晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「この愛のために撃て」(10・仏) 80点

2013-05-23 17:34:40 |  (欧州・アジア他) 2010~15
 ・カヴァイエ監督の新世代フレンチ・ノワール第2弾

  

 「すべて彼女のために」(08)で新世代フレンチ・ノワールとして脚光を浴びたフレッド・カヴァイエ監督。前作に続いて妻を救うため命懸けで孤軍奮闘する夫を主人公にしたアクション映画を製作した。

 今回は妊娠中の妻ナディア(エレナ・アナヤ)を自宅で誘拐された看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)が主人公。看護した患者・サルテ(ロジュデイ・ゼム)が実業家殺害の容疑者だったため、仲間がサルテを病院から救いだそうとナディアを人質とした。妻を無事に救いだすには3時間以内にサルテを病院から指定場所まで連れ出すしかない。警察に言えば殺されてしまうという追い詰められた状況だ。

 平凡なパリ市民が行き掛かりで犯罪に巻き込まれるという、<巻き込まれ型サスペンス>。この種の名作ではヒッチコックの「北北西に進路を取れ」や「知り過ぎていた男」などがある。本作はそれには及ばないが、身重の妻を案じながら警察のマークを掻い潜って患者を連れ出すという誘拐犯と警察を敵に廻した主人公の必死さが観客の共感を呼ぶ。

 カヴァイエ監督は、「日常に近いところで、非現実的な作品を作ること」を信条としている。今回はパリの地下鉄での追跡シーンがそれで、警察に追われるサミュエルが迷路のような地下通路を無我夢中で走る姿が息つく暇もない。

 シンプルな物語をチョッピリ複雑にしたのが警察内部の争い。殺人課のファーブル刑事(ミレーユ・ペリエ)が何と担当刑事のヴェルネール(ジェラール・ランヴァン)にあっさり射殺されてしまうのにびっくり。実業家を殺害したのがサルテとその仲間ではないことが判明する。ここで一般市民・サミュエルと裏世界のプロフェッショナル・サルテの奇妙な友情が生まれる。

 序盤を除いて、約80分がノンストップの展開で一気に持って行くシナリオが上手く出来ていて、観客に余計なことを考えさせないところがミソ。警察内部で動かぬ証拠が出て一件落着するが、エンディングがひとヒネリあるところがオシャレなところでもある。

 これもハリウッドでリメイクされそうだ。主人公サミュエルとその妻ナディア、さらにフレンチ・ノワールではお馴染みのサルテを演じたR・ゼムとヴェルネールを演じたG・ランヴァンの4人を誰が演じるか想像するのも楽しい。
 

「ブルーバレンタイン」(10・米) 80点

2013-05-21 17:01:11 | (米国) 2010~15
 ・普遍的なテーマである<愛と家族の物語を、痛切に描いた>良作。

 

 デレク・シアンフランスが20歳のとき両親が離婚して以来、温めていた企画を11年掛けて実現した愛の誕生と終焉を痛切に描いている。公開時、題名とキャッチフレーズを観て若いカップル向けと思い見逃していたが、その後勘違いであることが判明、今回夫婦で鑑賞した。といっても妻は新聞片手のながら鑑賞で、前半あまりにもダメ夫ぶりを観て呆れて?中盤以降は真剣に観ていなかった。

 一人娘フランシスが愛犬の名を呼ぶが行方不明らしい。慌ただしく朝の支度をする妻・シンディ(ミシェル・ウィリアムズ)を尻目に、フランシスとテーブルで食べ物を口に咥える遊びに夢中な夫・ディーン(ライアン・ゴズリング)。妻は車で出勤、夫はトレーナーのままビールを飲んで見送る。幸せな家庭のようで何処か不穏な空気感が・・・。その予兆は愛犬メーガンの事故死だった。

 結婚数年後の夫婦がどのような出逢いをして結ばれたか?今の2人がどういう状況かが、カット・バックを挟みながら進んで行く。そんななかで2人がどのような家庭環境で育ち、どんな性格かが分かってくる。 シンディは中流家庭で傲慢な父・無気力な母の夫婦仲を反面教師として育ち、医師を目指していた努力家で向上心がある娘。反面、男女経験が豊富だが本当に愛される喜びを知らない。そんななかボーイフレンド・ボビーの子を宿してしまう。
 ディーンは両親が離婚・高校中退で運送業会社で働くが、心優しい人柄ながら向上心がなくマイペース。
そんなディーンがシンディに一目惚れ、アタックするがナシのつぶて。
 こんな2人が結ばれたのは、愛情を知らなかったシンディと愛情に飢えていたディーンが絶妙のタイミングで出会ったから。

