晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「鬼の棲む館」(69・日) 60点

2013-03-30 12:23:31 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)

・豪華キャストで異彩を放つ新珠三千代



耽美小説の大家・谷崎潤一郎の戯曲「無明と愛染」を、三隅研次監督・新藤兼人脚本で映画化。勝新太郎、高峰秀子、新珠三千代に佐藤慶が加わって豪華な顔ぶれだ。

南北朝の戦乱時代、都から少し離れた廃寺を訪ねてきた女人。出てきたのは無明の太郎で女人は妻の楓だった。荘園の息子だった太郎は白拍子・愛染に溺れ全てを失い、妻を捨てこの寺に住みついて盗賊になり下がっていた。ここで奇妙な3人の生活が続いて行く。半年後、一夜の宿を頼みに高野山の上人が訪ねてくる。

無明の太郎に扮したのは勝新太郎。「座頭市」で人気を不動のものにしつつあり、油の乗っていた頃だ。訪ねてきた武将達を長太刀で斬りまくる殺陣や山道を駆け抜けるシーンに迫力があり、多分に三船敏郎を意識しての演技が窺える。
嫌がる夫を執拗に追いかけ、愛染に嫉妬の炎をメラメラと燃やす妻・楓には高峰秀子が扮している。貞淑な女を演じながら心の奥には夫を取り戻すためにはウソも厭わず、上人にすがって愛染を抹殺しようと企む。
愛染を演じたのは新珠三千代。五社協定というルールで大映映画に東宝所属の新珠が出演するのも珍しく、そろそろ協定に縛られていては共倒れになるだろうという映画会社の危機感が出た頃で実現したと思われる。色仕掛けで男を翻弄する妖艶な笑み、享楽的な人生感は最後まで権力に逆らう悪女振りは異彩を放っている。勝ち誇って全裸で仁王立ち、高笑いするシークエンスは流石に吹き替えだろうが、映像としては違和感がなかった。
物語は佐藤慶が演じる高野山の上人が登場してクライマックスへ。元貴族(少将)で、愛染を巡りライバルを殺しその罪の意識で仏門入りしたことが分かってくる。上人と愛染の再会がどのような結末を迎えるのだろうと興味深い。

宮川一夫のカメラ・伊福部昭の音楽・4人の好演がこの生臭い人間ドラマを文芸作へと高めている。上人が法力で太郎を屈服させるシーンでレーザー光線風の特撮が場違いなのと、太郎の身体の返り血が絵具の赤がリアルさに欠けるなど、リアルさに欠ける部分が折角の雰囲気を削いでしまったのが残念だ!

唐突な終盤もあって公開時は不評だったが、今あらためて観ると貴重な作品で一見の価値あり。







映画「二十四の瞳」(54・日) 80点

2013-03-29 17:03:06 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

・激動の昭和初期に結ばれた教師と子供たちの心の絆を抒情的に描いた傑作



黒澤明・小津安二郎・溝口賢二らと並ぶ戦後の代表的監督・木下恵介が、壷井栄の原作を脚本化した156分。

昭和3年、瀬戸内の島の分教場に新任教師として赴任した女教師は、洋服で自転車に乗って現れたので父兄からは「モダンガール」と呼ばれるが、生徒からは「小石先生」と慕われる。受け持ったのは1年生12人はまだあどけなかった。勉強することより満開の桜のもとで汽車ごっこで遊んだり、浜辺で唱歌を歌ったり楽しいひとときを過ごすことが繰り広げられる。日本の美しい季節の変化とともに情操教育となって行く風景がモノクロなのに色彩まで感じられ何とも美しい。先生が上級生のイタズラから足を骨折して逢えなくなった生徒達。4里の道を歩いて先生に会いに行く子供達の心がいじらしい。

