晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「エル・クラン」(15・アルゼンチン)70点

2017-03-31 15:25:59 |  (欧州・アジア他) 2010~15

  ・ ブラック・ユーモアではなかった!?驚きの事実を描いたP・トラペロ監督。


    

  80年代のアルゼンチンは、マルビナス戦争(フォークランド紛争)で、軍事独裁政権から民主政権へ体制が移行した時代。この政治混乱時に起きた事件は、アルゼンチン人なら知らぬものはいないほど異常な出来事だった。

 この事件をペドロとアグスティンのアルモドバル兄弟が製作、パブロ・トラペロがジュリアン・ロヨラとともに脚本化、監督も務めベネチア映画祭銀獅子(監督)賞を獲得している。

 一家揃って祈りのあと夕食を摂るプッチオ一家。父親アルキメデス(ギルレルモ・フランチェラ)、母親エヴィファニア(リリー・ポポビッチ)と3男2女の7人家族。

 父は政府情報管理官だったが独裁政治崩壊で失業したにもかかわらず、比較的裕福な暮らしぶり。末娘マギラには夕食後数学を教える優しい父親でもあった。

 長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)は、ラグビーのナショナルチームを経て地元チーム「カシ」の現役選手で活躍中のスポーツマン。

 ある日、車のエンストでチームメイトの車に同乗していたとき、車が飛び出し頭から袋を被せられチームメイトはトランクへ、アレハンドロは助手席へ放り込まれてしまう。

 エル・クランとは「一族」という意味で、「ブッチオ一家」が関わるこの誘拐事件が、決してブラックユーモアではないことを知らされる。

 詳細を述べれば、あり得ないというほど如何に摩訶不思議なものか明らかになって行く。

 日本でも残忍な事件が起きると、そんなことはあり得ないと思うが、衝撃の事実を知ると社会現象としてメディアへ大々的に報じられる。

 それを映画化しても、決して共感を得たり感動することは少ないのと同様、本作も決して後味がいいものとはならない。

 家族を養い束ねる強くて優しい父・アルキメデスと、疑いもなく追従していった長男・アレハンドロの<矛盾に満ちた、歪んだ家族愛>を中心に描かれる。

 アルキメデスに扮したG・フランチェロはコメディ出身とは思えないほど威厳ある態度と恐怖感を秘め、時代が生んだ男性像を再現して魅せた。

 長期に亘って軍事独裁政権時代だったアルゼンチンが、<変貌を遂げる時代を象徴する事件>を映像化したことに意義があったというべきか?

 見終わったあと最後のテロップでまた驚きの事実が明かされる。

 

     

「ベストセラー 編集者パーキングに捧ぐ」(16・英/米)70点

2017-03-28 12:32:20 | 2016~(平成28~)

  ・ 豪華キャストで地味なストーリーながら味わい深い。


    

 失われたジャズエイジと言われた米国20~30年代、「グレート・ギャッツビー」のF・スコット・フィッツジェラルド、「武器よさらば」「日はまた昇る」のA・ヘミングウェイは知っているが、トマス・ウルフと言われても作品は思い浮かばない。

 そのT・ウルフをベストセラー作家として世に出したのは名編集者マックス・パーキンスだった。A・スコット・バーグの原作を脚本家ジョンローガンが映画化権を取得。17年後念願が叶った本作を英国の芸術監督マイケル・グランデージが初監督。

 ウルフ(ジュード・ロウ)はNYの各出版社へ自作を売り込むが実現しない。フィッツジェラルドやヘミングウェイの小説を発刊しているスクリブナーズ社の編集者パーキンスへ持ち込んだ原稿「失われしもの」はひとまず預けられる。

 非凡な才能の未完の作家トマス・ウルフを発掘し育て上げた、ストイックな伝説の編集者パーキンズ。プロフェッショナル同士でありながら友人でもあり、息子のようでも、傍から見ると恋人的存在の2人。

 処女作「天使よ故郷を見よ」がベストセラー作家になったのは、黒子であるパーキンスの地道な編集作業と18歳年上の愛人アリーン(ニコール・キッドマン)の金と精神的支えによるものだった。