 シアンフランスはジョーイ・カーティス、カミ・デラヴィーンとともに6回も脚本を書き直し、煮詰まったあげく、2人には状況を事細かに説明して殆どアドリブでカメラを廻したという。これが機能してリアルな臨場感を醸し出していた。カメラも結婚前はハンディ・カメラで粗い画質、結婚後は固定ハイビジョンカメラと使い分けして、シャッフルしても一目瞭然のタッチで観客は迷うことはない。おまけに僅か3週間の撮影にも拘らず2人には結婚後のシーンは体重増加をさせ、M・ウィリアムズにはスッピンでやつれ感を出させ、R・ゴズリングには頭頂部を抜いて違いを明確にするという徹底ぶり。2人の好演無くしてこの作品は成立しなかったといっていい。

 結婚前の出会いから結婚するまではそのまま青春メロドラマとして成立するほどの美しい映像だけに、結婚後の2人の絶望的な破局への軌跡はとても痛々しい。とくに愛犬の死に夫婦の危機感を感じてか、ディーンが言い出したのはフランシスを実家に預けて、ラブホテルへ行くこと。渋々承諾してのホテルでは何も前向きなことは生まれない。とうとう破局への坂を転げるような展開になる。

 SEXシーンが度々出てくるが、熟年夫婦には照れくさくて正視できなかった。シャッフルされているのでその必然性があることが理解できるのは、観終わってのこと。

 離婚の理由は性格の不一致や価値観の違いという常套句があるが、同じベクトルで一生過ごす夫婦は殆どいないハズ。それでもこの夫婦はやはり想定どおり進んで行く。やはり男が幼稚で、女が現実的という通説どおり。夫婦で観るにも少し違和感があるが、若いカップルには夢を壊すようなリアルなドラマだった。それでも若いうちは自分たちは違うと思うのが恋愛というものだ。この年になって観ると懐かしくもあり、なかなか面白いラブ・ロマンスだった。

 

「チャプリンの黄金狂時代」(25・米) 85点

2013-05-20 17:13:44 | 外国映画 1945以前 
 ・人間の欲望を、巧みなギャグと温かいヒューマニズムで包んだ傑作。

  

 映画の師匠・淀川長治によると<チャップリンの最高傑作>という。チャーリーといえば本作であるというほど。本人も愛着が強く’42に本人のナレーション入り・サウンドつきで再編集しているが、筆者はこちらが好み。何といっても映像だけでこんなに引きつける映画はチャーリーの右にでるものはいないと思うから。

 アラスカの金鉱を目指すひとりぼっちの探検家チャーリー(C・チャップリン)は猛吹雪に襲われ山小屋に逃げ込んだ。そこには指名手配中の凶悪犯ラーセンがいた。ゴールドラッシュに沸いたアラスカを舞台に人間の欲望を、巧みなギャグと温かいヒューマニズムで包まれた傑作だ。

 数々の名シーンがあって目が離せない。先ず崖っぷちを例のスタイルで歩くチャーリーの後にいるのは本物の熊。知っているのは観客だけである。自分の知らないところで運命は決められているのだ。崖っぷちで傾いた山小屋のシーンは多くのコメディのお手本になっているが、そこから這い上がれるのはヒトを蹴落とすのか、助けるのか紙一重である。
 そして極限の飢えには自分の靴を茹でて食べたり、人が七面鳥に見えたりする。ほかにもロールパンにフォークを指したダンスも忘れられないシーンのひとつ。数え上げたらきりがないほどだが、ギャグがシッカリとストーリーに組み込まれ浮いていないところが凄い。

 ロケ地でホームレス600人のエキストラを使ったり、風邪を引いたり、靴を何足も食べ腹を壊したり体調を壊しながらの過酷な撮影にもメゲズ完成した本作。「欲望に取付かれた人間・極限状態の人間は、滑稽でもある」という人間の哀しみをクッキリと描いて見せてくれた。それだけに片想いの酒場のダンサー・ジョージアとハッピー・エンドになることを望んだのだろう。

