 85点
音楽 80点
「アメリカンビューティ」で90年代の米国社会の歪みをシニカルなユーモアで描いてオスカー監督となったサム・メンデスが、’50年代の若い夫婦が抱えた心の悩みを鋭く抉ったシリアス・ドラマ。リチャード・イエーツの短編を忠実に映画化して、家族の抱える虚しさと絶望感を見事に再現して見せた。
大ヒット作「タイタニック」のコンビ、レオナルド・デカプリオとケイス・ウィンスレット11年振りの共演が話題となる。カップルが題名につられ大人のラブ・ロマンスを想像して観ると、そのテーマの重さに後悔させられるだろう。
瀟洒なコネチカット郊外に住み、NYの大企業で働く夫・フランク(L・デカプリオ)と2人の子供と暮らす妻エイプリル(K・ウィンスレット)のウィラー夫妻は、理想の家族を手に入れたように見えた。夫は退屈な仕事を義務的にこなす伝書鳩のような日々で、少年のようなキラキラした夢は徐々に失ってしまっている。妻は女優を目指していたが地元の素人劇団でのヒロイン止まり。誰でも憧れる閑静な住宅街に住む人々は、それを手に入れると何処か空虚な生活に妥協している。
「リトルチルドレン」で似た役柄を演じたK・ウィンスレット。夢と現実のギャップに悩むカメレオンのようにコロコロ変るリアルな演技が凄い。理想郷をパリに求めたのは幻想であるにも拘らず、夫を説得して猛然と突き進むのは心の奥に潜む葛藤があるからで、それは子供で癒されるものではない。皮肉にも妊娠で挫折するが、妻にとって子供がカスガイにならないのは、このとき既に現代の夫婦像を暗示している。
オスカー女優キャシー・ベイツや隣人キャスリン・ハーンが「うわべの幸福感に浸る女性」として描かれ対照的な存在。それに対して、男は何かを犠牲にして見せ掛けの満足感に流されてしまう。刹那的な浮気で空虚さを味わうのがせいぜいで、隣人のシェップ(デヴィット・ハーバー)は片想いのエイプリルに思いを馳せる。妻子のために出世することで満足を得ようとするフランクが哀れに思え同情を禁じえない。そのフランクもアシスタントのモーリーン(ゾエ・カザン)と不倫しているが...。
夫妻の朝食がフランクの理想だったことは間違いない。ここに2人の食い違いがハッキリ見えていた。ヒロインの焦燥感を言い当てたのが皮肉にも精神を病んでいる元数学者であるのも象徴的。演じたマイケル・シャノンの達者な演技も見逃せない。
そして’50年代アメリカの風景を再現したスタッフの努力に拍手を送りたい。
チェチェンへ アレクサンドラの旅
2007年/ロシア=フランス
戦闘場面のない戦争映画で何が見えたか?
総合 85点
ストーリー 80点
キャスト 90点
演出 85点
ビジュアル 85点
音楽 80点
「太陽」で日本でもお馴染みとなったアレクサンドル・ソクーロフ監督の最新作。紛争が絶えないチェチェン共和国。首都・グロズヌイのロシア軍駐屯地とその近辺で撮影したドキュメント・タッチの人間ドラマ。報道統制の厳しい現地で撮影したので臨場感たっぷりの情景だが、本編では地名は一切知らされていない。(原題:アレクサンドラ)。
ソクーロフ監督は「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」で知り合った夫人の世界的ソプラノ歌手、ガリーナ・ビシネフスカヤを起用。彼女は画面の殆どに登場して抜群の存在感を示している。
孫のデニス(ヴァシリー・シェフツォフ)に会うために駐屯地を訪ねたアレクサンドラ(G・ビジネフスカヤ)が何を見て何を想ったかを、まるでリポーターのように歩き廻って、テントに囲まれた兵舎内や埃まみれの装甲車を描写する。旧式銃の手入れや休息する少年のような兵隊や上官との会話で彼らの日常が伝えられ、長い内紛のせいか厭戦気分が蔓延しているのが分かる。そして孫との再会で彼女の境遇と人となりが見えてくる。
足下がおぼつかない彼女の最大の出会いは駐屯地の近くにあるマーケット。そこにはカフカス(コーカサス)地方の文化の香りが残っていてマリカ(ライザ・ギチャエワ)という女性と知り合う。爆撃で傾いた自宅で休ませてもらってお茶を飲み語り合い、人種・宗教・環境を乗越えた交流が静かに流れる。
僅かな滞在で駐屯地の日常とその近辺に暮らすチェチェンの人々を捉えながら、ソクーロフは何を伝えたかったのだろう?
戦場の裏側を訴え、破壊することしか知らない<戦争の虚しさ>や<祖国とは何かを考えさせる>ことは勿論だ。
それとともに「死を身近に感じる日常で生きる人間の複雑な心情」を見逃さない客観的な眼があるのをヒシヒシと感じてしまう。逞しく凛としたアレクサンドラが、孫・デニスに「私は寂しいのよ。誰かと一緒にくらしたいの。」という台詞や、もう会えないと思っているデニスが帽子を渡すシーンが印象的。それは<老い>と<軍人である>互いが持つ死の恐怖を抱えた肉親同士の交流である。忘れられないのはアレキサンドラとの別れに取ったマリカの行動。生きるとはこういうことなのだ。
そして、私たちは愛に帰る
2007年/ドイツ=トルコ
一見退屈な?プロローグが深い意味をもつ
総合 85点
ストーリー 85点
キャスト 85点
演出 85点
ビジュアル 85点
音楽 80点
「愛より強く」でベルリン映画祭・金熊賞を受賞したファティ・アキンが監督・脚本化して、カンヌ映画祭・最優秀脚本賞を受賞した作品。ドイツとトルコで暮らす3組の親子が交錯する人生模様を描いたヒューマン・ドラマ。
3組の親子とは、ブレーメンに住むトルコ移民の父・アリ(トゥンジュル・クルティズ)と大学教授の息子・ネジャット(パーキ・タヴラク)。ブレーメンで娼婦をしながら娘に学費を送る母・イエテル(ヌルセル・キョセ)とイスタンブールで反政府運動をする娘・アイテン(ヌルギュル・イェシルチャイ)。ドイツへ不法入国したアイテンと大学構内で出会った娘・ロッテ(パトリシア・ジオクロースク)とその厳格な母・スザンヌ(ハンナ・シグラ)。それぞれ生活環境が違う親子が、ある日突然身近な人を失い出会いとスレ違いのなか愛憎の行方を探って行く。
トルコの田舎町を一人でドライブする青年が給油で立ち寄ったスタンドで「犠牲祭おめでとう」と言葉を交わすプロローグ。一見退屈な?このシーンが終盤で深い意味をもつ。よく練り上げた脚本が、できすぎた感のある6人の出会いが不自然さを感じさせない。イエテルとロッテの唐突な死も、日本人の誰でも起こり得ないとは言えない。
EU加入の是否を巡って不安定な状況のトルコ。クルド人との摩擦、ストリート・チルドレンが横行するその実態をしっかり捉えながら、教育が如何に大切であることを訴えている。トルコ2世でドイツ人のアキン監督ならではの祖国愛が抑制の効いた切り口で語られていて、宗教・文化の融合を願う再生の物語に仕上がって、静かな余韻と感動を与えてくれる。
ドイツの名女優H・シグラの存在感が素晴らしい。往年の「マリア・ブラウンの結婚」「リリー・マルレーン」の面影はないが、<若い頃の自分を娘にオーバーラップさせながら見守る母の心情>を見事に表現して魅せた。ホテルでの号泣は圧巻。