 人の機微がわからない天才作家ウルフは、パトロンだったアリーンとは別れようとしていた。さらに2作目「時と川」も削除・削除に反感を抱いてパーキンスからも離れヨーロッパへ旅立って行く・・・。

 妻ルイーズ(ローラ・ルニー)と娘5人の家族を犠牲にし、仕事・仕事のパーキンスは密かに<作品の改良ではなく、別作品に作り変えているのではないか?>という疑念に苛まれていた。

 フィッツジェラルドにガイ・ピアース、その妻ゼルダにヴァネッサ・カービー、ヘミングウェイにドミニク・ウェストなど脇役まで豪華キャスト。地味な展開ながら、文学的なセリフと細部まで行き届いた空気感が漂う映像は贅沢な気分にさせてくれる。

 家の中でも帽子を脱がなかったパーキンスが唯一脱いだシーンは、編集者として信頼された息子のようなウルフへの安堵感だったのだろう。
 

「人間の値打ち」(13・伊/仏) 80点

2017-03-27 14:09:09 |  (欧州・アジア他) 2010~15

  ・ 人間のエゴを投影したミステリー仕立ての群像ドラマ。

      

 

 クリスマス・イヴ前夜にミラノ郊外で起きたひき逃げ事件に関わった、不動産業を営むディーノと投資家ジョバンニの家族。ディーノ、ジョバンニの妻カルラ、ディーノの娘で高校生セレーナが夫々章仕立てで事件にどのように絡んだかを構成したミステリー風群像ドラマ。監督は名匠パオロ・ビルツィ。

 ディーノ(ファヴリッツィ・ベンティボリオ)は事件の半年前、娘のボーイフレンドの父・ジョバンニ(ファブリッツィオ・ジフーニ)に取り入り借金して70万ユーロの投資をしていた。半年後それが破綻し一攫千金がフイになってしまう。

 カルラ(バレリア・ブルーニ・テデスキ)は元舞台女優の卵で、今は飾り物扱いされ自分の居場所が見つからない。街の劇場再建のため夫に投資を依頼、再建委員会を立ち上げ生き甲斐を見出すも、巧く纏まらない。唯一味方になってくれた演出家ドナード(ルイジ・ロ・カーショ)と成り行きで一夜の過ちを犯してしまう。

 セレーナ(マティルデ・ジョリ)はカルラの息子のボーイフレンド・マッシと付き合っていたが、本当の愛を探していた。そんな時期に義母ロベルタ(バレリア・ゴリノ)の心療内科に通うルカ(ジョバンニ・アンザルド)の純粋な気持ちに惹かれて行く。
  

こんな3人を中心に最終章「人間の値打ち」で決着する自転車事故の結果は、ディーノのダメ男ぶりとカルラの危うさ、そしてセレーナの本当の愛で幕を閉じる。

 なかでもディーノのダメぶりは傑出していた。妻の妊娠にもうわの空で自分の投資を如何に挽回するかに夢中となって、金の亡者となって行く哀れさ。F・ベンティボリオはカルラに言われた「ピエロ」を鮮やかに演じている。

 お気に入りのV・ブルーニ・テデスキは、上流社会に漂う難破船のよう。「アスファルト」で演じた謎の看護師でも観られたがタバコを吸い空想に耽るシーンが印象的。

 セレーナ役のM・ジョリはオーディションで選ばれ、実年齢よりかなり年下の女子高生役だったがデビュー作とは思えない堂々の演技。

 お金・愛・境遇という人間のエゴを投影したドラマ構成は、黒澤の「羅生門」や米オスカー作「クラッシュ」を思い出させるが、原題「Human Capital」であるように命の値打ちはお金に換えると何とも味気ないものだ。

 お金で買えないものがある?!と思いたい。

「ハドソン川の奇跡」(16・米) 80点

2017-03-25 15:34:08 | 2016~(平成28~)


   ・ 国民的ヒーローを違う視点で捉えた、C・イーストウッド監督作品。

    

 09年1月NY上空で旅客機・USエア1549便が制御不能に陥りハドソン川に不時着水し、乗客乗員155名・全員奇跡の生還劇として機長が一躍ヒーローとして賞賛された。