 

 

 

「キッド」(21・米) 90点

2013-05-19 15:07:39 | 外国映画 1945以前 
 ・チャップリンのエポック・メイキングとなった長編喜劇。

   

 キートン、ロイドと並ぶ無声映画三大喜劇王のひとり、チャールズ・チャップリンが転機となった初の長編映画。スラップスティック全盛時代にドラマ性を盛り込み、悲劇の要素を喜劇と融合させた画期的な愛の物語である。

 未婚の母(エドナ・パーヴィアンス)が生んだ赤ん坊を金持ちの車の中に「愛して育て上げてください。」というメモを残して置き去りにする。車は盗まれて赤ん坊は道端に捨てられてしまう。通りがかった放浪者(C・チャップリン)が拾って自分で育てることに。
 5年後2人は貧しくとも親子のように暮らしていた・・・。

 物語はチャップリン自身の生い立ちが投影されている。パンケーキを分けあう食事風景はロンドンの下町で生まれ孤児院で育った自身の体験を、主人公とキッドに父と子の絆として託したのでは?それが<微笑みと、そしておそらくは一粒の涙を誘うような喜劇>の誕生につながっている。重ねて最初の妻・ミルドレッドとの間にできた第1子を撮影開始直前に無くしている。いつでも全力投球のチャップリンにとって、本作に全エネルギーを注ぐ背景がここにもあった。

 キッドを演じたのは<ヴォードヴィルの芸人から最も有名になった子役>といわれたジャッキー・クーガン。愛くるしいルックスとスラップスティックな動作を見事にこなし、チャップリンと一体となった演技は感動もの。本作のヒットに彼の演技が欠かせないものとなったが、食事シーンには5日も掛けたり、孤児院に入れられそうになって大泣きするシーンでは実の父親に叱ってもらったり演出の苦労もあったとか。

 相変わらずのパントマイムによるケンカのシーンやガラスを割った家の奥さんといちゃいちゃするなど滑稽なシュチエーションと、屋根伝いの追跡や夢のシーンでのワイヤー・アクションなど大活躍のチャップリンも健在だ。

 撮影終了後、離婚訴訟に絡め会社から未編集のフィルムを差し押さえようとする動きをチャップリンが知って、フィルムをコーヒー缶に詰めソルトレイク・シティのホテルで編集したという逸話を残している。話半分でもこんな苦労を乗り越えこの名作が後世に残ったと思うと、さらに感動が何倍にもなってくる。
 

「勇気ある追跡」(69・米) 80点

2013-05-18 19:19:52 | 外国映画 1960~79
 ・H・ハサウェイ J・ウェイン コンビによる、<最後の古き善き西部劇>

 

 チャールズ・ポーティス原作をヘンリー・ハサウェイ監督、主演ジョン・ウェインで映画化。62歳となったJ・ウェインが念願のオスカー獲得作品で、授賞式での涙が印象的だった。コーエン兄弟がリメイクした(「トゥルー・グリット」(10)・当人たちは原作の映画化と主張している)ことで再注目を浴びている。

 1880年代のアーカンソン洲フォード・スミス。馬の買い付けに向かった父親が雇い人トムに殺された、14歳の少女マティ・ロス(キム・ダービー)。凄腕だが大酒飲みの連邦保安官ルースター・コクバーン(J・ウェイン)を雇って、ネッド・ペッパー一味に加わって先住民地区へ逃げたトムを追跡する。途中、若いテキサス・レンジャーのラ・ボーフ(グレン・キャンベル)が加わると、50ドルで雇われたコクバーンは条件の良いラ・ボーフと組もうとする。

 この年「明日に向かって撃て」が製作されアメリカン・ニューシネマの到来として大いに話題となった。古き善き西部劇が衰退を始める時期に、あくまでも保安官が無法者を追って対決するというオーソドックスなストーリーは、ある意味貴重な作品と言ってよい。新鮮だったのは少女が添え者ではなく堂々たるヒロインで、最初から最後まで話の中心であること。演じたK・ダービーは22歳で出産経験もある大人。しかもウーマン・リブの持ち主だと言うから驚きだ。そのせいか髪はショートカットで、気が強く大人顔負けの交渉力もそこかしこで見せる。

