晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
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「小さいおうち」(14・日)70点

2021-04-15 12:02:51 | 日本映画 2010~15(平成23~27)


 ・ 昭和初期の中流家庭を描いた山田洋次作品は、小津ワールドへの到達が叶わなかった。


 中島京子の直木賞受賞作品を映画化した山田洋次監督作品。昭和初期、山形から上京した元女中がかつて奉公していた「赤い三角屋根の小さいおうち」に住む一家の出来事を回想する物語。松たか子主演、共演した黒木華がベルリン映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞して話題となった。

 山田洋次といえば「男はつらいよ」シリーズなどヒット作品を数多く輩出している監督で、本作は82歳のときの作品。原作に惚れ込んで自ら映画化を熱望し映画化にこぎ着けている。
 そのため平松恵美子との共同シナリオはオリジナルにほぼ忠実だが、自らの幼少期とも重なる時代への郷愁と想いが込められている。そして若いとき馬鹿にしていた小津の世界に挑戦した作品でもあった。

 布宮タキ(倍賞千恵子)が亡くなって親戚の健史(妻夫木聡)らが遺品整理するなかで、自分史を書いた大学ノートが出てくるシーンに始まり、物語は1930年代(昭和7年頃)山形から上京したタキ(黒木華)のシーンへ遡る。
 
 現代の若者が昭和の激動期に触れ当時の人々を回想する物語は「永遠の0」(13)同様の展開だ。平成の若者には、太平洋戦争に対する歴史観で当時の日本が誤った方向へ進んで行くことは周知の事実である。
 そのためタキがノートに記した支那事変(日中戦争)や日米開戦(真珠湾攻撃)に国を挙げて喜び、好景気を期待しデパートのセールに湧く姿を嘘だと決めつけるのは当然だ。

 タキの記述によると玩具会社重役の主人(片岡孝太郎)は社員とともに祝杯を挙げ、東京郊外の「赤い三角屋根の家」は平穏そのもの。日に日に物資が不足しながらも時子奥様(松たか子)とひとり息子恭一のために尽くすことで幸せな毎日だったという記述ばかり。

 晩年まで独身を貫いたタキの秘密は、不倫相手で美大出のデザイナー板倉(吉岡秀隆)に渡すはずの時子の手紙を渡さなかったことだった。
 不倫=姦通罪のこの時代、タキは時子を守るため最後の別れかもしれない逢瀬を引き留めたのか、板倉が好きで時子に嫉妬したのか、好きだったのは板倉ではなく時子への憧憬であったのか?

 山田監督は原作と違って判断を観客に委ねているが、小津同様生々しさを描写することを嫌う人だ。帯の結び目や後ろ姿の生足の艶っぽさなどさり気ない描写により想像させる手法で、松も期待に応えているものの中途半端は否めない。

 割烹着が似合う古風な顔立ちからオーディションで監督のお眼鏡に叶ったのがタキ役の黒木華は筆者のお気に入りのひとり。「舟を編む」(13)や「リップヴァンウィンクルの花嫁」(16)「日日是好日」(18)などに出演しているが本作が出世作となった。華々しい活躍はないが着実に力をつけていてこれが代表作にならないよう期待している。
 
 山田監督初のラブ・ストーリーというキャッチフレーズに隠れたコンセプトは
「あの時代は誰もが不本意な選択を強いられた。強いられてする人もいれば望んでする人もいて、それが不本意であることすら気づかない人もいた。」
という健史のナレーションで伝えている。

 前作「東京家族」以降どんどん小津の世界へ没頭し始めた山田作品は、残念ながら切れ味に欠け衰えが顕著となってしまった。多彩な脇役陣に囲まれた山田組の同窓会映画ともいえる本作は、<庶民の視点で家族を描く昭和・平成の名監督作品>として記憶に留めておきたい。

 
 
 

「博士と狂人」(19・英/アイルランド/仏/アイスランド)80点

2021-04-01 12:07:11 | 2016~(平成28~)


 ・ M・ギブソンの念願だったOED編纂秘話を映画化。

 サイモン・ウィンチェスターのベストセラーをメル・ギブソンが20年以上費やして映画化にこぎ着けた「オックスフォード英語大辞典(OED)」編纂秘話。

 編纂主幹三代目ジェームズ・マレーに扮したM・ギブソン。その編纂に多大な貢献を果たしたウィリアム・チェスター・マイナーにショーン・ペンが初共演するというW主演が実現した。
 二人とも実在の人物だがドラマは事実をもとにアレンジされている。

 19世紀、大英帝国の威信を賭け着手した「オックスフォード英語大辞典(OED)」は20年で足踏み状態。周囲の異論を押し切り言語学者フレデリック(スティーヴン・クーガン)の後押しで編纂主幹となったのは、貧しさ故学士号を持たないスコットランド人・異端の言語学者ジェームズ・マレー(M・ギブソン)だった。
 彼は広く一般市民から文例を集める方法を採用、精力的に取り組むがシェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉を収録するという無謀なプロジェクトは行き詰まってしまう。
 
 突破口を開いたのがマイナー(S・ペン)で沢山の文例を送ったのは精神病院からだった。

 ドラマはマイナーが何故精神病院にいるのか?そもそも何者だったのか?など経緯を辞書編纂のエピソードとともにドラマチックに描写していく。

 アルコールによるお騒がせ俳優という私生活のレッテルを貼られた名優同士の競演は、あまりにも特異な人生を歩んだマイナーを演じたS・ペンにスポットが当たるのは当然か?

 辞書編纂のドラマを映画化した日本の「舟を編む」(13)では全編ほのぼのとしたムードがあった。
 本作のエピソードは異端の言語学者と殺人を犯し精神を病んだ米国の元軍医との絆を描いているので、過剰なところを如何に柔らげるかがポイント。

 その役を担ったのがマレーの妻エイダ(ジェニファー・イーリー)とマイナーに夫を殺された妻イライザ(ナタリー・ドーマー)。エイダは良妻だが、決して自身の意見を抑え夫に従うタイプではないように描かれていて理事会で夫を庇うシーンも。
 イライザは、夫を殺したマイナーを憎みながら彼の贖罪を許し好意を抱くように。二人の仲介役を務めたマンシー(エディ・マーサン)が義理堅く優しさのある看守役で、彼の主演した「おみおくりの作法」(13)のような持ち味を発揮していた。

 M・ギブソンは受けの演技で好演だったが、オックスフォードの撮影を増やし辞書編纂にまつわる重厚なドラマにしたかったのかもしれない。製作会社(ボルテージ・ピクチャー)と揉め法廷闘争の結果、監督・脚本を担当したファラド・サフィアを架空名義(P.B.シェムラン)にしている。
 
 結果は見やすい展開となったが、国を揺るがすほどの真実に迫る深みのある歴史ドラマにはならなかったのがもったいない気も・・・。