 この奇跡の生還劇にまつわるサレンバーガーことサリー機長の心情と、NTSB(国家運輸安全委員会)による事故原因調査における経緯を描いたドラマ。原作はチェズレイ・サレンバーガー(機長本人)とジェフリー・ザスロー(ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニスト)共著による手記。

 孤高のヒーローを描くことに長けたクリント・イーストウッドがメガホンを撮り、「アポロ13」「キャプテン・フィリップス」など危機に直面し無事生還する実在の主人公を演じてきたトム・ハンクスによる初コンビ。

 予めドラマの構成が予測できそうな事実に基づくエンタテインメント・ドラマになりそうな本作を、違う視点で捉え静かな感動を呼んだのは、86歳にして衰えを見せないイーストウッド監督の作家性によるものだろう。

 IMAXカメラによる緊急着水シーンやマンハッタン高層ビルへ激突するサリーの幻想シーンなどハラハラ・ドキドキシーンも交えながら、あくまでリアル感にこだわった本物志向が窺える。

 乗客側のドラマは必要最小限に抑え、官僚機構の象徴であるNTSBと機長をはじめとする副機長・客室乗務員、救助隊・警官など現場スタッフを対比することに主眼を置いた脚本(ドッド・コマーニキ)が本作を際立たせている。

 あくまでクールに俯瞰的な描写を交えながら、人間の心情を見事に再現させる映像作りの確かさは健在。長編になりそうなドラマ性豊かなストーリーを極端にそぎ落としていながら、情緒溢れる物語に完結した手腕は安定感がある。
 
 主演したT・ハンクスは、冷静かつ的確な判断ができる熟練プロフェッショナルでありながら、左エンジンは本当に作動していたのではないか?オペレーターの指示通り空港へ引き返せたのではないか?という葛藤に苛まれる等身大の人物像を好演。

 共演したジェフ・スカルズ副機長(アーロン・エッカード)とサリーの妻ローリー(ローラ・リニー)が、公私に渉るジェフの人物像を浮き彫りにしてこのドラマに厚みを増している。

 検証の最終段階での公聴会は、シュミレーションでの空白の35秒が決め手となったが、コンピュータと人間の差はこれからどのようにしたら埋まるのだろうか?

 
 
 

「あの子を探して」(99・中国)75点

2017-03-19 12:05:03 | (欧州・アジア他)1980~99 


  ・ チャン・イーモウ監督の優しさ溢れるドキュメント風感動作。


    

 「紅いコーリャン」(88)でベルリン金熊賞を獲得以来、欧州の映画賞を総なめにしてきた中国のチャン・イーモウが、パートナーのコン・リーと別れ新作に挑んだリアルで感動的なドキュメント風作品でベネチュア映画祭グランプリを獲得。同年にチャン・ツィイー主演の「初恋のきた道」がある。

 中国の過疎化が進む(水泉村)で代用教員になった13歳の少女ミンジと28人の生徒との交流物語。

 ハイライトは母親の病気で出稼ぎのため都会に出た腕白少年ホエクーを追って、連れ戻そうと探しに出るが行方不明となり、必死に探し求めるミンジの姿をドキュメンタリー的手法で描いているところ。

 主演のミンジやホクエーなど子供たちはオーディションで集め、村のチャン村長やカオ先生も本名で出演した素人。脚本を渡さずに順を追って演技させたという。そのため子供らしい素朴な言動が画面に躍動している。

 日本人の道徳観とは違和感があるのは大人も子供もお金が動機で行動する拝金主義。ミンジはカオ先生が親の病気療養で1か月休むため50元で雇われたが、その間ひとりも生徒が辞めなければ報奨金が出ると言われ必死になってホエクーを連れ戻そうとしている。

 それでも周りの大人には温かい目で見守る人もいる。バス代捻出のためレンガ運びをした子供たちにお金を渡した工場長や都会に出て迷子になったホクエーに食べ物をくれた食堂のオバサンなど・・・。

 監督は、赤いほっぺで笑顔を見せない危なっかしいミンジにも優しい眼差しでカメラを向けて行く。いつしか彼女のホエクー探しがお金のためではなく、弟を探す姉のような愛情溢れる姿へ変わって行くさまを息づかせている。