 コクバーンは銀行強盗の経験があり、その金で結婚して食堂を経営していたという過去を持つ男。アイパッチをした大酒飲みで妻子と別れ中国人の使用人と暮らす札付き保安官はJ・ウェインならではのキャラクターの持ち主。この2人にラ・ボーフが加わった3人のロード・ムービーがユーモラスで、この西部劇のトーンを明るくしている。ラ・ボーフ役のG・キャンベルは頼りなくて陰が薄いが、主題歌で本領発揮。同じ西部劇でもジョン・フォードの砂漠の色が中心の土臭い感じとは違って、緑豊かな山野の風景がバーンスタインの音楽とともにマッチしていた。

 悪役のリーダー、ネッドに扮したのは若き頃のロバート・デュバル。自分を守るためには部下を犠牲にすることは当然の振る舞いを見せる。あくまで正統派の闘いをしてきたコクバーンとは姿勢が違うことでトムを追跡するのは賞金目当てだが、ネット一味との闘いの必然性が生じてくる。一味のひとり・ムーン役はこの年「イージー・ライダー」で注目を浴びるデニス・ホッパーだが、うっかりすると見逃してしまいそう。

 何といってもJ・ウェインの見せ場は、4人相手にひとりで馬上で手綱を口に咥え拳銃とライフルを手に突撃する決闘シーン。ライフルをクルリと廻すサマは彼ならではの大技で、ファンも納得。

 「トゥルー・グリット」(10)との比較では、渋いジェフ・ブリッジスと大らかでダイナミックなJ・ウェインの違いはあるが甲乙つけがたい。脇を固めるベテラン達は皆J・フォード作品の常連たちで、エンディングも定石どおり。その意味では<最後の古き善き西部劇>と言って良いだろう。
 
 
 
 

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07・日) 75点

2013-05-17 17:17:19 | 日本映画 2000~09(平成12~21)
・普遍的な母と息子の物語に日本の原点を観た。

 

 第3回本屋大賞を受賞したリリー・フランキーのベストセラーをオダギリ・ジョー、樹木希林主演で映画化、この年の日本アカデミー賞作品賞など5部門を受賞した。「ALLWEYS 三丁目の夕日」以来、昭和の高度成長期を懐かしむ映画がヒットしているが、少し時代がズレルが本作もそのひとつ。

 筑豊の炭鉱で育った幼少時代から、最愛の母を東京タワーの傍の病院で看取るまでの、ボクとオカンを取り巻く人々との触れ合いを優しく温かく描いている。筆者は東京育ちだが、病院の窓から東京タワーの夜景が輝くバックにボクのナレーションで始まるこのドラマは、故郷から上京して暮らすヒトにとって、どこか自分と重なり合うようなシーンがあってまるで自分のドラマを観るような想いだろう。

 貧しかった少年時代、ボクの記憶を辿りながら心象風景として活力に満ちた昭和の日常が積み重ねられてゆく。若かったオカンは、自分の居場所を失い自堕落なオトンと別れ、別々の暮らしが始まる。母一人子一人の生活が15歳まで続けば典型的なマザコンになるのは自明の理。トキドキ会うオトンとは何処か他人行儀になる。こんな家族を取り巻く親戚や友達とのエピソードが淡々と語られる手法は、原作の雰囲気を壊さないような松岡錠司の演出と松尾スズキの脚本によるもので、普遍的な母と子の物語を過度に盛り上げることなく好感が持てる。絶妙な間でフェードアウトを多用するのは情感を誘う工夫が窺える。

 主演のオダギリ・ジョーは、極ふつうの男を演じるには清潔感があって個性的だが、何処か頼りなくナイーヴなボクに成りきって好演だった。若いころのオカンに内田也哉子・年を経てのオカンを樹木希林の実の親子が演じている。映画初出演の内田は出番も多く、大変だったと思うが天性のセンスで無難に若い母をこなしていた。樹木希林には言うこともないぐらい今や日本の母の代表女優である。自然に演じることの難しさを実感させない巧さはピカイチだ。今社会問題になっている「オレオレ詐欺」に最も掛かり易い息子への無償の愛をそこかしこに感じる。上京する時の寂寥感と息子と暮らせる高揚感を感じるシーンは最高の見せ場だった。

 オトンの小林薫は若いときから晩年まで独りで演じていたが、実年齢より若く見え老け役がいまひとつに見えたのが不思議。リアップで毛がフサフサしたという台詞が取ってつけたように若い。恋人役の松たか子は手堅く、こんな美人で良い人なら別れたくないと思ってしまいそう。

