38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

敗戦70年、過ちとは何か。

2015年08月15日 | 農と暮らしの日記
またオクラの写真。
こちらは島オクラと呼ばれる丸莢の品種。一般的な五角のに続いて、これもまずまず量が採れるようになってきた。角がないぶん筋張った感じが少なく、それゆえだろう、多少大きくなっても柔らかくておいしい。



土曜、晴れ。夕方は時々曇り。
70年目の敗戦の日、あるいはポツダム宣言受託の日。

朝ごはんは、若布と玉葱の味噌汁、ポテトサラダ、茄子と炒り子の炊いたの。

午前:人参の水やり、収穫、昼前に市街の実家へ。
松山から兄一家も帰省し、近年恒例、両親を含めて10人でお盆の昼ごはん。
どちらも車に乗るのでノンアルコールで。子どもたち4人(いとこ同士)も久々の楽しい時間。
15時過ぎに薫も合流、選抜チームでトランプ。大富豪、ばば抜き。

夕方に解散、僕は畑で人参などあれこれ水やり、収穫。
そのまま19時半から消防団の機会自主点検。21時頃に帰宅、昼の残りものなどで晩ごはん。



70年。先人たちの多くの犠牲の上に今日の平和があると、よく言われる。
そのことは確かだと思う。しかし、犠牲は先人たちだけだろうか。現在も表向きの平和の裏に、いまを生きる多くの人たちの犠牲があるのではないか。我が国民であれ、外国の人々であれ。

戦争のない時代に生きている私たちは、ほんとうに平和を生きているのだろうか。
そこに平和の犠牲は、ほんとうに1人もいないのだろうか。

あの過ちを繰り返してはならないという。
表向きは、繰り返していないように見える。けれど、それはほんとうだろうか。

繰り返してはならない過ちというのは、何だろう。
それをいま、私たちはほんとうに繰り返していないのだろうか。
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