 躍動感溢れる都会の暮らしとはかけ離れた泉水村の暮らし。子供たちはチョークの大切さ、初めて知るコーラの味に驚く姿は微笑ましい。

 監督は否定しているが、高度成長期の現代中国における都会と地方の格差をやんわりと警告しているように映る。制作時から15年以上経過した現在、その格差は益々拡がるばかりだ。 

「ガンジー」(82・英/印) 75点

2017-03-14 15:32:32 | (欧州・アジア他)1980~99 


  ・ ガンジーを壮大なスケールで描いたR・アッテンボローと成りきったB・キングズレー。


   

 「インド独立の父」マハトマ・ガンジーの青年期から78歳の生涯を壮大なスケールでその足跡を描いた歴史ドラマ。

 監督は「遠すぎた橋」(77)のリチャード・アッテンボローで20年来の企画を実現させた渾身の作。

 ガンジーは非暴力不服従の活動家として英国領だったインド帝国の独立運動の担い手として知られる英雄。本作では史実をもとに、人間ガンジーの人となりの様々なエピソードを淡々と描いている。

 何といってもガンジー役を筆者と同い年であるベン・キングズレーが、南アフリカの青年弁護士時代から78歳で暗殺されるまでを一人で演じきったのが最大の功績だ。

 ’93南アで有色人種として列車から放り出される人種差別を受け、アシュラム(共同農場)建設、インド人労働者結束を呼びかける。

 ’15ボンベイへ帰国すると英雄として迎えられる。祖国では宗教の違いを超え民族自決の精神を唱え英国への経済依存からの脱却を試み、投獄されながらも抵抗運動を続け断食という手法で訴え続けて行く。

 一介の弁護士から活動家・宗教家への軌跡が崇高に描かれ、英国製の織物を焼き捨て、塩の大行進をするなど反英国の行動は無抵抗主義とは違う行動のひとであることが分かる。

 映画なので事実では描かれない「カースト制度容認」や「禁欲主義の実態」は省かれているが、マザー・テレサと並ぶインドが生んだ偉人であることは紛れもない。

 何より民衆に慕われたのがその証で、その要因にマスコミ操縦の巧さや知識人を味方にする人間的魅力があった。

 南ア時代はNYタイムズ記者(マーチン・シーン)や英国人牧師(イアン・チャールソン)が居たし、晩年はライフ誌女性記者(キャンディス・バーゲン)が世界中に彼の日常が伝えられた。

 そして周辺にはカストゥルバ夫人やネルー(インド初代首相)、パテル、ジンナー(パキスタン建国の父)などがいた。

 ガンジーが願っていた「ヒンズーとイスラムが融合したインド」は成立しなかったが、忍耐と信念の人で断食という武器を使わない手段で平穏な世の中を実現しようとした英雄であることは本作で充分伝わった。

 

 

「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」(93・米)70点

2017-03-12 17:47:34 | (米国) 1980~99 


 ・ 19世紀末のNY社交界を再現、M・スコセッシが描いたラブ・ストーリー。


   

 19世紀後半、NYの社交界でのラブストーリーを描いたイーデス・ウォートンの小説をマーティン・スコセッシ監督・脚本で映画化。共同脚本にジェイ・コックス。

 名門アーチャー家の長で弁護士のニューランド(ダニエル・デイ=ルイス)はミルゴット家の若くて美しいメイ(ウィノナ・ライダー)と婚約していたが、そこに現れたのが幼馴染の伯爵夫人エレン(ミシェル・ファイファー)。メイとは従妹同士で結婚してヨーロッパへ渡っていたが、横暴な夫から逃れNYへ戻ってきた。

 社交界の習わしを受け入れ従順なメイはすぐに結婚したいというニューランドを待たせていた。しかしエレンが現れ、彼の心は複雑な思いに駆られ逢うたびごとに惹かれて行く。

 一方離婚スキャンダルを避けたいミンゴット家にはメイとニューランドの結婚がもってこいの明るい話題となる。

 エレンは次第に社交界から排除され、ニューランドの思いは益々許されぬ恋となってしまう。

 巨匠M・スコセッシ作品のなかでは異色のラブ・ストーリーであまり得意なジャンルではないと思うが本人は結構お気に入りのよう。

 例によって綿密な時代考証とともに寸分の隙も無い映像美は19世紀末のNYの再現して魅せてくれる。冒頭のオペラ劇場の風景をはじめ舞踏会のセット、壁面の絵画、料理・食器、衣装・調度品など見ているだけで時空を超えて臨場感溢れる華やかさ。