 映画の出来とは無縁だが、豪華ゲストで脇を固めた競演者たち。役名もつかないチョイ役に小泉今日子、柄本明、板尾創路、宮崎あおい、松田美由紀、寺島進など数えきれないほどの顔ぶれだった。

 晩年の2人とその周りの人々が皆イイ人ばかりなのと、オカンの苦しむ姿を延々と描写するなどクライマックスへの意図が見え隠れするが、根底に流れる家族の絆や友情の素晴らしさなど人間愛に満ちた青春映画であった。
 

「僕らのワンダフルデイズ」(09・日) 70点

2013-05-16 15:03:22 | 日本映画 2000~09(平成12~21)
 ・定番ながら中高年への応援歌

 親父バンドという言葉が流行った頃の中高年への応援歌として「全国ナイスミドル音楽祭」が生まれたが、この音楽祭を目指したグループの涙と笑いの人生賛歌。定番ながら楽しめた。

 食品会社の平凡なサラリーマン藤岡徹(竹中直人)は胆のうの手術を受け退院する際、主治医の余命半年という話を偶然立ち聞きし、すっかり落ち込んでしまう。息子の文化祭でバンドを聴いたのがキッカケで、高校時代の仲間と組んだ「シーラカンス」の再結成に想いを託そうと躍起になる。

 「シーラカンス」はヴォーカルが竹中直人、エリート広告代理店部長の宅麻伸がギター、赤字不動産やの斉藤暁がキーボード、母親が認知症で悩む酒屋の段田安則がベースというバンド構成。流石にこれでは心もとないので、それにNY在住の弁護士・アキラの代りに謎の金持ちドラマーとして稲垣潤一が加わる。

 余命半年というのに藤岡の家族(妻や娘と息子)は何故か平常だが、トキドキ妻(浅田美代子)が涙を流したり、ため息をつくのをのぞき見して益々末期ガンであることを疑わない徹。ところが妻の涙はアクビのせいで、ため息はサービス券の期限切れだった。
 
 竹中主演の人情ドラマは大いなる勘違いからスタートし、コミカルななかにそれぞれの事情を抱えた仲間たちとバンドに打ち込む必死さが中高年の共感を誘う。相変わらずのオーバーな熱い演技全開の竹中が適役を得てイキイキと演じている。楽器経験のない宅麻と段田も頑張って吹き替えなしで2曲披露するが、猛特訓とドラムの助けもあってなかなかの出来。奥田民生の作った「僕らの旅」と「ドキドキしよう」が青春時代を懐かしむ親父バンドらしい曲なのも好印象。

 女優陣では妻の浅田と娘の貫地谷しほりが自然な演技で脇を支え、宅麻の妻役・紺野美沙子も如何にも山の手の奥様風。男優では稲垣潤一の<つらいときほど笑っていないと、幸せが逃げて行く>という台詞が印象的。無表情な台詞が掴みどころのない金持ちの息子らしい演出によるものだろうが、少し無理があったかも。

 ほかでは若手の柏原収史と塚本高史が楽器経験を生かし役割を果たしていた。「全国ナイスミドル音楽祭」の審査委員長を務めた宇崎竜童や賀来千香子がゲスト出演しているのは頷けるが、娘の婚約者が田中卓志なのはあまり笑いを獲れない。

 偶然主治医が一緒だったり、コンサート当日のハラハラ・ドキドキがあったり、結婚式で後日談があったりベタなストーリーがハナに付く向きもあるが、若いころ楽器をやった経験が蘇って元気を貰えた。まさに<音は記憶に残る>=音楽の持つエネルギーの素晴らしさを実感した。



 

 


「ジャンゴ 繋がれざる者」(12・米) 75点

2013-05-15 16:07:07 | (米国) 2010~15
 ・アメリカの暗部を西部劇で描いた、タランティーノ。

 前作「イングロリアス・バスターズ」でナチスを描いたクエンティ・タランティーノが3年振りに異色西部劇で登場、今年のオスカー脚本・助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)の2部門を受賞している。

 アメリカ南北戦争・2年前の南部。解放奴隷ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)が、ドクター・キング・シュルツ(C・ヴァルツ)とともに賞金稼ぎをしながら奪われた妻・ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を救うために旅する物語。
 