本校へ移って6年生で再会した生徒達は、不況や軍国主義へと突入して行く日本の影響を少なからず受けていた。将来の夢は男の子は漁師やコメやになるより兵隊になって偉くなりたいという。女の子は家庭の事情で奉公に出る子や産婆さんになりたい子や音楽学校へ行きたい子など様々。それぞれの悩みを抱えながら一緒に悩むしかできない歯がゆさに教師の限界を感じながら、12人を見守る大石先生も遊覧船の船乗りと結婚する。
修学旅行は金毘羅宮だが、みんな自分の小遣いを降ろしての参加を自慢するほどの貧しさ。偶然奉公に出た教え子・松江が食堂で働いていたのに遭遇。食堂の女将(浪速千栄子が憎らしいほど上手い!)に遠慮気味によろしくと言う気持ちのもどかしさ。
この時代は病気で家族を失うことの多いことに気づかされる。そのため学校にも通えない子供や貧しさから小学校を卒業したら働きに出る子供達がいることも。子供たちに何の責任はないのに理不尽な時代だった。
それだけに唱歌を歌いながら暮らした小学校時代は何物にも代えがたい。それが軍歌に替わる時代がやってくる。美しい抒情的な映像と音楽は、やがて軍国主義一色へと染まって行く。先生として本当のことを子供達に伝えたかったのに「アカ」と疑われかねないと校長に諭される虚しさ。夫への愚痴となり、その夫も戦争へ。

昭和3年から21年の18年は日本にとっては激動期で不幸な時代でもあった。そんな時代をシッカリと絆を持ち続けていた大石先生と生徒達。謝恩会で集まったのは男2人、女5人の7人だが、12人の記念写真は決して色あせることはないだろう。

分教場時代から本校時代そして青年時代の3部構成ドラマをひとりで演じたのは高峰秀子。彼女の代表作でもある。とくに可憐な新米教師時代は輝いていた。本作を観て教師を目指した女学生が多いと聴くのも頷ける。
6・7歳と12・3歳の生徒役は一般公募の3600人から選ばれたという。筆者の少年時代、隣の女の子の友達が選ばれたことを覚えている。うどんを美味しそうに食べるシーンがあったが、とてもまずかったという話をきいて演ずるのは大変だなと思った記憶がある。

時代とともに忘れられる貧しかった時代の日本。日本人の強さ・弱さ・美しさ・喜び・悲しみを通して本当の人間を描くことを貫いた木下恵介。子供同士のねたみ・いじめが描かれていないキレイごとだという批評もあるが、時代の波を生き抜いてきた日本人にとっては当然のように乗り越える壁っだったことを若い世代に反芻してもらいたい作品でもある。

映画「フェア・ゲーム」(10・米) 60点 

2013-03-23 15:31:23 | (米国) 2010~15
・実在CIAのヒロインによる苦悩と夫婦愛のストーリー



03イラク戦争のキッカケとなった大量破壊兵器の存在の有無について関わったCIA秘密諜報員とその夫の苦悩と夫婦愛のストーリー。いわゆる「プレイム事件」の当事者が書いた回顧録をもとにシナリオが書かれ、「ボーン・アイデンティティ」のタグ・リーマンが監督。夫婦にはナオミ・ワッツとショーン・ペンが3度目の競演をしている。

この種の作品は映画としての面白さより、どこまで事実に近いことが描かれているか?に興味と関心が寄せられるのが宿命だ。本作もその観点で観るとかなり上辺だけをなぞった印象は拭えない。国家機密に属する記憶も生々しい事柄だけに、回顧録も含めてタブー満載ななかここまでシナリオができ無事完成したことである種の達成感があったのでは?

妻が秘密諜報員であり、その夫が元・ニジェール大使であったことからメディアにリークされた途端、秘密の二重生活が壊れ世間から非難の対象となる。妻は口を閉じ、夫はメディアで国家に反論し、家庭生活の危機に遭遇するさまが主に描かれる。
CIAがホワイトハウスの意向を汲んで事実を歪曲することで夫婦は犠牲を強いられたのだ。歴史が証明するまでもなく、イラク戦争のキッカケは大量破壊兵器の存在だったはずが、あることを前提にした情報をもとに開戦したかったホワイトハウス。世論が<悪の枢軸サダム・フセイン攻撃>にすり替わるなか、ニジェールからイラクへ原料輸送が本当にあったかどうかの真偽は過熱した世間から置き去りにされつつあった。にもかかわらずメディアに叫び続けるジョセフ・ウィルソンが目ざわりだっただけのことなのだろう。
500ページ以上の報告書の僅か1行で個人の正義は歪められ、それを取り上げるマスコミの責任の重大さが伝わってくるドラマだった。

多くの罪もない犠牲者を出したイラク戦争に大国のエゴを感じざるを得ないが、家族はニューメキシコで平穏に暮らしているという。アメリカの良心はまだ健在だという証明か?