 ニューランドとエレンの恋は不倫なのか?純愛なのか?観る人によって違うところが面白い。ただし、筆者にはナレーター(ジョン・ウッドワード)の字幕が情報過多で、かえって集中できないキライも・・・。

 主演のD・D=ルイスは、どんな役柄でもこなす芸域の広さを魅せてくれる俳優で、本作でも不倫の恋に悩みながら名門の家長らしい品格・節度を兼ね備えた悩み多き男ぶりを演じていた。手指のしなやかさにはびっくり!

 M・ファイファーは美貌の伯爵夫人役だが、華やかさ神秘性があまり感じられない。好みの女優だが、本作にはハマらなかった。

 むしろW・ライダーが清楚で従順そうな外面とは裏腹の、上流社会の女性らしい強かさが出ていて際立っていた。これはスコセッシ演出の勝利ともいえる。

 このての作品はラストシーンがとても大切だが、本作は終盤急いだきらいもあったもののなかなかオシャレな幕切れ。2時間20分弱の長編を我慢した甲斐があった。

「招かれざる客」(67・米)80点

2017-03-08 11:23:59 | 外国映画 1960~79

  ・ 善き時代のアメリカに潜む人種差別をテーマにした社会派ホーム・ドラマ。


    

 アメリカ17州に異人種間結婚禁止が合法だった頃。白人女性とアフリカ系アメリカ人男性の結婚を巡るヒューマン・ストーリー。

 サンフランシスコの新聞社社長の娘ジョアンナ(キャサリン・ホートン)がハワイから帰国。連れの男性はジョン(シドニー・ポワチエ)で冷静沈着な若手医師。二人は知り合って2週間で結婚を決意、ジョアンナの両親に報告するためだった。

 娘の報告に母クリスティーナは、幸せを願いながら戸惑いを隠せない。帰宅した夫のマットに「大変なことが起きた」という。

 リベラリストを自負するマットは黒人への偏見や人種差別はいけないことだと娘にも教えてきた。だがイザ自分の娘が黒人男性と結婚するとなると、この先の様々な困難を乗り越えねばならないことは明白で、両手を挙げて賛成とは言えない。

 ゴルフ仲間の親友ライアン司教から、似非リベラリストといわれようが簡単に認められない。

 なにしろ20分で恋に落ちたという天心爛漫なジョアンナことジョーイが一方的に燃え上がっているだけかもしれない。

 マットを演じたスペンサー・トレイシーの遺作となったが、このとき67歳。長年のパートナーで、9作共演作があるキャサリン・ヘプバーンが妻クリスティーナを演じているのでぴったり息が合う。

 米国が抱える人種問題を家族に置き換え、良識を貫く勇気を問う設定はウィリアム・ローズのオリジナル脚本。今観るとジョンが白人が望む理想像であるなど予定調和が目に付く箇所も多いが、この時代にこういう作品が制作されたのは感動もの。

 K・ヘプバーンは、夫と娘を支える良妻賢母でありながら、自分の考えをしっかり持った女性像を出しゃばることなく魅せ、彼女ならではの感情を秘めた眼の演技は流石。

 S・トレイシーは病症の身に鞭打って出演、終盤のアリアはまるでK・ヘプバーンへのラブコールだった。

 折しも今公開中の映画「ラビング 愛という名前のふたり」は実話を基にした異人種間結婚がテーマのラブ・ストーリーで、連邦最高裁で合法になったのが本作公開と同じ67年だったのも何らかの影響があったのかもしれない。
 