 導入部はセルジオ・コルブッチ監督、フランコ・ネロ主演の「続・荒野の用心棒」の雰囲気そのまま。懐かしいマカロニ・ウェスタンへのオマージュであり、主役がジャンゴなのにアフリカ系アメリカ人であることにタランティーノの意思が窺える。鎖に繋がれたジャンゴを救ったのがドイツ系移民ドクターで実は賞金稼ぎ。面白いように容赦なくお尋ね者を射殺する小気味良さは、西部劇を借りて<暴力の正当性>をシニカルに見せている。

 このドラマに欠かせないのが極悪非道の悪役。演じたのは初の悪役に挑んだレオナルド・デカプリオ。フランスかぶれの農場主ムッシュ・キャンディで奴隷同士の格闘を死ぬまでヤラセ楽しむという悪趣味の持ち主。ここに妻がいることを知ったジャンゴたちがどう挑むかかがハイライトだ。

 残酷なシーンも多いが、マニアックなタランティーノ・ファンのみならず、<奴隷制度の悲劇>をドラマチックに魅せた2時間35分は流石。主演のJ・フォックスは序盤影が薄かったが、終盤で大奮闘して溜飲を下げた。オスカー獲得のC・ヴァルツは「イングロリアス・バスターズ」でのナチス将軍から一転、プライド高きドイツ人を演じ序盤の主役を果たしてドラマを牽引していた。L・デカプリオは憎まれ役も充分こなせるサディスティックな役をこなしていたし、サミュエル・L・ジャクソンは白人至上主義権力を利用して非人道的な卑屈な役を演じ切って、このドラマを厚みのあるものにしている。 

 人種のルツボであるアメリカは未だ人種差別が抜けないが、本作のようなエンタテインメント作品で<奴隷制度の悲劇>を訴えた作品が評価されたことにアメリカの懐の深さを感じる。ただし「リンカーン」とともに、作品賞には届かないのもアメリカらしい気がする。

「アルゴ」(12・米) 70点

2013-05-14 12:38:28 | (米国) 2010~15
・ 手に汗握る、サスペンス・ドラマ。

                 

 オスカー獲得作品で本国では大変話題となったが、日本では受賞の前年秋公開され、それ程評判にならなかった。’79イランでのイスラム過激派による<アメリカ大使館占拠・人質事件>をもとにしたベン・アフレック監督・主演のサスペンス・ドラマ。もともとジョージ・クルーニーが映画化権を持っていたのを懇願して監督・主演したB・アフレック。これでライバル、マット・デイモンとの差が一気に縮まった。

 <アメリカが正義でイランが悪>という構図を嫌って、導入部はドキュメント・ファイルムを多用して革命勃発の経緯を説明している。英米が石油利権を利用しようと樹立したモハマンド・パフラヴィー国王による独裁政権が引き金で、国王が末期がんで米国入国を反対したための大使館占拠・人質事件だと述べている。

 この事件の裏面史に6人が直前カナダ大使館に逃げ込み、3ヶ月後に無事救出されたという事実があった。カナダ大使夫妻の美談となったが、これにCIAが絡んでいたという。これが<カナダの策謀>の真実として明らかとなった。

 ここからは事実をもとにしたフィクションに移るが、繋ぎがテンポ良く観客を引き込んで行くため、ドキュメントタッチの残像を引きずったままドラマを観ることになる。このあたりにB・アフレックのセンスの良さを感じる。

 CIA人質奪回のプロであるトニー・メンデス(B・アフレック)が考えたのが、架空のSF映画のロケハン・スタッフとして6人を仕立て脱出を謀るというもの。真実でなければこの<荒唐無稽な脱出劇を如何に果したか>という、手に汗握るサスペンスが展開されて行く。まるでヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」を観るようだ。70年代を感じさせるザラザラとした質感の映像でCIAや政府高官の言動によるメイン・ストーリーと、人質6人の様子・イラン革命戦士の動き・エセ映画スタッフのサブ・ストーリーが、絡み合ってクライマックスへと進む。脱出劇はかなりのフィクションを承知の上でハラハラ・ドキドキ感を味わうことができる。

 本作の成功要因にキャスティングの妙がある。主演のB・アフレックは抑えた静の演技。人質6人の俳優は実在人物に似ていることを最優先、CIA上司にブライアン・クランストン、メイクアップ・アーティスト役にジョン・グッドマン、プロデューサー役にアラン・アーキンという著名俳優を配し、リアル感とドラマ性のバランスに配慮している。J・グッドマンとA・アーキンのブラック・ユーモアあふれるヤリトリが秀逸だった。

 イラン政府は本作に反論する映画を製作するというが、政治的な背景を拭えない意味ではどちらも同じで見比べて観るのも面白いのでは?
 