「顔役」(71・日)

2013-03-20 12:09:22 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)

・勝新太郎の初監督作品

菊島隆三のシナリオを勝新太郎が初監督・主演した孤独なアンチヒーロー・立花刑事のストーリー。多分に黒澤明の「野良犬」(49)を意識したことが窺える。映画作りを熱望していた勝にとって大手映画製作会社の危機はチャンスでもあった。撮りたい映画を思いのまま作った節があって、単純なストーリーなのにワザと分かりにくく作ったという評価もあった。公開当時は話題にも上らなかったが、ニューシネマの要素をフンダンに取り入れた名作であるという熱狂的なファンから支持されていて今は再評価されている。

2組の暴力団の抗争が絡む信用金庫の不正融資事件の黒幕を暴こうと必死に捜査を続ける破天荒な刑事・立花。核心に迫ろうとする矢先捜査を止められ、退職してでも真相に迫ろうとする。

「ダーティ・ハリー」や「フレンチ・コネクション」などのヒット作を超えようとする勝新の意気込みを感じる個性的な刑事ものだったが残念ながらシリーズ化は果されず、名前を変えて兄・若山富三郎主演、三隅研次監督によって「桜の代紋」(73)に引き継がれたのみだった。

観客に分かり易いような前振れの映像は一切なく、おまけに台詞は極端に少ないので、今の映像がどういうものかを目を凝らしていないと理解できないときがある。しかしそのカットはアップで執拗なシーンであったり、手持ちカメラによる臨場感あふれるブレた映像だったりの斬新なニューシネマ・モード。本物感にこだわった映像は出演者やロケ場所にも反映され、賭場のシーンは山口組の組員が出演していたり、ヌードの踊り子も本職を使い、当時撮影が難しかった釜が崎ロケを敢行して臨場感を大切にしていた。

競演も個性豊かな俳優が勢揃いしている。若い相棒に前田吟、上司の課長に大滝秀治、若衆頭に山崎務、その愛人に太地喜和子、組長に山形勲、信用組合支店長に藤岡琢也、情報屋に伴順三郎など枚挙に暇がないほど。出演者それぞれに見せ場があり、役者魂を喚起させる勝演出にエネルギーを触発された感がある。

このあと、勝監督作品は「新座頭市物語・折れた枝」(72)「座頭市」(89)と2作品のみであとはTVでの「座頭市シリーズ」でしかお目に掛かれないのがとても残念だ。健在で映画を作り続けていたなら北野武より先駆けて<世界で評価される監督>となっていたに違いない。

映画「愛 アムール」(12・仏・独・オーストリア) 80点

2013-03-19 18:39:13 |  (欧州・アジア他) 2010~15
・<カンヌは芸術で、ハリウッドはビジネス>といったM・ハネケの会心作。



「ファニーゲーム」(97)で映画ファンをあっと言わせて以来、話題作・問題作を作り続けているオーストリアの鬼才、ミヒャエル・ハネケが描いた<老夫婦・究極の愛>。
前作「白いリボン」(09)でカンヌのパルムドール受賞に続いて本作で連続受賞、さらにオスカー・外国語映画賞を獲得している。ハネケは<カンヌは芸術で、ハリウッドはビジネス>と公言していたので作品賞は無理と思われたが、この言葉に刺激を受けたアカデミー会員が外国語賞を贈ったのかも。
パリのアパルトマンに暮らす元音楽教師の老夫婦が、妻の病とともに徐々に幸せな生活を奪われながらも愛を貫くドラマ。<誰でも避けて通れない老いと死>を淡々とリアルに情け容赦なく描写している。「人生はかくも長く、素晴らしい」というキャッチフレズに惹かれハネケ作品を初めて観たら、想像を超えた現実を見せられ驚いたことだろう。
アンナが病に倒れ、衰弱して行く姿を受け止め老々介護の覚悟を決めた夫ジョルジュ。献身的な介護にも関わらず、痛ましい老いの姿を曝す妻。窓から入ってきた鳩に美しく優雅だった妻を重ねたのだろう。これこそハネケらしい<究極の愛>だ。
ジョルジュを演じたのは「男と女」(66)、「Z」(69)のジャン=ルイ・トランティニャン。アンナを演じたのは「ヒロシマ モナムール」<二十四時間の情事>(59)、「トリコロール/青の愛」(93)のエマニュエル・リヴァ。ふたりともフランスを代表する俳優でブランクを感じさせない名演技だ。とくにE・リヴァは85歳ながら、品格があり控えめで、さり気ない演技に拍手を送りたい。
娘エヴァに扮したのは「ピアニスト」(01)で抑圧された中年女の哀しさを激しく演じたイザベル・ユペール。愛する両親の苦境を救えないもどかしさを、抑えた演技で観客の共感を呼んでいる。例によってBGM的音楽は一切使わないが、ピアノのサントラは実名で登場しているアレクサンドラ・タローによるもの。リアルなSEとともに、この静寂なドラマに効果的アクセントをもたらしている。