『告白』 (10・日)80点

2017-03-07 17:29:12 | 日本映画 2010~15(平成23~27)
・ 衝撃的な原作を映像化して昇華させた良作。                                                09本屋大賞のベストセラー、湊かなえの原作を中島哲也が監督したフィクションだがリアリティが潜む衝撃的なストーリー。 「告白」というと宗教的な意味を持ったり、恋愛感情があったりすることを想像するが、本編は中学教師・森口悠子(松たか子)がホームルームで娘を殺したのはクラスの2人であるという衝撃的な<独白>から始まる。現実には起こり得ないはずの約30分をどうとらえるかでこの映画はまるっきり違って見える。 日常のニュースを知る限り、あながち奇想天外な架空の出来事とは言いきれないのでは? 中島監督は原作のテイストを壊すことなく昇華させ、複雑な現代社会に潜む哀しみや憎しみを抱える人間の本質を鋭く描いて、最後まで観客を惹きつける。CMで培った技法を駆使したビジュアル・インパクトの冴えと、映像にぴったりあったBGMは益々磨きが掛かっている。 主演の松たか子は、生徒を指導する立場の教師と、娘を殺された母親という悩ましい役柄に挑戦して、またひとつ芸域を拡げた。人間性を押し殺し、母としての哀しみを振り切って、命の尊さを導いてゆくこの難役を、見事に表現していた。極限の教えは冷たく非情で、ことの善悪を超えていたが...。 少年Bの母親・木村佳乃は、息子を溺愛するモンスター・ペアレントぶりを如何なく発揮。不幸を招くのは周囲が悪いと、絶えず近視眼的な視点で物事を判断してしまうサガで、極端な行動へ走ってしまう。かなり現実に潜んでいそうな母親像を感じさせる好演だ。 なんといってもこの作品を支えたのはオーディションで選ばれた37人の生徒たち。ほとんど演じたというより、普段の中学生のままのような自然な演技で、短略的な殺人を犯してしまう恐怖感を味わうハメになる。とくに少年Aの修哉・Bの直くん・少女Aのみずほの主要3人はそれぞれの個性が出て優れた演出の成果を感じさせてくれた。 温かい思いやりや感動とは程遠く、好きなジャンルではないがこの年上半期ベスト・ワンの邦画であろう。

「わらの犬」(71・米) 70点

2017-03-04 12:28:48 | 外国映画 1960~79

 

 ・ 人間内部に潜む暴力性を表現した、バイオレンスの巨匠S・ペキンパー。

   

 英国ゴードン・M・ウィリアムスの小説「トレンチャー農場の包囲」をサム・ペキンパーが脚色・監督したバイオレンスの代表作。

 米国から平穏な生活を求め、妻の出身地である英国郊外コーンウォールへ逃れてきた数学者の宿命を描いている。

 ミステリーによくあるように一見平和な田舎町にはよそ者に冷たく、周囲の仕打ちも陰湿なもの。暴力否定主義の数学者デヴィッド(ダスティン・ホフマン)は村人たちの嫌がらせにひたすら耐え続けるが、車の事故で精神薄弱者のヘンリーを自宅に匿ったことで村人たちが暴徒と化す。

 前半はひたすら耐え続けていたデイヴィットに我が家を守るという名目から過激な争いに突入、後半繰り広げられるノンストップ・バイオレンスは物凄い迫力!

 良識あるデイヴィッドの内部に秘めた暴力性は別人のような凄まじさ。

 筆者はジャック・ニコルソンが適役ではと思ったが、事実ドナルド・サザーランド、シドニー・ポワティエなどと共に候補に挙がっていたらしい。結果、暴力を極力避け続けている前半の丁寧な描写で、D・ホフマンならではの人間性が表現されていて流石のはまり役となった。

 S・ペキンパーは「ワイルド・パンチ」(69)など一連の西部劇同様、単純な正義対悪ではない過激な暴力の争いを得意とする。ここでもハイスピードとカットバックで観客の目をくぎ付けにする。

 輪姦される妻エイミー役にはスーザン・ジョージ、娘を探し暴徒と化すアル中のトム役ピーター・ヴォーン、唯一秩序あるスコット少佐役T・P・マッケンナなど如何にも実在しそうな配役がこのドラマに説得力を持たせている。出番は少ないがこのドラマのキーとなる精神薄弱者ヘンリーのデヴィッド・ワーナーが存在感を見せている。

デイヴィッドとヘンリーのラストシーンがこの映画の持つ虚無感とともに、何時までも印象的な作品として観客を曳きつけて止まない。