 
 
 
 

「天使の分け前」(12・英 仏 ベルギー 伊) 85点

2013-05-12 15:06:41 |  (欧州・アジア他) 2010~15
・東京テアトル、サヨナラ興行に相応しいケン・ローチのヒューマン・コメディ。

単館ロードショー映画館として長く親しまれてきた「東京テアトル銀座」のサヨナラ興行として、英国の至宝ケン・ローチのカンヌ審査員賞作品が選ばれた。

「SWEET SIXTEEN」(02)で厳しい現実から必死に逃れようとする若者を描いたK・ローチ。「麦の穂をゆらす風」(06)「ルート・アイリッシュ」(12)など内紛・戦争に巻き込まれた若者の悲劇のような気が滅入る作品が数多くあるが、近年「明日へのチケット」(06)「エリックを探して」(10)などのハートフルな作品も見られるようになった。本作は社会の底辺にもがいている若者たちへ、温かく・優しい眼差しを向けている。

 舞台はスコットランドの工業都市グラスゴー東部地区。呑んだくれ無人駅へ不法侵入、些細なことでケンカ、万引き・器物破損などの軽犯罪が日常茶飯事なところ。親の代からの宿敵との諍いで裁判を受けたロビー(ポール・フラニガン)は前科もあり刑務所入りを免れないところを、恋人・レオニーがいて赤ん坊を宿しているため情状酌量で300時間の社会奉仕活動を命じられる。

 題名は、<ウィスキーなどが樽の中で熟成される間に毎年2%ほど蒸発して目減りする分>を指している。いわゆる「天使の取り分」である。<分け前>としたところが本作にぴったりで、主人公がウィスキーの愛好家ハリー(ジョン・ヘンショウ)から郷土の文化であるウィスキー蒸留所見学をしたことを契機にチャンスを掴んで行くユーモアあふれる愛と人情の物語だ。

 主演のP・フラニガンは演技経験が全くないグラスゴー在住で両親が麻薬中毒で失業中の若き父親。顔の傷痕も兄とのケンカでできたものという。主人公とオーバー・ラップして見えるほど似た境遇である。脚本のポール・ラバーティに見出されたので、ブレンドされたウィスキーのようにこの主人公に少なからず影響があったのでは?仲間の3人ではノッポのライノ役・ウィリアム・ルアンがお馴染みで「麦の穂・・・。」「明日への・・・。」「SWEET・・・。」に出演している。

 奉仕の指導者ハリーで、尊敬できる大人を演じたジョン・ヘンショウは「エリック・・・。」にも出ていたが、とてもいい味を出していた。さり気ないシーンだった<ロビーの恩返しの場面>は最高のハイライトで思わず拍手したい気分に。

 ウィスキー愛好家には「バルブレア蒸留所」や<スプリングベンクの32年><ラガーブーリンの16年>などが出てきたり、100万ドルもする<モルトミル>がテーマになるなど興味深い題材が満載されてえる。「ウィスキーマガジン」創始者の評論家チャーリー・マクリーンが出演して「実にエレガント、アイラ島のプリンス」という台詞でウィスキーも奥が深いものだと教えてくれる。反面大金を出して競り落としたのはロシアの富豪で混ぜ物を試飲して「最高の味がする」と言わせたり、最後まで争ったのが米国人で英国人K・ローチらしい痛烈な皮肉も込められている。

 長年コンビのP・ラバーティによる<計算された的確なシナリオ>によって負の連鎖から抜けられない若者への応援歌はほんの2%の天使の分け前が必要だと言うメッセージが伝わってくる。「フル・モンティ」(97)「ブラス!」(96)に匹敵する英国ハートフル・ストーリーの傑作だ。

 そして<テアトル東京>時代に観た「ベンハー」(59)以来楽しませてくれた<東京テアトル銀座>に本当に長い間お世話ありがとう!