映画「ザ・ファン」(96・米) 60点

2013-03-06 12:27:02 | (米国) 1980~99 


 映画「ザ・ファン」(96・米)を観た。野球ファンで映画好き、おまけにデニーロ贔屓の筆者には最適な映画のハズ。公開時映画館で観た時はデニーロの迫真の演技だけが記憶に残っていて、詳細な記憶が残っていない。改めて観ると突っ込みどころ満載のシーンがあるものの見所も多い作品でもあった。まずは製作スタッフは当時の売れっ子たちを起用。監督がトニー・スコット、撮影がタリウス・ウォルスキー、音楽がハンス・ジマーだ。ただし脚本(フォエス・ファットン)に難点も。

 A・ブレーブスから地元SF・ジャイアンツに4000万ドルで移籍してきたボビー・レイバーン(ウィズリー・スナイプス)。地元のラジオ・キャスター(エレン・バーキン)からその価値があるか?と意地悪な質問を受ける。ファンであるギル(ロバート・レナード)は彼は偉大なスラッガーであると弁護する。
 自分の生活が行き詰まって行くのを感じながら、人気野球選手にのめり込んで偏執狂となって行く男の恐怖を描いたサイコ・スリラー。危ない男を演じさせたらNO.1のデニーロが熱演している。

 ただ本当に怖いのは、周りから目立たず大人しい男が事件の表面化とともに本性が見えることだ。ギルは最初からハイで父親が興したナイフ製造会社のセールスは全く駄目で、別居中の妻からは息子との接近禁止令まで受けてしまう。リトル・リーグで将来大リーグの選手になる夢だけが生き甲斐だった男の現実は厳しい社会だ。つまり必然性を見せながらの暴挙は、デニーロの熱演だけが印象に残るだけで恐怖感が薄れてしまった。
 開幕ゲームでのワクワク感は良く出ていた。カール・リプケンJrがアドバイザーを務め、フィリーズのジョン・ブラックが5番打者で出演したほか本物の選手が出演し、アーロン・ネヴィルの国歌斉唱など臨場感たっぷり。
 スター選手ボビーを演じたW・スナイプスはデニーロ相手に頑張ったが人物像が魅力的とはいえないのが残念。スター選手が「ファンなんて最低だ。」とか「たかが野球だ。」という人物なら観客は共感も同情もできない。当時無名だったライバル・スラッガーのベニチオ・デルトロが出番は少ないが存在感があった。ただ背番号の売り買いをエージェントを通してする行為なんてあったのだろうか?球団がコントロールして契約内容に明記してあるはず。本作ではエージェントのマニー(ジョン・レグイザモ)が無能だったということか?本作では重要な出来事に関わることなので観客に分かるようにして欲しかった。そして何よりラスト・シーンでリアルなサスペンス感を削ぐ意外な結末は、土俵際でうっちゃりを喰らってしまった気分。
 
 野球好きな筆者には「人生より野球はフェアなスポーツだ。」というギルの台詞が印象的だった。実際はフェアではないことも多いが<失敗続きの自分の人生を大好きな野球選手へ託した男の哀しさ>は充分理解できる。ただし、これは極端ではあるが...。